お菓子の家  Hexenhaus

日本で『お菓子の家』といえば、絵本『ヘンデルとグレーテル』の魔女が住む家として幼い日に親しんだ人が多いのではないでしょうか。そして近年クリスマスの風景に欠かせない存在になっていますね。

さまざまな夢と空想を膨らませて作られたお菓子の家がケーキショップの店先を飾り、パーツごとに焼かれたクッキーを接着して組み立てるばかりになった家庭用キットも各種販売されて人気です。

プロポーズには欠かせません!

童話の中では子供を食べてしまう怖い魔女が暮らすというのに、大人も子供も甘い夢を託してしまう『お菓子の家』…もとはといえば200年以上も前のドイツでスパイスケーキ:レープクーヘンをパーツに使って作られていた創作菓子建造物?でした。

そのお菓子の家は当時ドイツやその周辺諸国の村や町の縁日にたつ屋台の棚を飾る人気商品で、そのサイズたるや大人の男性が両手で抱えるほどのものもあり、クリスマスに限らず年間を通して生産販売されていた…と、その様相は現代とはだいぶ違っていたのです。

お菓子の種類がまだ少なかった19世紀 ヨーロッパの村や町の縁日にたつ屋台では、ハート、赤ちゃん、動物や家形など様々な形のレープクーヘンが店先を飾り、人気を集めました。中でも一番人気はハート形!

三角や四角に焼き上げたレープークーヘンを壁や屋根のパーツにして組み立てた『クーヘンハウス:お菓子の家』も人気商品で、当時は男性が思いを寄せる女性に『クーヘン ハウス』を贈り、女性がハート型のレープークーヘンをお返しする…それがプロポーズのお決まりセレモニーでした。

この甘くてスパイシーな愛の交換は文学の中にもみることができます。

スイスの作家ゴットフリート・ケラー(Gottfried Keller, 1819~1890) が1856年に表した『村のロメオとユリア』で、親が敵同士という星の下に生まれた青年サリーと娘フレンヒェン、二人は村祭りに出かけ、サリーがフレンヒェンにレープクーヘンでできた大きなお菓子の家をひとつ買って贈ります。フレンヒェンはお返しにハートを一つ贈ることにするのですが、そこにはこんな言葉が貼ってありました。「このハートに秘めた甘いアーモンド でも、もっと甘いのは、私の愛!」… 

恋人同士の将来の新居を想わせる甘くスパイシーな香りのおかしの家のプレゼント そしてそのお返しのハートには熱い愛のフレーズまで付いて、レープクーヘンはプロポーズの必須アイテムだったのです。

お菓子の家は魔女の家

1812年 ドイツでグリム兄弟編纂による『グリム童話集』初版本が発刊されます。その後 童話集はグリム兄弟の生前に7版を重ねますが、『ヘンゼルとグレーテル』はその全版に収められ、その中で「お菓子の家」は魔女の住む家として登場しています。

Kinder- und Hausmärchen 第1巻(第2版)タイトルページとルートヴィヒ・グリムによる口絵「兄と妹」https://ja.wikipedia.org/wiki/グリム童話 ↓

森の中で魔女が住む家…初版本の描写には「その小さい家は全部パンで建てられ、屋根はパンケーキで覆われていました。そして窓は白いお砂糖でできていました。」とあり、当時お祭りや縁日の屋台を飾っていたお菓子の家はレープクーヘンで作られていたのですが、グリム兄弟は童話の中のお菓子の家の屋根や壁の材料を「パンとパンケーキ」と著し、「レープクーヘン」の言葉は使っていません。

同時期のドイツでは口承で伝わる昔語りを書き留めて後世に伝えようとする機運が高まっており、グリム兄弟の他にも数種類のメルヒェン集が刊行され、よく読まれていたようです。

兄妹合作オペラはロングセラー

そうして知られることとなった『ヘンゼルとグレーテル』を参考に、我が子のクリスマス劇のために台本を書いた女性がいました。ケルンに住んでいた医師の妻アーデルハイト・ヴェッテです。

グリム童話は、13世紀ドイツ中部の農村の生活をもとに語り継がれた話を聞き取り、編纂したもので、『ヘンゼルとグレーテル』は、飢饉のため明日の食べ物に困った夫婦が、我が子を深い森に置き去りにするところから始まります。

教育熱心な母アーデルハイトの道徳観としては、子供劇の台本に子を捨てる冷酷な両親を登場させることは許せなかったのでしょう。そこで彼女は「言いつけを守らなかったため、その罰として母から森へイチゴ摘みに行くよう命じられた子供達が森の中で道に迷い、そこで眠ってしまう…」と、お話を一部修正し、ハッピーエンドの脚本を書き上げました。

その後アーデルハイトはフランクフルトで音楽活動をしていた兄フンペンディンクにその脚本に曲をつけてくれるように頼みます。すると兄は小さい歌曲やデュエットを数曲書き、「子ども部屋のクリスマス劇」という題を添えて妹家族にプレゼントしてくれました。その年のクリスマス ケルンのヴェッテ家では母アーデルハイト脚本、叔父フンペンディンク作曲のオペラ『ヘンゼルとグレーテル』が子供達によって演じられたに違いありません…♫

その後 フンペンディンクは妹の脚本を本格的なオペラに発展させます。そしてそれは1893年12月23日ワイマール国民劇場でリヒャルト・シュトラウスの指揮で初演される運びとなり、大成功を収めます。

最初の1年間に50以上の劇場で上演されたというのですから、まれに見る大ヒットでした。

フンペンディンクのオペラ『ヘンゼルとグレーテル』は初演以来大人も子供も楽しめるクリスマスの贈り物企画として定着し、毎年11月の待降節に入ると歌劇場のある街で上演される人気演目となってゆきます。以来100年余りの年月を経て、グリム童話に加え、このオペラのおかげで、その昔 縁日に屋台の棚を飾り、プロポーズの必須アイテムだったお菓子の家は魔女の家となり、オペラの上演時期のイメージが定着したことでクリスマスを飾る創作菓子になったのです。

それに連れて『クーヘンハウス』:「お菓子の家」は『ヘクセンハウス』:「魔女の家」と呼ばれるようになり、お話の故郷ドイツでも現在は『ヘクセンハウス』の方が一般的となっています。     *ドイツ語の魔女「Hexe」から「Hexenhaus」です。

グリム兄弟の描いたお菓子の家は「その小さい家は全部パンで建てられ、屋根はパンケーキで覆われていました。そして窓は白いお砂糖でできていました。」と表されていますが、アーデルハイトの脚本では、全三幕の内 三幕二場に登場し、

グレーテル「見てよ、なんてきれい! あのお家クーヘン とトルテでできているわ!」

ふたり「あの高い屋根にフラーデンやトルテがのっている!窓は本物 キラキラ光るお砂糖。あの切妻にしっとりとした干しぶどうがずらっと並んでいる! 信じてよ 本当にレープクーヘンの垣根がぐるっとまわりに見えている!」と描写されています。

*クーヘンKuchen当時菓子全般を表して使われました。

*トルテTorte:当時のドイツでは小麦粉、バター、卵で作った生地を小さなカップ状に焼き、中に果物やジャム、カスタードなどを詰めたもの

*ファラーデン:平たく、薄く焼いたパンの総称

グリムの小さく簡素な『お菓子の家』がアーデルハイトの脚本では立体的で色彩豊かな広がりのある家に描かれ、印象もずいぶん変わって、舞台映えしそうですね…

グリムは『ヘンゼルとグレーテル』をヘッセン地方の話とする自筆メモを残しています。この地方の典型的な家屋様式といえば、白い漆喰壁にこげ茶色の木骨が見えるスタイル。アーデルハイト・ヴェッテはこのヘッセン様式に従って、干しぶどうを並べることで木骨を表したとする考察も発表されており、なるほど… そして、垣根にレープクーヘンが登場しているのにも注目したいところです。

↑ 木組み建築のヘッセン州オーバーロスフェの郷土博物館     by whkipedia

それがオペラの舞台となると、お菓子の家はそれぞれの劇場で趣向をこらし、地方の特色も反映させて、さらに華やかに、幻想的にそして美味しそうに…舞台装置家のロマンを実現させる舞台の主役になっていったのです。

世界に広まったお菓子の家はノルウェー ベルゲンで1991年から毎年開催されている『ペッペルカーケ・ビーエン』で世界最大のジンジャーブレッドシティの祭典に発展し、

ドイツ人開拓者が携えて渡ったアメリカでは、1970年以来クリスマス時期になると、ホワイトハウスのダイニングルームにジンジャーブレッドでできたホワイトハウスが飾られ、国賓を迎えて晩餐会が行われるのが伝統になっています。

史上最大のジンジャーブレッドハウスのギネス世界記録に挑戦するパン屋さんやチームも後をたたず…

200年前 屋台の棚を飾っていたお菓子の家は、どんな夢も受け入れる、限りなく美味しい家に変身を遂げているようです。そして、その進化はこれからも…

もちろんドイツ国内でも大変に愛されており、クリスマスシーズンともなると、街のあちらこちらで見かけ、その人気のほどを知ることができます。(左)ザクセン州ペファークーヘン 博物館所蔵の抜き型(右)ショップのショウウインドウに飾られたペファークーヘン製ヘクセンハウス↓

(下)レープクーヘン製の『ヘクセンハウスキット』ドイツ南部の都市ミュンヘンのショップにて撮影

アルザスのパン・デピス店『メゾン・デュ・パンデピス リップス』博物館にて↓

ドレスデン マルクト広場で開催されたクリスマスマーケットに出店中の屋台にも…↓

200年の時をさかのぼり、お菓子の家が故郷ドイツでたどってきた歴史を紐解くと、レープクーヘンで作られて屋台の人気商品だったお菓子の家が、民話「ヘンデルとグレーテル」の中で魔女が住む家となり、それがクリスマスのプレゼント演目としてオペラ化されたことで華やかできらびやかな夢のある家として世界へと広まっていった…今となってはお菓子の家の故郷ドイツでも忘れられているような展開が見えてとても興味深いテーマとなりました。…人々に夢を与えてくれるその原動力になったのはお菓子の家がもつ甘い魅力に違いありません。…これからのお菓子の家もまた楽しみです。