ケルトの歴史とハロウィン1  「サーウィン」が「ハロウズ・イブ」そして「ハロウィン」へ

中央アジア黒海周辺で牧畜や農耕をして暮らしていたケルト人は、すぐれた精錬技術も持ちあわせ、紀元前500年頃から鉄製武器を携え、車輪付きの馬車(戦車)を駆使して西方に移動を始めました。以後300年ほどかけてヨーロッパ全土に広がり、紀元前3世紀頃にはアイルランドにも渡ったと考えられています。

その後ヨーロッパ大陸に広がったケルト人は次第にローマのラテン民族や北方から移動してきたゲルマン民族に飲み込まれていくのですが、アイルランドは10世紀頃までローマの支配も受けず、ゲルマン民族の移動も直接には及ばなかったため、そこではケルト人たちの文化や風習が色濃く残り、継承されたのでした。

ケルトの信仰は、のちのキリスト教のような一神教ではなく、万物に神が宿るという日本の八百万信仰に近いもので特に太陽や大地に宿る神々を崇め、自然界のあらゆるものの中に霊的な存在を見出していた。その古代ケルト社会にはドルイドと呼ばれる神官が存在し、儀式やお告げを行っていたと考えられています。

サーウィン

そんなケルト人は一年を「光:太陽の季節」である『夏』と「闇の季節」である『冬』の2つとして捉えていました。

これにより古代ケルトの暦では、11月1日からが新年とされ、日本式に言えば10月31日が大晦日、11月1日が元日

その境目である10月30日から11月1日にかけては、夏の終わりを意味するゲール語「sam-fuin」から「サーウィン」と呼んで収穫祭が行われていました。

人々はその年の収穫を神々に感謝し、この日までに全ての収穫を終わらせ、これから訪れる冬を前に冬の食糧となる家畜をほふって塩漬けや燻製にして備蓄します。

ケルトの人たちは現実世界のすぐ隣に見えない霊界があるとも信じており、神や妖精と人間の住んでいる世界が近く、その境界線が非常に曖昧でもありました。

夏が終わり、冬へと移行する時期は光と闇の間にあたります。この期間は現世と霊界の境が薄くなり、死者の魂や妖精が簡単にこの世にやって来ることができると考えられ、10月31日はその往来がピークに達する日 家族の元へ帰ってくる先祖を迎えるため、その霊が出入りできるように、ドアや窓の鍵はかけず、ろうそくに火を灯し、お供え物が用意されました。

一方薄くなった境界からは悪霊やさまよえる魂、魔女など歓迎されないものもやってきます。

それらに取り憑かれると、いたずらをされたり、さらわれたりと災いが降りかかると恐れられていました。

これに対してドルイドの司祭たちは神聖な火を興し、大きな焚き火を作って悪霊を撃退し、災いを遠ざけるための儀式を行いました。

人々は家の火を消してからこの焚火の周りに集まって儀式に参加します。そして焚き火を分けてもらって持ち帰り、新年11月1日の朝にその火を灯すと、悪さをする悪霊・妖精が家に入ってこられなくなると信じられていたといいます。その炎や煙、灰は占いに使われたり、この焚き火から分けた松明を持って家屋や畑の周りを太陽の運行と同じく右回りにまわって、魔除けやお清めとした地域もあったということです。

さらに家畜が無事冬をこせるよう、家畜小屋の外に食べ物や飲み物などのお供物を置いて悪霊をなだめようとしたり、人間だと見破られないようお化けや幽霊のような仮装をして身を守ろうともしたのです。

これらの風習は、2000年のちの今日のハロウィンへと繋がるのですが、そのお話はまた後ほど…

サーウィンは日本の秋祭りと、お盆そして大晦日が合わさったようなケルト独特の行事だったのです。

セント・パトリック キリスト教を布教

432年頃 セント・パトリックがアイルランドでキリスト教の布教を始めます。その布教は、自然を崇拝する土着の信仰を尊重し、ケルトのしきたりをキリスト教の中に融合させていく方法で行われました。

 

セント・パトリックはケルトの人々にとって神聖な植物とされていた三つ葉のクローバー「シャムロックShamrock」を左手に持ち、その3枚の葉を父なる神、子なる神、精霊なる神に例え、それらが一つの茎でつながっていることを示して三位一体の教えを説いたと伝わります。

各地の王たちが集まり、祭典や儀式を行ったケルト文化の精神的 政治的中心地であり、ドルイド僧が宗教儀式をおこなっていた霊的な聖地でもあるタラの丘にも逸話が残ります。

ビョールタナというケルトのお祭りのときのこと、しきたりでは最高権力者であるケルトの上王が最初の火を灯すのですが、セント・パトリックはタラの丘に対峙するスレーンの丘の上で、タラの丘に火が灯る前に火を興し、上王や民衆を前に説教をおこなったのです。それはケルトの宗教:ドルイド教への挑戦でしたが、パトリックの興した火を前に、その説教を聞いた上王はキリスト教を受け入れます。以後パトリックはアイルランド各地を旅して修道院を設立し、学校と教会を建てて、30年間布教活動を行い、461年に亡くなりました。

その後古来ケルト人社会で儀式やお告げを行ってきたドルイドの神官が中心となってキリスト教化が進められると、ケルトの精神性や風習を色濃く残した“ケルト系キリスト教「アイリッシュカトリック」と称されるアイルランド独自の宗教観が形成されてゆきました。

そのうちの一つ キリスト教のシンボルであるラテン十字とケルトの太陽信仰や輪廻転生の思想をシンボル化した円環を組み合わせた十字架は、「ハイクロス」または「ケルト十字」と呼ばれ、ケルト文化とキリスト教が融合して独特の文化が生まれていった証とされています。ケルト独特の宗教感と美意識から生まれた組紐紋様の彫りが施されたケルト十字は9世紀頃作られ、風化が進んだものも含め、今なおアイルランド各地に多数残っています。

All hallow tide オールハロウタイド 

9世紀のヨーロッパにおけるケルト文化圏ではキリスト教が定着していたものの、人々は10月31日には祖霊を迎えるサーウィンを大切に継承し、11月1日には新年を迎えるとするケルトの信仰も色濃く残っていました。まさに現代の日本で神道による風習と、仏教に基づく行事が混在している状況にも重なるそんな状況の中、835年 ローマ教皇グレゴリウス3世によって11月1日がすべての聖人と殉教者を記念し、追悼する『諸聖人の日』または『万聖節』と定められました。

この変更はキリスト教指導者たちの思惑があってのこと…との歴史解釈もなされており、それは…

社会が混乱をきわめた軍人皇帝時代のローマでは、キリスト教が人々の心をつかみ、信者が増えていきましたが、神の前での平等を重んじたキリスト教徒は、時に皇帝崇拝さえ拒否したため、激しい弾圧を受けました。そのキリスト教が392年にローマの国教に認められると、それまで弾圧に屈せず信仰を貫いた多くの殉教者は教皇によって聖人と認められ、その命日には祈りが捧げられるようになります。

聖人の数が多くなった609年 教皇ボニファティウス4世は復活祭後の金曜日を聖母マリアと全ての聖人と殉教者を記念して追悼し、祈りを捧げる日『諸聖人の日』と定め、5月13日にミサを行います。以後 それは恒例となって、その後200年継承されていくのですが、835年 ローマ教皇グレゴリウス3世によって5月13日の『諸聖人の日』は11月1日に変更されることに…。

理由は断定されていませんが、キリスト教を受け入れたものの、依然ケルトの人々が継承し続ける『サーウィン』と「諸聖人の日」を同日にすることで異教の風習を無くし、カトリックの行事に統一させようとの思惑があったと考えられているのです

諸聖人の日は英語で『All Saints’ Day』もしくは古い英語で聖人を表したHallowから、『All Hallows’ Day』『All Hallows』と呼ばれています。

さらに998年にクリュニー修道院院長のオディロンによって11月2日が、信仰を持って亡くなったすべての人を対象に祈りを捧げる『All Soul’s day』「死者の日」または「万霊節」とされると、11世紀には広く行なわれるようになりました。

その後10月31日が前夜祭として加えられ、10月31日から11月2日までの3日間は『オールハロウタイドAllhallowtide』と呼ばれて殉教者、聖人、亡くなった敬虔なキリスト教信者を弔う期間となったのです。

こうしてカトリック教会の行事が改変され定着化していくと、…キリスト教指導者の思惑通り…ヨーロッパ大陸に暮らすケルト人たちのサウィンの風習は次第にカトリックの行事と融合し、吸収されて、この時期 菊の花をたずさえてお墓参りに行き、お墓の手入れをする習慣が出来上がっていきました。

La Toussaint :諸聖人の日 (1888)エミール・フリアン 

Hallow’s Eve ハロウズ・イブ

しかしアイルランドなど一部地域では、サウィンSamhainは All Hallows’ Dayの前夜 『Hallow’s Eveハロウズ・イブ』と名前を変え、「諸聖人の祝日」と融合しつつ古代からの風習を残して続けられていきます

その過ごし方はといいますと、古来通りドアの鍵をかけずにキャンドルを灯し、ご馳走やお供物を用意して家族のもとに戻る先祖の霊を迎える。

歓迎しない悪霊の災いから逃れるため、仮装してその目を眩ます。

さらに子供に悪霊に扮してもらってお菓子を渡し、霊を歓待した事にしてその機嫌をとりなす。

この時の子供のセリフは「Treat me or I’ll trick you.」

「Trick」は「たくらみ」や「悪ふざけ」などを意味し、「Treat」は「待遇する」「大切に扱う」「もてなす」などの意味を持ちますから、この言葉は「私を歓待しなさい。さもなくばお前を惑わしてやろう」という悪霊の脅し文句  惑わされては大変!お菓子を渡してご機嫌をとろうというわけです。

そして夜になると町の人たちが集まって大きな焚火を囲みます。悪霊を追い払い、新たな年の希望となる焚火には昔ながらにほふった動物の骨をくべる…この風習が英語で焚火を意味する「bonfire」の由来になったと言われます。

そして、灯火を家に持ち帰り、大きなスウェーデンカブをくり抜いて作った『ジャック・オ・ランタン』に入れて灯す。

「ジャックのランタン」その名はアイルランドの古い民話が元になっているのですが、そのお話はといいますと、“ 悪事ばかり働いていたジャックという男が、生前自分の魂を狙った悪魔と「死んでも、地獄に落とさない」という契約を結びます。ジャックは死後、生前の行いから天国へ行くことはできず、悪魔との契約のせいで地獄に行くこともできない。行き場を失ったジャックはくり抜いたカブの中に火を灯し、今も彷徨い続けている ”というもの

その夜は、さまよえるジャックの見守る中?、主食であるジャガイモに加え、収穫したばかりのカブやりんごを使った『コルカノン』や『ルタバカ』『バーンブラック』『クラウディ』といった郷土料理が並ぶ食卓を囲んだ宴が催され、この宴の後は、儀式やゲームなどが続きました。この儀式やゲームの主旨は、ズバリ!「死」や「結婚」に関する占い!! それには身近にあるモノたちが利用されました。

先ずはりんご🍎を使ったゲームから…

🍎『アップル・ホビング Apple Bobbing』または 『ダック・アップル Duck Apple』

水を張った大きな盤にリンゴを浮かべ、両手は後ろで組み、前屈みになって、水に浮ぶりんごをガブリ!口でくわえて取るゲーム 子供達のお遊びかと思いきや、未婚の女性達がゲームに挑み、りんごを一番早く食べられた人が最初に結婚できるとされ、熱き戦いが繰り広げられていたということです。

🍎スナップアップル』 かつてはもっと危険を伴うゲームも!それは…

吊り下げられた角材の棒の片側にリンゴを、もう片側には火のついた蝋燭を付けて回し、蝋燭の火をうまくかわしながらリンゴにかぶり付いて奪い取る!というもの

「スナップアップル・ナイト」ダニエル・マクリース画 1933年 ロンドン

空中をくるくる回るりんごに果敢に挑む若者の手前には、りんごを浮かべた大きな木桶を囲んでアップル・ホビングに夢中になっている少年たちが描かれて、100年前 のハロウズ・イヴの夜の賑やかさが伝わってくるようですね。「スナップアップル・ナイト」火傷や火災の危険を伴うこのゲームは現代では見られなくなっているようですが、日本でいうパン喰い競争のように、ロープを張り、リンゴを横並びにぶら下げて、それに向かって「よーいドン!」 🍎🍎🍎🍏🍎かぶりとって速さを競う…なんていうゲームは人気継続中 あちこちで行われています。

🍎『りんごの皮占い』先ずリンゴの皮をリボンのように長く、途中で切れないようにむく →  その皮を左の肩腰に投げる → 地面に落ちたりんごの皮の形どる文字がこれから現れる恋人や伴侶のイニシャル

🍎りんごの種占い』こちらはリンゴを半分に切って、その断面にいくつ種が見えるかで運勢を占うというもの見える種が2つなら結婚が近い そして種が3つなら金運に恵まれる。

🍎『りんごの鏡占い』ハロウィンの夜 未婚の女性がリンゴを持って鏡の前に立ち、そのリンゴを食べるか切り分け→ そうして鏡を覗き込むと最愛の人の顔が鏡に映る。・・・ランタンの灯火で過ごす薄暗い部屋の鏡にはロマンティックな景色が映ったのかもしれませんね。

🥜🌰『ナッツ炒り:バーニング・ナッツ』秋にたくさん実るくるみやヘーゼルナッツ類は長い冬の間の貴重な食料でした。霊力がマックスになるハロウズ・イヴにはそんな木の実も占いに利用されて… 先ずヘーゼルナッツを2つ用意し、それぞれに占いたい相手の名前をつけます。→ その2つを炎の中に投げ入れて → 長く炎をあげていた方が本命のお相手 !

🥬『ケール占い』18、19世紀頃のアイルランドやスコットランドでのこと…ハロウィン当日の朝家族みんなでケールの畑へ出かけて行き、…その時ばかりは畑への入り方にもお決まりがあって、 後ろ向きに入らなくてはいけないとか、目隠しをして入らないとダメとか… それからケールやキャベツを引き抜いて、出てきたケールの茎の形がポイントです! 茎が大きくてまっすぐかどうか、あるいは茎をかじってみて味が甘いか酸っぱいかなどで、きたる年の豊作や将来の伴侶の性格を占ったのだとか。

食卓に並べるお料理にも占いの趣向が仕込まれました。『コルカノン』や『バーンブラック』の中に潜ませたものから、(左)コルカノン、(右)バーンブラック  

指輪が出たら、一年以内に結婚する。

コインが出たら、お金持ちになれる。

豆が出たら、この先一年は結婚出来ない。

木切れが出たら、結婚生活がうまくいかない。

布切れが出たら、貧乏になる…

さらに、未婚の女性がアツアツに溶けた鉛を水に流し込み、固まった鉛の形から、将来の夫に関する手がかりが得られると信じられていた…

ハロウィーン・ナイトは一年に一度、あの世とこの世がつながる神秘の夜

だからこそ、古くからこの日は、人間には計り知れない何か不思議な力が働き、霊力が高まると考えられて占いや予言を行う風習ができていったのでしょうね。

幸せな結婚と経済的安定が人々のいちばんの願いだったことが伝わります。

 

気になるのはハズレくじの多いこと… おみくじで「凶」がでるのでさえ怖がる私には楽しめそうにない占いづくしのハロウィンです。