聖ルチア祭

聖ルチア祭は1213 キリスト教の聖人『聖ルチア』(『聖ルシア』、『シラクサのルチア』または『サンタ・ルチア』とも)の聖名祝日を祝う行事で、南欧およびスカンジナビア諸国で長く大切にされてきた祝祭です。

スウェーデンでは光の聖女ルチアの聖名祝日12月13日が旧暦の冬至に当たり、太陽の復活を願うユールの行事と融合 - さらに古来の慣習とも結びついて独自の風趣が色濃く反映された伝統行事となっています。                                                                                   

この日全国の教会をはじめとして幼稚園、学校、病院や高齢者が入居する施設など各会場では、キャンドルを載せたリースを頭に、白いガウンをまとい、赤いサッシュを腰に巻いて聖ルチアに扮した少女が先頭に立つと、頭にリンゴンベリー(こけもも)のリースを載せ、白いガウンの「ターナ」と呼ばれるお供の少女達、手作りの長い三角帽や星を飾った杖を手に持ったStjärngosseフェーンゴッセ:星の少年」やエルフ、ジンジャーマン達も行列になって続きます。   http://abraham2nd.com/sweden-holiday-stlucia/    

全員がキャンドルを手にもって、「サンタ・ルチア」を歌いながら聴衆の待つ会場に入場し、蜜蝋のほのかに甘い香りが漂よいキャンドルの灯火が揺れる中、クリスマスキャロルをはじめ たくさんの歌を披露して聖ルシアの祝日を祝います。

昔ながらの歌を歌いながら家々を廻る風習が続く地域もあり、お祭りの最後にペッパーカーカとルッセカット が振る舞われ、Glöggグルッグと呼ばれる香辛料入りのホットワイン(julgrötユールグルットともいう) を楽しむのが恒例で、 暗く寒い冬を彩る光の祭典として連綿と祝われてきました。 

*「ペッパーカーカ 」はスウェーデンのジンジャークッキー

*「ルッセカットLussekatter」はサフランを練り込んだ生地を成形し、レーズンを飾って焼き上げられる黄金色の甘い菓子パンで、スウェーデンのクリスマスシーズンには欠かせない存在 とりわけ聖女ルシア祭の主役スィーツです。

聖ルチア(サンタ・ルチア)

ルチアの生涯は不明なことが多く、確かなことは、古代ローマディオクレチアヌス帝支配下のシラクサで304年に殉教したという事のみです。伝承による生没は283年~304年 

 

彼女もすぐに捕えられ、信仰を貫き通したために殺されてしまいました。

言い伝えによれば、拷問で目をえぐり出された。あるいは自ら目をえぐり出したとされています。

 

彼女の犠牲はローマ中に広まり、6世紀には彼女を信仰の守護者として、教会全体で讃えるようになり、中世その伝説は北欧にまで伝播してゆきました。

語り継がれるその生涯は、イタリア・シチリア島の裕福な家に生れまれたルチアは信仰深い両親のもとで育てられますが、父が亡くなり、母の健康がすぐれなかったため、母とともに巡礼に出かけます。

カタニアの聖アガタ(シチリア島の殉教者)の墓に祈りを捧げると、ルチアの前に聖アガタが現れてお告げを与え、母の病はたちまし癒されました。

この奇跡を機にルチアはキリスト教に改宗し、生涯を神に捧げることを決意。自分の財産を貧しい人々に与え、神に使える生活を始めます。ルチアは、ローマ帝国下で迫害され、地下墓地に隠れ住んでいたキリスト教徒たちに密かに食べ物を運びました。両手に持てるだけのたくさんの食べ物を運ぶため、頭の周りにロウソクを載せていたと伝わります。

異教徒の婚約者との婚約を破棄すると、激怒した婚約者は彼女をキリスト教徒して告発

当時のイタリアはローマ皇帝ディオクレチアヌスのキリスト教迫害下にありました。ローマ社会においてただ一つの神のみを崇拝するキリスト教信徒が増え続けることは、一種の現人神である皇帝の存在を認めない事につながります。これを危険な政治的脅威と考え、何人かの皇帝のもとで迫害が起こり、キリスト教徒は捕らえられ、処刑されたのです…

彼女もすぐに捕えられ、信仰を貫き通したために殺されてしまいました。

言い伝えによれば、拷問で目をえぐり出された。あるいは自ら目をえぐり出したとされています。

彼女の犠牲はローマ中に広まり、6世紀には教会全体で彼女を信仰の守護者として讃えるようになり、中世その伝説は北欧にまで伝播していったのです。

セント・ルチア巡礼と殉教                            Wikipedia

「聖ルチア」はラテン語で「光」を表す『LUX』という言葉から派生した名で、その名前から「光」を象徴する存在「光の聖女」ととらえられて尊敬を集め、ローマおよびイタリア各地で古くから彼女を讃えるお祭が行なわれてきました。

*光量の単位「ルクス LUX」も「ラテン語で「光」を表す『LUX』という言葉から派生しています。

スウェーデンのユール

古来ゲルマンの人々は、季節の変わり目に亡き人の亡霊と、それに混じって精霊や悪魔や魔女が現世にやってくると信じていました。とりわけ太陽の力が弱くなる冬至をはさんだ時期は悪の力が強まるとして、冬至の夜 人々は焚き火を絶やさず、食べて飲んで歌って踊っての饗宴を繰り広げ、翌朝太陽が昇るのを待ちました。この夜の宴が華やかなほど冬を無事に過ごせると信じられていたのです。

こうした冬至の頃行われる祭りは「ユール」と呼ばれ、1400年代までには北欧神話の主神オーディンや豊穣神フレイに豚を生贄として供えることも慣習になり、子供達が歌を歌い、家から家を巡るようになると華やかさもましていきました。

セント・ルチア北欧の冬に光を届ける…

ルチアはシチリア島のシラクサで304年に殉教し、聖人『セントルチア』となり、その命日12月13日が『聖ルチアの日』と定められました。

セントルチアの殉教伝はシチリアからイングランド、ドイツを経由してスウェーデンに届きます。

そこで光の聖女セントルチアの祝祭日12月13日は太陽の復活を祝うユールの饗宴と融合して『ルチアの光の祭典』へと姿をかえていったのです。

聖ルチアは暗闇に光をもたらす守護聖人として、日照時間の少ない冬の北欧で愛され、拷問で眼をくり抜かれたと伝わることから、自らの眼をお盆の上に載せたり、両目を持っている姿で描かれた肖像画が多く見られます。

フランチェスコ・デル・コッサ画  by Wikipedia

クリストキント  海を渡る…

ドイツおよび東欧などでは16世紀半ばの宗教改革を機にそれまでの聖ニコラウスに代わり、「クリスマスには幼子イエスが『クリストキント』の姿でプレゼントをもってきくれる」と考えられるようになりました。この『クリストキント』当初はキリストの幼少期の姿をイメージしていたものが、次第にブロンドの女性が白いガウンに王冠を戴いた姿に扮してプレゼントを配ってクリスマスを祝うようになります。これがスウェーデンにも伝わり、光の聖女ルシアとイメージが重なって、少女がろうそくを頭に戴き、白いガウンをまとう姿が定着していったのです。

南ドイツ ニュルンベルグの街のクリストキント (2019年12月撮影)↑

 ♪ サンタ・ルチア も北欧へ… ♪

1849年にナポリ民謡としてナポリ語で歌われていた民謡「サンタ・ルチア」がイタリア語に翻訳され、編曲を加えて発表されると、大きな反響を呼び、数年後にはスウェーデンに持ち込まれました。

元歌はナポリ湾に面し聖ルチアの名がついた波止場「ボルゴ・サンタ・ルチア」を讃え、船頭が自分の船に乗って夕涼みするよう誘いかける歌詞ですが、スウェーデンはじめ聖ルチア祭を祝う北欧諸国では「ルチアが闇の中から光と共に現れる…」といった新たな歌詞に変えて歌われるようになります。

1927年ストックホルムの新聞社が『ルチア』役を新聞で公募 ルチア行列を行ったことがきっかけで、国中にこの習慣が広がっていきました。

その後スウェーデンの各地で、その街のルチアが新聞で公募されてると、「ルチア」役に応募した女性たちの顔写真が新聞に掲載され、市民が投票してその年のルチアを選んだのだとか…。現在では、新聞での公募はなくなり、学校では生徒達が投票してルチアを選ぶよう変わっているそう…

ルチアになりたいと思うのは、女の子だけではないようで、保育園や小学校では男の子のルチアもいるとのこと…  ♪ ♫

早朝に始まるルシア祭 夜にはあちこちでコンサートも開かれ、12月13日は一日光と歌に包まれます…

家庭では一家の年長の娘が頭にロウソクのリースを載せ、白いガウンをまとって、セント・ルチアの歌を歌いながら、コーヒーと『ルッセカット 』を両親のもとへ運び、同じく白いガウンの他の娘たちが手にロウソクを持ってそれを手伝うのが恒例です。

スウェーデンの画家カール・ラーション(1853-1919)が家庭での聖ルチア祭の様子を描いています。

デンマークでは、ナチスの占領下にあった第2次世界大戦中の世情厳しい中、1944年12月13日に「闇の時代だからこそ光を」と隣国スウェーデンにならって聖ルシア祭が祝われ、以後華やかさを増して続いています。