Lussekatter ルッセカット 

ルッセカットはサフランを練り込んだ生地を成形し、レーズンを飾って焼き上げられる黄金色の甘い菓子パンで、ペッパーカーカとともにスウェーデンのクリスマスシーズンには欠かせない存在 とりわけ12月13日に行われる光の聖女ルシアをたたえる「聖ルシア祭」の主役スィーツです。

Lusseルッセは「聖ルシア」、Kattカットは「猫」にちなんだ名前を持つこのパン

12月12日ルシア祭前日 ストックホルム中央駅構内のスーパーでもこの通り…天井から吊り下げられた「ルセカットありますよ~」のプラカードが目を引いて、その下には黄金色のルッセカットが並んでいました。

高級食材が並ぶデパ地下の製パンコーナーにも山積みにされて…持ち帰られたお家の食卓をその黄金の輝きで明るく演出するのだ!と、気合い満々

サフランは昔も今も世界一高価なスパイスであり、中世には黒死病:ペストの特効薬とされていた高貴な存在。サフランがもたらす黄金色には邪悪なものを排する効力があるとも信じられていました。さらにキリスト教化が進むとサフランは「イエスキリストの誕生を祝う特別な日にこそふさわしいスパイス」へと変わっていきます。なるほど黄金色に輝くサフランパンは陽光の少ない時期の祭典ルチア祭にふさわしいのですが、それだけにあらず!ルッセカットは国を超え、600年の歴史をもつパンで、その前身はなんと『悪魔:サタンの猫パン』!

サタンの猫パン

16世紀のドイツでは、「冬至が近づき長い暗闇が支配する季節になると、 悪魔:サタンが猫に姿をかりて人々の生活に入り込み、子供達にいたずらをしたり、殴打したり、連れ去ることさえあると恐れられていました。そこに『クリストキント』(子供に姿を変えたイエス・キリスト)が現れ子供達にサフランブレッドを授けると、そのパンは炎のように明るく輝き、サタンは子供達に近づくことができず、力を失って退散!子供達は救われたのです… 。」

クリスマスの日こんなお話が添えられてサフラン入りのパン『サタンの猫パン』が子ども達にプレゼントされていたということです。

サタンの猫パン 海を渡る…

17世紀 クリスマスの『悪魔の猫パン』はオランダへ伝播し、さらに17世紀末 スウェーデンに渡り、中部の古都 Mälardalenメーラダーレンに根付きます。これを裏付けるように…

1912年に出版された『Nordisk familjebokに、「スウェーデン南西部では『dövelskatt』:「悪魔の猫パン」と呼ばれる特別なカルトパンが作られている。との記述を見ることができます。Djävulskatter ジャヴルスカッター Dövel=悪魔 katt=猫から「悪魔の猫パン」

*Nordisk familjebok は1876年〜1899年にかけて初版が出版され、以後1951年〜1957年には第4版が出版されたスウェーデンの最も完全な参考文献とみなされている百科事典です。

ここでsydvästra Sverige:スウェーデン南西部と表されているのは Mälardalenメーラダーレンでしょう 。

こうして17世紀末にスウェーデンに伝わった「悪魔の猫パン」がメーラダーレンで作り継がれて、20世紀初頭にdövelskatt』と呼ばれて焼かれていたことが判明 しかし、当時まだ『lussekatという単語はなかったことが分かります。

さらにその29年後の1941年にはスウェーデン・アカデミーが編集するスウェーデン語の辞典Svenska Akademiens ordbok が「Lusse」を「Lucia」の変形としてリストしています。

このことから、1800年代には全国で行われるようになっていた『ルチア祭』と、メーラダーレンから徐々に広がっていった『悪魔の猫パン』が20世紀の半ばに結びつき、その呼び名もlussekat「ルシアの猫パン」となっていった…

ここまではスウェーデンに残る情報から追いかけることのできるルーツなのですが、さらに遡る悪魔の猫パンの誕生の経緯を日本人研究者舟田詠子氏の著された『誰も知らないクリスマス』第6章「悪魔の牡猫が菓子になった」のなかで、知ることができます。まずはこちらの絵画から

オランダの画家Lan Steen ヤン・ステーンが1663〜1665年頃に描いた『ニコラス祭』

舟田氏は絵画の右手前の床に立てかけてあるひし形の菓子ともパンとも思えるものが長く気になっており、手を尽くして、それはオランダで「ダイフェ・カーター」と呼ばれていたクリスマス時期のパン菓子であることを突き止められています。カーターは牡猫 まさしく17世紀の『悪魔の猫パン』を絵画の中に見つけられたのです。

そして同画家が1658年頃に描いた『ライデンのパン屋オーストワールトとその妻』にも「ダイフェ・カーター」を見ることができ、それは店先の壁面に立てかけてある細長いパン

15世紀半ばに絵画に描かれたそれは1450年頃にはオランダのライデンのパン屋で焼かれており、「ダイフェ・カーター」という呼び名で売られ、クリスマスや新年の菓子であったことまで突きとめると、その由来を学術書に求め…

1936年発行のオランダの民俗学の書物によると、『悪魔の牡猫』のいわれは、豊穣を願って猫を生贄(いけにえ)にして畑に埋めた習慣にさかのぼる。牡猫を生き埋めにしたり、生きたまま焼き殺したりした昔の記憶がパンにとどめられたのだという。そこで湧くどうして猫がひし型や細長くて両端がカールしている形のだろう?という疑問には、両方とも猫の脛骨(けいこつ)を抽象化した形であり、パンの両端がカールしているのは脛骨の末端に付く「くるぶし」を表している…

そして「たしかにアムステルダムの北側ウォーターラントに残っている。現代の『ダイフェ・カーター』は脛骨をあらわに印象づける形をしており、当時の菓子だ。」

この記述に期待を抱いた舟田さんは、いまだにこのパンを焼いているパン屋はないものだろうか…?八方手を尽くし、1998年のクリスマス期 アムステルダムから車を1時間ほど飛ばしてウオーターラントのパン屋 シュワート・ヴァン・ヴィリスで1658年ヤン・ステーンが描いたライデンのパン屋で焼れたのとほぼ同じく細長く、両端がカールした『ダイフェ・カーター』との出会いを果たされています。ご著書にはオーブンに入れる前の成形されたパン生地と艶やかに焼き上がったダイフェ・カーターの写真が掲載され、「取材の醍醐味を知るのはまさにこういうときである。」と、 そして「くるぶしの両端は、こんがりとおいしかった。」とも…  まさに舟田さんの強い思い入れが呼び寄せた対面 くるぶしはさぞかし味わい深かったことでしょう。

こうして舟田さんの探究心と行動力によって、「ダイフェ・カーター」はすでに1450年頃にオランダのライデンのパン屋で焼かれており、1600年代半ばに描かれた絵画の中でその姿が確認でき、1998年ほぼ同じ姿のままで焼き継がれたいたことが判ったのです。

舟田さんが訪ねたパン屋は当時手を尽くしてようやく見つけた「ダイフェ・カーター」を継承する最後の1軒でしたが、そのパン屋の主人は、「戦前にたった1軒あったダイフェカーターを焼くパン屋から数千ギルダー(数十万円)で買い取ったレシピを継承している。」と話されたそう。 その時から25年余り… ダイフェカーターの今が気になるところです。

確認できる範囲でも550年作り継がれ、そのうちほぼ350年間姿を変えずに作り継がれてきたダイフェカーター その姿で最も特徴的なのはくるぶしを抽象化した両端のくるくるではないでしょうか? そこで気になるのがルッセカットの形状です。最も一般的なのは S 字型のカールですが、この S ダイフェカーターの両端に表されたくるくるが、ルシア祭のパンになるにあたって、究極シンプルに表されたのでは? あくまでも個人的推察ですが楽しい空想です。

近年焼かれているルッセカットで最も一般的なのはS字型のカール 以下レシピブックに掲載されているデザイン例を見ると、S字を交差、または隣接して配置するデザイン、さらに下段左は司祭の髪の毛 下段の真ん中…基部が丸まった逆U字型はおくるみ服を着ている赤ちゃんを表すデザインとのこと。

それにしても新たに生み出されるデザインのどれもくるくるを欠かしていないのが気になるところ…ダイフェ・カーターだった頃のパンの遺伝子が、このくるくるだけは無くすわけにはいかない!と主張しているようにも思えるのです。

北欧の人たちはスパイス中でもカルダモンの香りを好みます。年間を通してダントツ人気のパン『シナモンロール』もシナモンに加え、必ずカルダモンを加えるほど… そんなパン風景がユールの季節になると、『ルッセカット』に置き換わり、サフランの香りと黄金色がスウェーデンの暗い冬の夜を明るくしてくれるのです。

🌟ルッセカット の名前の由来にはご紹介したドイツ由来の『サタンの猫パン』以外にも北欧神話の女神フレジャのペットの猫イメージなど諸説あるようです。長い時を経て出来上がってきたイメージですから、さもありなん…その時々人々がパンに込めてきた思いや願いを載せてこれからもフレキシブルに変化していくのかもしれません。