ローラのジンジャーブレッド 

新大陸アメリカで南北戦争が終結して2年の1867年 ローラ・エリザベス・インガルスはウィスコンシン州のミシシッピ河に近い大きな森のはずれにある小さな家でワイルダー家の次女として生まれました。その後一家は幌馬車でウィスコンシンの森を出て、大草原の各地で大地を切り開き、小麦を蒔き、狩りをしながら良い土地を求めて西へと移住を続けます。 

白人と関係が悪くなっていた先住民たちが家のすぐそばの川岸に集結し、戦いを前に気勢をあげる宴の騒ぎが夜更けまで響いたこと。とつぜん雲霞のごとく押し寄せてきたいなごの大群が豊作確実と思われた畑をバリバリと食いつくし、作物がばたばたと倒れていくさま。草原を襲う野火の恐怖。日照りによる不作。マラリア。しょう紅熱で視力を失ってしまう姉… 家族愛と独立心に満ちた不屈の開拓者精神は数々の危険や試練を乗り越えていきます。

ローラは15歳で教員免許試験に合格し、数ヶ月学校で教えますが、結婚し、母となって、27歳で夫のアルマンゾと7歳の娘ローズとともにミズーリ州 マンスフィールドの丘に移住 そこをロッキーリッジ農場と名付け、丸太小屋を建て暮らし始めました。アルマンゾは農場開拓に加え、薪売り、運搬業、石油会社のセールスなどして働き、ローラは家事に加え、畑仕事や家畜の飼育、40代からは地方新聞のコラムニスト、もてなし好きの明るい主婦として近隣の人々とのおつきあいに忙しく活躍し、節約にも励んだ結果ロッキーリッジは豊かな農場となって実を結びます。

幸せな農家の主婦として60代を迎えたローラは、家族で土地を開拓し、農場をひらいた日々の思い出を書き綴り、10年以上かけて「小さな家」シリーズを完成させました。娘ローズの助力を得て出版されたシリーズは大変な反響をよび、数々の名誉や賞を受けたローラですが、好きな食べ物を聞かれて返した答えは必ず『ジンジャーブレッド』!あちこちで乞われ、そのレシピを公開したのでした。

本にサインする85歳のローラと子どもたち↓

「小さな家」シリーズにはジンジャーブレッドは出てきませんが、1953年の「ホーンブック」誌のローラ・インガルス・ワイルダー特集号でローラのジンジャーブレッド好きが紹介されてから、そのレシピも広く知られることになります。料理上手で料理好きだったローラが薪ストーブを使って焼いていたレシピです。

      ローラのジンジャーブレッド gingerbread-soft

《材料》22.5cmの角形1つ分

ブラウンシュガー  1cup (250ml)

糖蜜        1cup (250ml)

小麦粉       3cup

ベーキングソーダ  小2

ショートニング   半cup(120g)

熱湯        1cup

塩         小1/2

ジンジャーパウダー、オールスパイス、シナモン、

クローブ、ナツメグ 各 小1

《作り方》

① ブラウンシュガーとショートニングを混ぜ、糖蜜を加えてよく混ぜる。

② 熱湯にベーキングソーダを加えてよく混ぜる。①に加える。

③ 小麦粉とスパイス類と塩を合わせてふるう。①に③と②を加えて混ぜる

④ 華氏350度(摂氏180度)のオーブンで45分焼く。

*このレシピの1cupは250ml、華氏350度は約摂氏180度です。

このレシピで使われる糖蜜は、サトウキビから砂糖を精製する過程ででる糖分以外の成分も含んだ粘り気のある黒褐色の液体で、アメリカでは「モラセス」と呼ばれています。安価で手に入ったこともあり、当時からよく使われており「小さな家」のなかでローラのかあさんキャロラインも砂糖の代用に糖蜜を使っています。

1人娘のローズも母ローラが薪ストーブで焼いているジンジャークッキーの番を頼まれながら、読書に夢中になっているうちにクッキーが真っ黒焦げになってしまった失敗や、娘時代両親の留守中はじめて1人でジンジャークッキーを焼くことを許され、細心の注意を払いつつ焼き上げたものの、ジンジャーと唐辛子を間違えたため、一口食べたとたん舌が焦げるような思いをしたエピソードを書き残しており、一家の生活には常にジンジャークッキーがあったことがわかります。スコッチアイリッシュ系の祖先を持つインガルス家ですから、そのジンジャークッキー好きは筋金入りだったのかもしれません。

ジャーナリストであり、作家としても活躍したローラの娘 ローズ・ワイルダー・レイン(1886~1968)↓

1957年90歳のローラは生涯の大半を過ごしたロッキーリッジ農場で亡くなりました。

その後ロッキーリッジは博物館として公開されますが、1900年代末そこで黄ばんだ紙をとじたローラのクックブックが見つかりました。それは手書きのレシピを書きつけた紙を、厚紙の表紙の仕入れ帳の各ページに貼り付けて作られたもので、その仕入れ帳は夫アルマンゾが燃料油の運搬の仕事をしていた頃に使っていたものでした。レシピは1930年代から40年代の間に集めたもので、ローラが鉛筆で材料と作り方を書いたページや、新聞の料理記事、雑誌からの切り抜きなどに加え、かあさんのキャロラインや娘のローズからきいた料理のアドバイスも書き留められ、ローラがロッキーリッジの菜園で採れたものと、コーンミール、赤砂糖、白砂糖、各種スパイス、全粒小麦粉、精白粉など常備された食材を工夫して豊かな食卓を楽しんでいた様子が伺えます。

発見された時、この手作りのクックブックは、水が染み込み、しわくちゃで、ページがくっついていたとのこと… 写真のページは小麦粉と砂糖、スパイスに加え、バターや卵、生クリームまで入ったリッチなジンジャークッキー:『ジンジャーナッツ』のレシピ部分です。

参考『ようこそローラのキッチンへーロッキーリッジの暮らしと料理』谷口由美子著

毎日お茶の時間のために手作りのお菓子を欠かさなかったローラですが、クックブックには先祖伝来のシンプルな材料で焼き上げる『ジンジャークッキー』にくわえ、『ジンジャーナッツ』スパイスたっぷりの『糖蜜クッキー』といった卵やナッツ類、バターや生クリーム、さらにオレンジなどの柑橘などリッチな素材を使うレシピも含まれています。それは7ヶ月吹雪が続いて明日使う小麦もない日々を過ごした子ども時代を想うと夢のような豊かさで、その変化を持ち前の好奇心でフレキシブルに労を惜しまず最大限に楽しむ姿がたくましく魅力的です。

シリーズの『長い冬』で、ローラはダコタ・テリトリーの小さな町デ・スメットが半年もの間深い雪と猛吹雪のために孤立してしまった時、人々がその冬をどう乗り越えたかを描いています。

「町の乏しい食料はたちまち尽きてしまいました。最後に残った小麦粉の袋は50ドルで売れました。最後の砂糖は1ポンド1ドルでした。実は秋に収穫して春にまくための種麦を持っているものが町にいました。それを確保しておくためと、町の人々を救うために、2人の若者が種麦をたくさん持っているという一人暮らしの男を探して町の外へ24キロのそりのドライブに出かけたのです。そして、見事に小麦を買って戻ってきました。町やその周辺には当時製粉所はありませんでした。ですから、みんな小麦を家庭のコーヒー挽きで挽いたのです。だれでも、子どもですら、かわりばんこに小麦を挽きました。そしてできた全粒粉のパンは非常に美味しいパンでした。そのうえ健康食でしたから、その冬町では1人の病人もでなかったのです。」

クックブックにも全粒小麦粉のパンのレシピがみられます。ローラは全粒粉のパンを焼きながら、姉妹が代わるがわる小麦を挽いた幼い日を想ったでしょうか? 

ローラは常に背筋がのび、おしゃれを忘れない堂々とした女性だったそうですが、名声を得ても変わらずふるまうローラを評した町の人の言葉「ワイルダーさんは、いわばジェントルマン:紳士を女性にあてはめたジェントルウーマンでした。」が素敵です❤️。1943年のローラとアルマンゾ↓