北欧神話の神々 

紀元世紀頃に 現在の北欧諸国やドイツ北部で暮らしていた人々がゲルマン人です。

彼らは太古の昔から人間の霊魂の不滅を信じ、祖先の霊を守り、神として祀っていました。そして「自然界のあらゆる事物には霊魂や精霊が宿り、諸現象はその意思や働きによる」とする多神教的な精霊信仰をもって暮らしていたのです。

そんなゲルマンの人々が生んだ国生み神話の主神オーディンWodanは『Wednesday』、雷神トールThor『Thursday』、愛・美・豊穣の女神フレイアFreyjaは『Friday』と、現代の曜日にその名を残していることからも、神話がヨーロッパの文化に深く影響を与えてきたことが伺えます。

これは4世紀末ゲルマン人諸族が次々と移動を始め、当時衰えつつあったローマ帝国領内に進出するいわゆるゲルマンの民族大移動を展開したことにより、その神話も広くヨーロッパに拡散したためです。

南に移動することなく原住地バルト海沿岸にとどまっていたゲルマンの人々は、その後スウェーデン,ノルウェー,デンマークを建国 北欧3国となり、かれらの神話は『北欧神話』と呼ばれることが多くなったのですが、それはまた『ゲルマン神話』とも呼ばれています。

世界の始まり

燃え上がる氷塊と絡みつく炎しかない世界の氷塊の解けた雫の中に、巨人“ユミル”が生まれ、ユミルは別の氷から生まれた雌牛アウズンブラの乳を飲んで成長します。

ユミルは単独で巨人たちを生み出し、ユミルを育てた雌牛アウズンブラも塩辛い氷塊を舐めて成長し、最初の神“ブーリ”を生みました。そしてブーリはアース神族と呼ばれる神々の祖先となるのでした。

ブーリの息子ボルは巨人族の娘と結婚 3人の子宝に恵まれます。オーディン、ヴィリ、ヴェーと名付けられた3柱の神たちは、暴虐の限りをつくす巨人族を容認せず、巨人の始祖であるユミルが新たに作る世界の障害となることを見越して殺害してしまうのです。

ユミルの傷口からはおびただしい血が流れ、あたり一面は血の大洪水に見舞われます。巨人族は一組の男女を残して溺れ死に、オーディンたちはユミルの体を解体して世界を作り始めます。

ユミルの肉塊からは大地を、壊れていない骨からは山脈を作りました。歯とあごと、粉々になった骨のかけらからは、岩や玉石や小石を作りました。

オーディンとヴィリとヴェーは、うずまく血を使って陸に囲まれた湖を作り、海を作りました。大地をこしらえたあとで、揺れ動く海洋をそのまわりに輪のようにめぐらせました…。

その後もユミルの頭蓋骨を大地の上に置いて天空を、脳から雲を作ります。

南から飛んでくる火花を星に、その中でも特に大きいものが太陽と月になり、世界には昼と夜ができました。

海辺で拾ったトネリコとニワトコの木から人間の男女を、そして彼らが住む人間の国、『ミッドガルド』を作り出しました。ミッドガルドは巨人からの攻撃を受けないよう海で囲まれ、ユミルのまつ毛で作られた柵が張り巡らされています。

オーディンたちは自分たちアース神族が暮らす王国『アースガルド』を天上に作り、生き残った巨人族を海で隔てた彼方に追いやります。世界の中心には「神の天界:アースガルド」、「人間が住む世界」、「死者の冥界」それを貫く巨大な世界樹ユグドラシルがそびえ立ち、人間界には洞窟で暮らす小人や、地中で暮らす妖精たちも存在します。

←『Yggdrasil スノッリのエッダ』の英語訳本(1847年)の挿絵

オーディンOdin…戦争と死の神であり、知識が豊富で、魔術、詩芸に長けた神話の主神

神話の中で、世界は「神が住む世界」「人間が住む世界」「死者の世界」とそれを貫き、幹や根を通して天界と地上、さらに冥界と通じている世界樹ユグドラシルから成り立っています。その世界を創り上げたのが主神オーディン

オーディンはユグドラシルの根元にあり、賢人ミーミルが守る知識の泉に自らの片目をささげ、泉の水を一口の飲むことによって全ての知恵を授かります。こうしてオーディンは、未来のことまで分かるようになりました。

片目になったオーディンは、片目の部分を隠すかのようにつばの広い帽子を被り、青いマントを身に纏うようになったのです。

オーディンは魔法の武器や宝物を持っており、グングニルという槍は百発百中で敵を貫いて倒す魔力が備わった槍でした。

さらにオーディンは『ルーン文字の秘密』を会得するため、世界樹ユグドラシルに自らを生にえとしてささげます。枝に縄をかけ、首を吊って、グングニルの槍で自分を突き刺し、九日九夜にわたってその激痛に耐え続けました。縄が切れて一命を取り留め、その苦行の末あらゆる魔法が使える魔力を持つルーン文字を得るのです。

これにより予言の神、魔術の神にもなりました。オーディンが絶えた苦行を起源にして、オーディンに捧げる人身御供(供犠)は首に縄をかけて木に吊るし上げ、槍で刺して貫くようになったといわれています。

さらに「詩の蜜酒」を造って、詩の神様にもなりましたから、オーディンはヴァイキングの詩人たちに大変尊敬される存在でした。

オーディンは座ると世界中をくまなく見渡せる王座フリズスキャルヴに座っています。ですからオーディンには一切隠し事ができません。足元にはゲリとフレキという狼がいて、オーディンは自分の食事をこの二匹に与え、自分は葡萄酒(ワイン)しか飲まないのです。

さらにオーディンの両肩にはフギン(思考)とムニン(記憶)という二羽のワタリガラスが止まっており、この2羽は毎日世界中偵察に出かけて行って、その日の出来事を報告する さながら諜報機関のように使えています。

1760年頃のアイスランド語写本の挿絵(デンマーク王立図書館蔵)

 

(左)フギンとムニンから報告を受けるオーディン(右)オーディンとその愛馬

愛馬はスレイプニル 8本の足をもち、どんな馬より早く、空でも海でも平地と同じように走れる優れ者ならぬ優れウマです。オーディンはそのスレイプニルに乗って世界中飛び回ることもあれば、魂だけ飛ばして流浪(エグザイル)する幽体離脱も自由自在にこなします。

8本足の馬スレイプニルを駆るオーディンと、彼に付き従う大烏フギンとムニン、狼のゲリとフレキ ↑

挿絵画家ローランス・フレーリク 1895年の作 by Wikipedia

オーディンは戦いの神で、全ての戦いの勝敗を決定します。でも傲慢できまぐれなので、その時の気分で勝ち負けを決める。さらに何事にも貪欲であり、策略や裏切りも平気!と、ちょっと困った神さま

こんなオーディンは長い髭を蓄え、片目がない姿で描かれます。天界では黄金の鎧をまとっているとされますが、地上での姿は、失った目を隠すためにつばの広がった帽子を深くかぶり、青いマントを着て、魔法の槍グングニルを持った老人として描かれることがほとんどです。

『ヨツンヘイム』と呼ばれる王国に住む凶暴な巨人たちは神々や人間と敵対して支配しようと機会をうかがっています。未来を見ることができるオーディンは「いつの日かアース神族は巨人族と戦い、世界とともに滅ぼされる運命にある」と予言。滅びの日を回避できないと知った神々は、自らの運命を受け入れて戦への備えを始めます。

オーディンも神々を組織化して協力体制を築いたり、戦力の増強を目的に勇敢な人間を集めたりと、戦の準備に余念がありませんでした。

ついに霧の巨人たちが神の王国へ攻め込み、最終決戦ラグナロクの戦いが繰り広げられると、オーディンは巨大なフェンリル狼と戦いますが、噛み殺され、食べられてしまう…  神々の王にしてはあっけない最後でした。

トール Thor … 最強の戦闘力を持つ雷神であり、豊穣を司る農耕神

トールはオーディンを父に、大地の女神・ヨルズを母に生まれ、武勇に優れ、雷を武器に戦うため、雷神とされました。アースガルドにいる他の全ての神々の力を合わせてもトールには敵わないほどの怪力をもち、金髪の頭に赤毛の髭を蓄えた巨漢で、雄牛を丸ごと飲み込んでしまうほどの豪快な大食漢でもありました。その豪胆さや粗暴さの原因は、頭の中に砥石(火打石の欠けら)が入っているためとされましたが、自分よりも弱いものを虐待することはありません。

トールは2頭の山羊タングリスニとタングニョーストに引かせた戦車 Chariotで移動しましたが、戦車が疾走すると激しく稲妻が光り、大音量の雷鳴が轟いたのです。

北欧の人々がヴァイキングから転向して定住し、農耕中心の生活を始めると、大地の女神を母にもち、雨や嵐を連れてくる雷を操るトールは農耕を司り、豊穣をもたらす『農耕神』として崇拝、信仰されるようになっていったようです。

(左)1760年頃のアイスランド語写本の挿絵に見るトール

(中)モルテン・エステル・ヴィンゲ作『トールと巨人の戦い』(1872年)by wikipedia 

(右)雷神トールとチャリオットを引く二頭の黒山羊

 

最強の戦神トールの武器は魔法のハンマー『ミョルニル』です。

古ノルド語で「粉砕するもの」を意味するミョルニルは、どんな怪力で打ちつけても壊れる事がなく、投げれば的に必ず的命中して戻ってくる優れもの

雷電と共に振り下ろされ、大地に叩きつければ地震が発生して地面が崩落するほどの威力を持ち、大きさを自由自在に変えて持ち運べるフレキシブルさも備わっていました。

戦車が空を駆ける際の轟音が雷鳴となって地上に響き、『ミョルニル』をふれば稲妻が走って雨を呼ぶことからトールは天候を意のままに操り、豊穣をもたらしてくれる農耕神としても慕われるようになったのです。

ミョルニルはドワーフの兄弟ブロックとエイトリと鍛冶屋のグリンブルスティとドラウプニルが作り出し、トールに献上したもので、トールはこのミョルニルで霜の巨人や山の巨人をはじめ多くの敵対する巨人を打ち殺します。

ミョルニルの一撃を受けても死ななかったのは世界蛇のヨルムンガンドだけでした。

さらにミョルニルは相手を打つためだけに使われるものではなく、大食漢のトールが2頭の山羊を食べてしまっても、骨と皮さえ残しておけば、ミョルニルを振れば生き返らせることができました。

冬至の日のユールにトールはこの2頭を屠り、他の神々にふるまいますが、翌日ヤギを殺したことを後悔し、ミョルニルでヤギを復活させています。

また このミョルニルには邪気を払う力もありましたから、オーディンの息子光の神バルドルの葬儀の際には火葬の火を浄化するために用いられ、埋葬を清め、死者に安息を与えました。さらに夫婦には子宝を、子供には健やかな成長を与える聖なる力をもつとして結婚式のシーンにも使われています。

トールは霜の巨人スリュムにミョルニルを盗まれてしまったことがあります。 スリュムは美の女神フレイヤを妻にしたいと願っており、フレイヤを連れてくればミョルニルを返してやると交渉を持ちかけてきますが、フレイヤが霜の巨人スリュムを気に入るはずもありません。仕方なくトールは自身が花嫁に変装し、弟のロキを侍女に変身させて、巨人の国ヨツンヘイムへと向います。

巨人スリュムがフレイヤを聖別するために、隠していたミョルニルを花嫁姿のトールの膝の上に置くやいなやトールはミョルニルを取り返し、あっという間にスリュムの頭を打ち砕いたのでした。

スウェーデンにかつて存在していた『ウプサラ神殿』には、トール、オーディン、フレイの像が並べて立てられ、トールの神像はもっとも大きく、真ん中に配置されていたと伝わります。この宮殿についてはオーディンから、ニョルズそして息子フレイに王位が継承されていく伝説上のノールウェー王家ユングリング家の事績を綴った『ヘイムスクリングラ』に記述がみられるもので、神殿の存在を裏付ける史料もいくつか残っているとのことですから、北欧のみならず広くゲルマンの人々の今にいたるトール神への崇拝の歴史を測り知ることができるというものです。

そんなトールのあやつるハンマー『ミョルニル』は今だに北欧諸国でネックレスや指輪などアクセサリーに応用されることの多い人気のデザインであり、クリス・ヘムズワース主演のハリウッド映画『マイティ・ソー』はトール(ソー)を主役にしてストーリーを創作した作品です。

フレイ Frey 天候を操り、豊作をもたらす豊穣神 神々の中で最も美しく眉目秀麗な容姿の持ち主

フレイはもともとヴァン神族出身でした。アース神族とヴァン神族の戦いの後、講和の証:人質として父や妹フレイヤと共にアースガルズ暮らすようになります。

アースガルズではオーディンから父のニョルズとともに犠牲祭の祭司を任ぜられます。北欧神話の神々には人身御供「ひとみごくう」がささげられていましたが、それをはじめたのはフレイです。

フレイは雨と太陽の光、それによってもたらされる大地の実りを司る豊穣と平和の神でもあり、小人の妖精ブロックからもらったどんな馬よりも速く空や海を駆ける黄金の猪「グリンブルスティ」に乗って天を駆けめぐりながら,花や果物を地上にまいてくれる…

さらに子孫繁栄を司るとされるフレイの聖獣は猪や豚そして馬 なぜなら猪や豚は多産で、牡馬もそのたくましさが豊饒のシンボルだからです。こうして古代からゲルマンの人々は冬至をむかえて行われるユールの祭りではフレイへの生贄として豚を捧げ、来たる年の豊作を祈願してきました。生贄の習慣は10世紀過ぎまで続きましたが、現代のクリスマスでも豚の形のお菓子が付き物になっているのです。

↑ ヨハンズ・ゲールツ作 『フレイ』 19世紀

↓ 2019年12月 ドイツの街角で見つけた『幸運のシンボル ピンクの子豚ちゃんたち』

フレイの愛剣は使い手が正しく賢い者であれば、使い手の元を離れて巨人族と戦い、愚かな者が使えばなまくらでした。この意思をもって自動で戦う剣の名は「勝利の剣」この世に切り裂けない物はなく、刃の輝きは太陽にも劣らないと言われています。

ある時フレイは一目惚れした巨人の女性ゲルズと結婚するため、召使スキールニルを巨人の国に使者として遣わせました。

その後スキールニルに褒美として勝利の剣を与えてしまったため、世界の終末である巨人族との戦いラグナロクが始まると、フレイは鹿の角で戦いました。しかし勝利の剣がなかったことが災いして、炎の巨人スルトに敗れて死んでしまうのです。

スウェーデン王家  

「フレイ」とは「主」の意味であり本名はユングヴィです。最初のスウェーデン王家は、彼の子孫とされ、ユングリング家を名乗っていました。

『ヘイムスクリングラ』は1220年代から1230年代初頭にアイスランドのスノッリ・ストゥルルソンが編集したと言われているノールウェーの王の歴代系譜集の総称で、スノッリによる序文に続いてスウェーデンの伝説上の王家であるユングリング家Ynglingar に始まる16編の系譜集で構成され、神代の物語から始まって12世紀の歴史で終わる北欧語板の『古事記』といえる書です。

『ヘイムスクリングラ』の序章「ユングリング・サガ」によると、フレイは司祭であり、オーディンとニョルズの死後に王権を受け継ぎ、ユングリング家の祖になったと記されています。

同書によると、オーディンは神ではなくて、人類史上の支配者 アジア方面から数々の国々を征服しながら北進し、北欧のアースガルドに至り、周辺を武力で制圧したあと、神官たちと共に供養などを中心とした習慣を大事にして民族を治めていきます。

オーディンの死後はニョルズが引き継ぎ、オーディンと同じように周辺を支配しスウェーデン王になります。そしてニョルズの死後は、息子のフレイが王になったということです。  

その後フレイは所領地のウプサラに大神殿を築き、彼の死後は妹のフレイヤや息子のフェルニルが国を支配しました。ウプサラに建てられたとされる神殿の存在を裏付ける資料はいくつかあり、それには祭りに生贄が捧げられたことが記されています。

それら史料に「病気になったらトール、戦争についてはオーディン、結婚したければフレイに犠牲を捧げよ」との記述が見られます。

実在した古代の英雄伝が語り継がれ、神話になっていったということでしょうか…。

参考文献『ヘイムスクリングラ 北欧王朝史一』スノッリトゥルルソン(著)

神話を含め、独自の宇宙観から成る宗教をもっていたゲルマン人ですが、4世紀の初め頃からキリスト教への改宗がすすんでゆきます。

とはいえ、現代に至るまでゲルマンの人々の心の中や暮らしの中に精霊信仰やゲルマン神話が存在し続けていることは偶然ではなく、その精神性がなくてはならないものだから…という気がします。

そしてそれは私たち日本人が八百万の神を感じて、敬う心をもっているのと通じているとも思うのです。