イースター

イースター「復活祭」は十字架にかけられて処刑されたイエス・キリストが3日後によみがえった奇跡を祝うキリスト教の最も重要な行事です。イエスが人間の罪を身代わりに背負って亡くなり、さらに神に許された証として“復活”したことを記念して祝われます。

祝祭の日が毎年変動する日本人には馴染みの薄いスケジュールをもつ移動祝日で、それは今をさかのぼること1700年前 325年に開催されたキリスト教のニケア公会議で、『イースターは春分の日以後、初めて迎える満月の、次の日曜日とする。』と定義されて以来、「春分の日3月21日のあとの満月は…」と、毎年月の運行に照らして算出されてきたのです。

この日 敬虔なキリスト教徒は教会に行き、人々の罪を背負って自らを捧げたイエスに感謝して祈りを捧げるのですが、教会ではイースターのミサと同時に洗礼式が行われるのが恒例です。

キリスト教国ではこの日を挟んで連休となり、当日は教会に出かけて礼拝に参加し、帰宅後家族や友人が集ってお祝いの食卓を囲みます。そこに並ぶ食材:子羊の肉、ワイン、卵はイースターの歴史と深い関連をもっており、自ら生贄となったイエスは「神の子羊」と表されることから、羊肉はイエスの体、ワインはイエスの血を意味して、卵は復活の象徴です。

さらにイースターを迎える前『四旬節:レント』と呼ばれる40日間は肉や卵などの動物性食品やバターなどの油脂、嗜好品の摂取を絶って、節制しながら大祭日を迎えるため心の準備をする期間と定められていましたから、イースターは長期の節制から解放される日でもあり、待ちかねた祝いの食卓には禁止されていた食品を使ったご馳走メニューが並べられました。

食事の後はイースターにちなんだゲームを楽しんだり、久しぶりに実家に戻った家族も交えてゆっくり過ごすのが伝統的な過ごし方  宗教色が薄れてきた現代でも、みんなが心待ちにしているイベントです。

この日子供達はもちろん大人も楽しみにしているのがイースターに用意される、卵にヒヨコにウサギ、仔羊などをモチーフにした甘くてキュートなお菓子たち お国柄や春の到来が感じられるイースター菓子には大人だってときめきますよね。

日本でも近年カラフルな『イースター・エッグ』や『イースター・エッグハント』といったゲームが紹介され、デパートやパティスリーに並ぶ『卵』や『ひよこ』『うさぎ』などをモチーフにしたキュートでラブリーなスィーツが目を引くこと! 

とはいえ本来はキリスト教の祝祭であり、さらにはユダヤ教およびイスラエルの人たちの歴史がその背景にあっての、『卵』であり、『うさぎ』であり、『仔羊』『ひよこ』そして、『伝統の食卓』です。

その背景を知って、イースターの歴史に思いを馳せることができたら、ゲームの愉しみやスィーツたちの味わいも増すかもしれません。

呼称のルーツ 

日本で「復活祭」を言い換えると、英語表現の「イースター」とするのがお馴染みになっていますね。

ドイツ語では「オースター」となり、ゲルマン民族の神話にルーツを持つ呼称です。一方世界に目を向けると復活祭はギリシャ・ラテン語系の「パスハ」という呼称で祝われている地域の方が多く、こちらはユダヤ教の過越の祭り『ペサハ』がそのルーツとなっている。

1)春の女神「Eoster エオストレ」から

復活祭は英語では「Easter イースター」、ドイツ語ではOstern  オースター」と表され、これは古代ゲルマン神話の春の女神「Eoster エオストレ」に由来すると言われており、イースターには、イリスト教以前人々が信じて行っていたゲルマンの神話や春を迎えるお祭りの記憶や風習が多分に残って引き継がれていることがわかります。

ゲルマン神話におけるエオストレは、春の訪れを司り、子孫繁栄や豊穣の象徴である『野うさぎ』を従えている女神さま。野ウサギは繁殖力が高く、多産のためキリスト教以前から繁栄の象徴と考えられていた動物で、毎年春を迎えると野うさぎたちが、春の訪れに感謝して春色に染めた卵をエオストレに献上し、エオストレはその卵を春風にのせて、配ったとの言い伝えが残っています。

Eostre/Ostara(1884) by Johannes Gehrts    -  Wikipedia

『Ostara オスタラ』 1884年ヨハネス・ゲールツ作 女神はローマ風の プッティ(翼がある裸の幼児)、陽光、動物に囲まれて空を飛んでいる女神を下界のゲルマン人達が見上げています。↑

ゲルマン民族の一派であり、グレートブリテン島(イギリス)に渡って定住したサクソン人は、春を迎える頃の暦のひと月をこの女神にちなんで「エオストレモナト Eostremonat」と名付け、女神エオストレを称える春祭りを行い、その年の農耕の安全と豊作 家畜たちの健康と多産 子孫繁栄を祈願するのが恒例でした。

キリスト教の布教が広まると、エオストレのお祭りの時期とイースターの祝われるタイミングが重なることから、春迎えや春祭りの風習や儀式がイースターの祝祭に取り込まれ融合していくことに…そうした時の経過の中でも春の女神さまを由来としたお祝いの呼び名『イースター』は生き残り、今に至っているのです。

2)ユダヤ教の祝祭『過越しの祭:ペサハ』から

日本ではイースターという英語名で浸透している復活祭ですが、フランスでは「パーク」、イタリアやスペイン、ギリシャ、さらにスウェーデンなど北欧諸国では「パスハ」、…世界的にはギリシャ・ラテン語の「パスハ」という名前で呼ばれています。

この『パスハ』(イースター)の由来はユダヤ(イスラエス)人が奴隷として過酷な生活を強いられていたエジプトから脱出して、放浪の末カナンの地(現イスラエル)にたどり着いた祖先の苦難を想い、建国を祝う『過越しの祭:ペサハ』です。

ペサハとパスハ 似通っていて舌を噛みそう!それもそのはず …その名前から推察できるように、もともとはユダヤ教のペサハという1つのお祭りでした。

ペサハ:過越しの祭りはユダヤ暦の新年にあたるニサン月の夜から一週間かけて行われますが、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた「最後の晩餐」はユダヤ教徒であるイエスが弟子たちと共にしたペサハ初日の夕食(セデル)であり、イエスや使徒たちはユダヤ人としてペサハを祝っている光景です。

最後の晩餐を終えた夜 イエスの予言通り弟子の1人ユダの密告によりユダヤ教の司祭によって差し向けられた兵士たちがイエスを捉えるためにやってきます。イエスが縄をかけられるのを見ると、弟子たちは恐怖から逃げ出してしまったのです。

翌日の金曜日 イエスは十字架に架けられて亡くなり、お墓に葬られたのですが、3日後の日曜日に復活します。それから40日イエスは弟子たちの前に現れた後、弟子たちが見守る中オリーブ山の東山麓にあるベタニヤという村から昇天します。

イエスの復活と昇天を目の当たりにした使徒たちは、イエスをキリスト「救世主」と崇め、自らの使徒としての使命を自覚し、イエスの教えを継承し伝道に務めることになります。

使徒ペテロやパウロはイエスの教えを小アジアのユダヤ人らに広め、さらにローマに赴き伝道に勤しみました。

ローマ帝国では皇帝崇拝を拒否したキリスト教徒は ネロ帝やディオクレティアヌス帝に激しく迫害されたましたが、その間にも信仰はローマ領内に広がり、多くの信徒は地下墓坑であるカタコンベで信仰を守ったのです。

3世紀ごろまでには『新約聖書』がまとめられ、教義も体系化されて調えられます。

313年 コンスタンスティヌス帝は帝国支配の安定をはかるため、ミラノ勅令を出して、ローマ帝国におけるキリスト教を公認 それによってキリスト教に対する迫害は終わりを告げたのです。

キリスト教が確立していくと、教会ではキリストの復活を記念して「パスハ(Pascha)」を祝い始めます。これにより2世紀には同じ日の晩に、ユダヤ人はペサハを、そしてキリスト教徒はパスハを祝う…という状況が生まれていきました。

現存するパスハ(イースター)を祝ったという最古の記録は、2世紀中頃のサルディス(現トルコ)の司教だったメリトが残したパスハに関する説教集です。それによるとパスハは…ヨハネによる福音書とパウロ書簡を基にして…キリストの磔刑があったとされる、ユダヤ暦ニサンの月の14日の夜に祝われていた事が分かります。ユダヤ暦では日付が変わるのは夜中零時ではなく日没だったため、14日の夜とはニサンの15日、つまりペサハの1日目セデルの食事がちょうど始まる時になります。

イースターが行なわれる日の定義

紀元325年 転機が訪れます。 ヨーロッパ中のキリスト教会が集ったニカイア公会議において「イースターは春分の日のあとの満月の次の日曜日とする。」と決議されたのです。 以来イースターは、毎年春分の日である3月21日のあとの満月の日の次の…と算出して決まる移動祝祭日となり、3月下旬から4月下旬の間にやってくるようになりました。

イエスが最後の晩餐を行ったのがユダヤ教の過ぎ越しの祭りの時であったことから、過ぎ越しの祭りとともに祝われていたイースターはこの時から毎年変わる移動祝祭日となったのです。

春の祭りと復活祭

キリスト教の布教が広がりをみせてきた6世紀になっても、人々は古来の自然崇拝に基づく信仰も大切に継承しており、春分の日が過ぎた頃には 厳しい冬を追い出し、春を迎える春の祭りを先祖伝来のしきたりにそって、ますます熱心に行っておりました。そんな状況に布教に務める教会関係者たちが手を焼いているのをみて…

時のローマ教皇グレゴリウス1世は、キリスト教のさらなる浸透を図るため、ヨーロッパ各地に伝わる春迎えや春祭りの信仰や伝統をキリスト教の教えに結びつけて説くことに務めて、積極的に融合を推し進めていきます。

イースターの祝日は「主の復活とともに自然と人間もよみがえる日」とされ、よみがえった太陽が明るく輝き、田園が緑でおおわれる頃に迎える「春の再生を喜ぶ春祭り」と「キリストの死からの復活を祝う復活祭」は重ねられて融合されていったのです。

ヨーロッパ各地で継承されていた春祭りの一つであるゲルマン民族の『エオストレの春祭り』もしかり春・生命・太陽の復活を司るエオストレの伝説とイースタで祝うイエスの復活のイメージが重られ、両者は次第に融合し、春祭りの中で行われた風習や儀式がイースターに取り込まれて、今あるイースターの祝祭スタイルができあがっていきました。

こうしてイースターはキリスト教以前の信仰や風習 そしてキリスト教が成立してきた歴史を含みながら、南欧ではミモザの花が空を黄色く染める頃 そして厳しく暗い冬を過ごした中欧以北の国々では雪解けしたばかりの地面を黄水仙が覆う頃 祝われ続けてきました。

イースターを彩るキャラクターたち

イースターのお祝いは、春の到来を感じさせてくれるラブリーでキュートな動物たちのキャラクターが彩りと華やかさを演出してくれるのも魅力ですね。

『イースター・エッグ』と『ひよこ』

『イースターエッグ』はイースターの飾りや贈り物として殻に彩色や模様が施された卵です。雛が卵を割って誕生する姿が十字架に架けられて亡くなったキリストが3日後に復活した姿に重ねられ、『卵』と『ひよこ』は古くからイースターに欠かせないアイテムとなってきました。

*写真のイースターネストのレシピはこちらを参考にしてください → 🪺イースターネスト🐓

母鳥が産み落とした卵の中で、ひよこが成長し、自らからを割って誕生する それを見て卵に神秘の力を感じ、願いや希望を託す気持ちは、いつの時代を生きる人たちにとっても共有できるもの …イースターエッグの歴史を紐解くと、そんな卵に人々が託してきた思いがみえてきます。

自然を崇拝する土着信仰の時代から人々は春を迎える頃 卵を新たな生命や誕生の象徴として神に供えてきました。そうして迎える季節の農耕の安全や豊作を祈願し、森の恵みを期待したのです。

さらに 春の祭りには卵を装飾して配り合う慣習ができていきます。それを裏付ける装飾された卵がドイツラインラント・プファルツ州の街ヴォルムスで発掘され、最も古いものは4世紀頃描かれたと推定されています。

その後キリスト教の布教が進むと、雛が殻を割って生まれてくる様がイエスの“復活”のイメージに重ねられ、卵は『生命』『誕生』に加え『復活』の象徴となって…

赤いイースターエッグ 

5世紀には 教会でイースターのシンボルとして卵が使われるようになっています。当時民衆の多くが文盲でしたから、イエスが人々の罪を背負って十字架にかかり、槍で脇腹を突かれて血を流す姿を卵の殻を真っ赤に染めることで象徴的に表して 教えの助けに使ったのです。

イエスによって救われ、十二弟子とともにイエスのお供をしていたマグダラのマリアは、イエスの処刑の3日後、埋葬されたお墓に行き、遺体がなくなっていることから、イエスが復活したことを知った女性です。それから40日…

弟子たちの前に現れたイエス・キリストが昇天するのを見届けたマリアはイエスの福音を皇帝に伝えるべくローマを訪れます。

当時のユダヤ人には鶏卵を贈る習慣があったため、彼女も鶏卵を持参し皇帝に卵を献上 イエスの復活を告げました。

それに対してローマ皇帝ティベリウスはマリアの言葉を全く信じようとせず、『死者の復活など、この白い卵が赤く変わる以上にあり得ない』と、一蹴!

ところがその瞬間、白い卵はみるみる血のような赤い色に染まっていき、真っ赤なタマゴにその姿を変えた…   新約聖書の福音書にあるこの逸話がルーツとなって、赤く色付けられた卵は、イエス・キリストの血と復活の象徴としてイースターに欠かせない存在になってきた…ということです。

さらに 中世の頃からキリスト教の信者たちには、イースターを迎える前の『四旬節:レント』と呼ばれる40日の間 肉や卵などの動物性食品やバターなどの油脂、嗜好品の摂取を絶つ断食が課されましたとはいえ人々が卵を口にしない四旬節期間中でも鶏は毎日せっせと卵を産む…

そうして溜まった卵を消費するためにもイースターには卵料理やお菓子が作られたという事情もあったようです。

そして、40日間 日々産み落とされる卵を四旬節があけるまで固茹でにして保存していた…この固茹で卵と、生卵を区別するために着色するようになり、20世紀初頭までは愛を象徴する赤色に染めるものと決まっていたものが、次第にカラフルになって、色とりどり美しい装飾を施したエッグを飾って祝うイースターのスタイルができあがったのです。

* スイスに暮らす友人に教えてもらった「たまねぎの皮の煮汁で卵の殻を赤く染める伝統的な方法」をご紹介しましょう。

まず鍋に水を入れ、沸騰させたら、玉ネギの皮をたっぷり加えて、皮から出る色素でお湯が赤く染まるまで煮込みます。お湯がワインのような深みのある赤色になっらた、卵を入れてゆで卵に… 卵が茹だって火を止めてからもしばらく卵をお湯の中に浸しておくことと、殻が茶色の卵を使うのが、深みのある赤色に仕上げる秘訣です。スイスではイースターが近づくと、スーパーに玉ねぎ染め用の玉ねぎの皮がたっぷり入ったパックが並ぶそうですから、実践するご家庭が多いのでしょうね。

欠かせないシンボルとして活躍中…

現代 イースターに使われる卵は『イースターエッグ』と呼ばれ、イースターのシンボルキャラクター的な存在 カラフルにデコレーションされた鶏卵のゆで卵や卵型のチョコレートをバスケットなどに盛り付けたり、庭や家に隠して探し当てるゲーム「エッグハント」などに使われて、イースターに楽しい華やぎを添えています。

野ウサギ 『イースター・バニー』

ウサギは繁殖力が高く多産のため、キリスト教以前から多産や子孫繁栄、豊作の象徴とされていた動物 イースターの名前の由来となったゲルマン神話の女神エオストレは野ウサギを従え、「野ウサギからプレゼントされた卵を春風に乗せて配った」との伝説や、「イースターバニーが春色に染めた卵を運んできてくれる」という言い伝えがヨーロッパ各地に残り、春を迎える頃に祝われるイースターでは、卵とうさぎは無くてはならないキャラクターだったことがわかります。

仔羊 『イースター・ラム』

仔羊は古代宗教の時代より生贄にされる動物でした。神が喜ぶものをお供えすることで得られるご加護も大きい…との考えから、無垢で汚れのない仔羊が捧げられたのです。

さらに旧約聖書『出エジプト記』ではイスラエルの民が生贄にされた子羊の血に救われ、エジプト脱出をはたした歴史が語られています。

それによると、エジプトで奴隷として過酷な生活を強いられていたイスラエルの民をエジプトより導き出し、神が用意したカナンの地に連れて行くよう啓示を受けたモーセが、時のファラオ:ラムセス2世と交渉しますが聞き入れられません。

これに対して神は「エジプトに十の災いをもたらす」と警告し、次々と災いを起おこすも、イスラエルの民が解放されないと、最後の災いが起きてある真夜中エジプト人の初子がみな死んでしまいました。ところがモーセの忠告に従い、仔羊を生け贄にして、門柱と鴨居に仔羊の血で印をつけたイスラエル人の家族には災いは起こりませんでした。神は扉に血が塗られた家は「過越した」ため、イスラエル人は災いを逃れることができたのです。

その後モーセに率いられたイスラエルの民は長く苦しい放浪の末、神が用意してくれた約束の地カナン(イスラエル)にたどり着き、建国を果たすのですが、そんな先祖の苦難に思いを馳せて行われるユダヤ人の『過越しの祭り』の食卓では、発酵させていない種無しパンとぶどう酒と共にローストした仔羊の肉を用意するのが習わしになっています。

新約聖書によるとイエス・キリストが十字架にかけられる前12人の弟子たちと最後に囲んだ過越祭のテーブルにもローストラムがありました。

その後イエス・キリストは十字架にかけられて亡くなるのですが、これによりイエスは全ての人間の罪を背おい、生贄としての役割を果たしたとして「神の子羊」と呼ばれるようになります。 こうして仔羊はイエス・キリストのシンボルとなり、イースターを象徴するキャラクターとしてもなくてはならない存在になっているのです。