ジョニー・アップルシード🍎

1774年アメリカ合衆国マサチューセッツ州レミンスターで生まれたジョン・チャップマンJohn Chapman は、「ジョニー・アップルシード」の愛称で呼ばれて、アメリカでは知らない人はいないフロンティアマンのヒーローです。

この頃のアメリカは大西洋に面した東海岸にイギリス人が入植して植民地が形成され、それぞれ自治を行っていたのですが、1773年には移民たちの母国イギリスが行った不当な課税に対する反対運動がボストン茶会事件に発展 さらに 1775年からは独立戦争が始まる… ジョン・チャップマンが生まれたのは、まさにアメリカ合衆国がうぶ声をあげんとする時期にあたります。

彼の子供時代の生い立ちについて知る由はないようですが、成人すると西部の開拓地一帯を、りんごの種を蒔いてあるいたとして歴史に名を残しています。

開拓当初「西部」と呼ばれたエリアは現在のアメリカ東部から中西部にあたり、原住のインディオの人々が散住する未開の地 西部へ領土を拡大しようとするイギリス本国の思惑や、暮らしやすい新天地を求める開拓者達と、先祖代々の土地を守ろうとするインディアン達との争い さらに獲得した西部の利権をめぐる開拓者同士の争いがひしめいて「ワイルド・ウエスト」と呼ばれる無法地帯でした。

そんな西部に現れた彼はコーヒー豆用の麻袋を外套にしてまとい、鉄製の粥鍋を帽子がわりにかぶり、素足で歩いて旅を続け、りんごの種を蒔いて回ったと伝わります。帽子として使う鍋は、煮炊きに使う鍋にもなって、まさに身一つでの開拓生活

その足跡はペンシルベニア州 オハイオ州 インディアナ州 イリノイ州 ケンタッキー州へと広がり、その後には彼の蒔いたりんごの種が育ち、その実は入植者や新天地を求めて旅する開拓者の食料となりました。

1871年発行の『ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン』誌掲載のジョニー・アップルシード

 

その生涯は小学校の教科書の教材となり、命日である9月26日は「ジョニー・アップルシードの日」として各地で偉業を讃えるお祭りが開かれて、それは時を超えてますます盛んになり、広がりをみせている様相です。

1948年公開のデイズニーアニメ『メロディ・タイム』の中では『リンゴ作りのジョニー (The old settler Johnny Appleseed and Johnny's angel)』として描かれてもいます。

開拓者たちがどれだけそのりんごの恩恵を受けたかに思いを馳せる伝承にとどまらず、パイオニア精神の熱がそのまま伝わるアメリカ独特の文化といえそうなお話

こうしてアメリカ開拓史に名を残す功労者として伝説化され、ジョニー・アップルシードの愛称で呼ばれるようになったジョン・チャップマンですが、その実像は 

1792年西部開拓の一旦を担っていたオハイオ共同会社が、3年以内に50本のりんごの木と20本の桃の木を植えることを条件に100エーカーの土地を与えるとする入植の斡旋策を公表 実施し始めます。それを受けてジョニーは開拓の最前線でりんごの種や苗、またりんごの木を植えていきます。植樹が進むとその土地を新たな入植者に売っては、次の土地に移って開墾し、植樹活動を行う…

この頃のりんごは食用にもされますが、先ずは保存のきく発酵アップルサイダーを作るために使われました。飲み水の浄化システムが整備されていない当時 生水は不衛生で、飲料には適しませんでした。そんな状況下でりんごの実を絞った果汁をいったん煮沸してから発酵させて作るアップルサイダーは安全性が高い上、長期保存できましたから、まさに『命のジュース』人々の健康を守り、開拓生活を支える命綱だったのです。

りんごの木はミズーリー州からオハイオ州まで植えられて、ジョニーのりんごはアメリカ中に広がりました。裸足で大地を踏みしめながらりんごの種を蒔いて歩いたジョニーはアメリカの人々に忘れることなく語り継がれる永遠のヒーロー

ジョニーの時代から100年 幌馬車で大草原の各地を移り住みながら、開拓時代を生きたローラ・インガルス・ワイルダー一家の暮らしの中で、かあさんの作るアップルパイはなによりのご馳走でした。ワイルダー一家が食べたりんごもジョニーが植えた木に実ったものだったかもしれませんね。

『ジョニー・アップルシード―りんごの木を植えた男 』リーブ・リンドバーグ著、キャシー・ジェイコブセンのイラストより