食べるお茶と飲むお茶

昨今の日本における飲料は百花繚乱!世界中から様々なお茶が運ばれ、楽しむことができますね。とはいえ不動の人気トリオは緑茶・紅茶・烏龍茶。この3種 香りも味も水色も違いますが、原料に使われる葉は同じ「茶の木」から摘まれ、製茶の仕方によってそれぞれの個性をもつお茶になるのです。その木の学名は『カメリア・シネンシス』 カメリア は「椿」、」シネンシス は「中国産の」を意味した言葉です。

1965年7月 中国 雲南省の最も南に位置する『西双版納シーサンパンナ』の山中で研究者からなる調査隊が樹齢800年の老木を確認し、彼の地が原産地とされました。

「茶樹王」と名付けられたその樹は周囲2m70cm 樹高は3m~4mで、葉は15cmほどもあったと報告されています。発見された当時はまだ茶摘みができるくらい葉が茂っていたのですが、1995年に枯死してしまいます。今はそのすぐ横に樹齢500年ほどになる茶樹王の子孫が立派な姿を見せているものの、この付近で樹齢500年の茶の樹はそう珍しくもないため、特別な扱いもなく見物客もまばら…

この地域は亜熱帯にあたり、日中の気温は一年を通じて25℃前後 陽射しが強くバナナやパパイヤ、マンゴーが実り、野生の象も出没する南国です。3000年余の昔から少数民族が分散して暮らし、森や山中に自生する茶樹からその葉を摘んで、利用していたと考えられています。揉んだり、煮たり、焼いたり工夫して、それはお茶としてのみならず、栄養豊富な健康野菜として利用されてきました。現地では今でも「食べるお茶」も健在!「飲むお茶」も昔ながらの飲み方が継承されています。右はタイ族の村の景色です。手前はサトウキビ畑 その向こうにバナナが茂り、高床式住居の屋根が見えます。→

食べるお茶

中国西南部の雲南省からタイ北部、ミャンマーにかけての地域では、茶葉を漬け込んで発酵させて食べる習慣があります。

雲南やタイでは「ミエン」と呼ばれ、摘んだ茶葉を蒸し、揉んでから竹筒や大きな樽などにぎっしり詰めこんで密封し、重石をし、3ヶ月から半年ほど自然発酵させて作られます。

自家製で軽く蒸し焼きにした茶葉を竹筒にぎっしり詰め込み、バナナの葉で蓋をしたら粘土で覆って密封し、土の中に埋めて発酵熟成を待つ昔ながらの作り方を継承しているブラン族のような部族もあれば、近年は工場生産された品も流通販売され、「薬効豊富で長寿をもたらす食品」として食卓に欠かせない伝統食です。

ミャンマーでは『ラペソー』と呼ばれ、盛りつけ専用の器も売られているほどお馴染みの食材で、真ん中にラペソーを入れ、そこから放射状に仕切りをつくってピーナッツ、揚げにんにく、干しエビ、ゴマなどを盛りつけます。これらをラペソーと混ぜ、塩少々を加えてからココナツオイルやゴマ油であえるのが一般的な食し方。現地で穫れる白米、赤米、紫米などを炊いた米飯に合わせておかずにしたり、サラダや炒飯の具として使ったり、食後にお茶と合わせて食べたりとまさに国民食。袋詰めや瓶詰めに加え、スーパーでは量り売りコーナーが盛況です。↓(左)真ん中にラペソーを盛りつけます。(右)袋詰めされ販売されるラペソー

飲むお茶

お茶としての淹れ方も様々です。

『竹筒茶』 茶葉をバナナの皮で包み、竹を細く割った紐で縛ってかまどの火の中に10分ほど置いて焼き上げます。次に蒸し焼きにされた茶葉を取り出し、口を斜めに切った青竹に入れ、水をいっぱいに注いで、再び火にくべ、沸騰するまで煎じて竹筒からコップに注ぎ入れます。「飲めばお茶、食べればおかず」で、茶葉ご飯のおかずとして食されます↓。

*西双版納の少数民族の多くはいろいろな竹筒茶を作り、飲んだり、食べたり、保存用に加工しています。また竹筒に詰め込んだ茶葉はしっかりと固まるので、竹を割って取り出し、運搬に便利な「磚茶:タンチャ」としても重宝されています。

『涼拌茶:リャンバンチャ』 摘んだ茶葉をよく揉み、たたき潰した生姜、にんにく・唐辛子・八角等とともに竹を半分に割って、節を利用して作った器に入れて合わせ、塩を少々振ります…そこに沸かしたお湯を半分ほどまで注いだらしばらく置き、飲み且つ食べるのはジノ族、ハニ族など…

『土鍋茶』 焙烙(ほうらく)の中で生の茶葉を煎ってから、熱湯を注いで飲みます。…ハニ族

人々と共に移動して…

茶の葉を食べ、飲んだ雲南の少数民族の人々はより豊かな土地をめざして居住地を転々と移して暮らしてきました。国境などなかった時代彼らは家畜や作物などと共に茶の種や苗木も携え、行った先で茶の木の種を蒔き、移植栽培して利用したのです。

西双版納に住むハニ族によって植えられた「茶樹王」も800年前地元民によって植樹された木ですが、雲南の地に自生していた茶の木は人々の移動に伴って広く各地に運ばれたと考えられます。

北に進路をとると、もともと亜熱帯で生育していた茶の木にとっては冷涼な気候が待っていました。そんな環境下で茶の木は樹高を低く、葉を小さく薄く硬くすることで、耐寒性を身につけて順応 徐々に生育可能の北域を広げ、平安時代の日本にも種が運ばれ、栽培が始まっています。

西双版納の少数民族の中でも人口の多いタイ族を中心に南、東、西に移動していった民族は、南はタイに、東はラオスに、そして西進してミャンマー、インドのアッサムにまでも至りますが、彼らもまた茶の種と苗木を携えて移動し、その飲み方、食べ方、利用の仕方を伝えました。この移動により、茶樹はより高温かつ湿潤な気候を得て、樹高は高く、葉は大きい特性を持つようになっていきました。

現在 長年かけて作られた茶樹の特性により、茶樹は大きく2つのグループに分けられています。

カメリア・シネンシスの2変種『中国種』と『アッサム種』

『中国種』樹高は3m以下で耐寒性に優れている。葉は小さく硬く繊維質 酸化酵素の含有量が少ないため発酵力が弱い。抽出すると水色は淡いものが多く、香りや風味は繊細

『アッサム種』樹高は18~25mにまで達し、葉は大きく厚く柔らかい。酸化酵素を多く含み、活性が非常に強いため、発酵しやすい。お茶にして抽出するとやや黒味がかった深い赤色で、味は濃厚で芳醇な味と香りをもつ。(左)アッサム種と中国種の葉の大きさの対比です。(右)インド アッサムの茶園にて撮影した芯芽と二葉↓

日本に渡ってきた茶の木

日本にお茶の種や栽培技術、喫茶法をもたらしたのは、奈良時代から平安初期の頃 遣唐使として中国に渡った僧侶たちでした。

この頃中国は唐の時代で、揚子江周辺をはじめ各地にお茶の産地が形成されていましたが、お茶は最先端の飲み物で、陸羽(733~804)が世界初のお茶の専門書『茶経』を世に出したことでますます盛んになっていたのです。『茶経』は、3巻10章から成り、その内容はお茶の起源、歴史から製造具、茶道具、いれ方、飲み方、産地、心得にまで及びます。当時の固形茶『餅茶 へいちゃ』の作り方や飲み方についても詳しく書かれており、「摘んだ茶葉を蒸し、搗いて円盤形の型に入れて成形 その後日干し、火で炙って乾燥して保存 飲用する時は、それを削って粉砕し、塩を入れた湯に加えて煮た後、器に入れて飲む」とあります。

804年の遣唐使として中国に渡った最澄と空海も滞在中にお茶に出合い、それぞれお茶の種を持ち帰り、製茶法を伝えていますが、その後100年もすると遣唐使が廃止され、日本におけるお茶の栽培や喫茶は一部上流の貴族や僧侶の間で静かに受け継がれることになりました。

茶祖 栄西禅師

中国は宋の時代となり、宋に渡って禅宗を学んだ栄西(1141~1215)は、修行のかたわら茶の効用や作法を研究し、1191年に茶種を携えて帰国 日本初の茶の専門書『喫茶養生記』を著してお茶の知識や効能を説きました。「吾妻鏡」によると1214年栄西は深酒の癖のある将軍源実朝に二日酔いにも効く良薬としての茶に添えて喫茶養生記を献上したとあります。

「喫茶養生記」にある喫茶法は宋で流行していた「抹茶法」で、餅茶を削り、薬研という道具を使って粉砕し、それにお湯を注ぎ入れ、茶筅で泡立てて飲んでいた様子がわかります。この喫茶法はその後本家の中国では消滅してしまうのですが、日本では独自の発展を遂げることになります。茶葉は石臼で挽くことで粉末になり、16世紀には千利休によって洗練されて今日に至る抹茶のルーツとなっています。

栄西は茶の栽培にも取り組み、宋から帰国後九州の脊振山(せふりさん)で茶の栽培を始めています。こうして茶の普及と奨励に務めたことにより栄西は日本における茶祖といわれ、栄西禅師が臨済宗の開祖として京都に開いた建仁寺では、その命日行われる栄西忌では裏千家の家元が点てたお茶が栄西像の前に供えられ、生誕の祝いには「四頭茶会」が古式ゆかしく行われています。八坂神社、祇園にも近い建仁寺にて↓

栄西禅師から禅の教えを受け、茶の功徳を学んだ僧 明恵上人(1173~1232)は、栄西から茶の種を譲り受け、1207年 京都の栂尾高山寺にその種を播いて栽培を始めます。さらに禅師は宇治にも苗木を移植して量産を図り、各地で『茶の十徳』を説いて茶を奨励し、栽培を勧めます。こうして鎌倉末期から南北朝にかけて、寺院を中核とした茶園は伊勢、伊賀、駿河、武蔵にも広がっていきました。

*高山寺には茶種を入れて栄西から届けられたという『漢柿蔕茶壺 あやのかきへたちゃつぼ』が伝えられ、今でも毎年11月になると明恵上人に新茶を献上する法会「献茶式」が、境内にある開山堂で催されています。

京都駅バスターミナルから市バスに揺られて50分ほど 終点で下車すると高山寺登山道入口です。山1つ社領の境内を空を覆うほどの木々を仰ぎ見ながら進むと、中腹に日本最古の茶園が広がります。↓

建保四年(1216)に建立された境内最古の建築物「石水院」では善財童子の像、上人が座右に置いていた子犬『狗児そして鳥獣戯画のレプリカを拝顔することができます。表情豊かな小さな2体の像…しばし引き込まれてしまう愛らしいオーラーがたっぷり溢れて心に残り、目にも残る空間が広がります。

お帰りのバス路は『北野天満宮前』で途中下車してみませんか?狭いエリアに楽しみいっぱいのお勧め散策ルートをご紹介しますね。先ずは天満宮をお参りをして、鳥居左脇の梅園もひと巡り。その後上七軒通りをそぞろ歩き、腹ごしらえはポルトガル料理とお菓子の『カステラドパウロ』さんで、お茶をするなら粟餅所『澤屋』さん 

さらに足を伸ばして七味唐辛子の『長文屋』さんへも是非!オリジナルブレンドの七味は山椒の香りが際立って、京を感じるお勧め品 さらに好みを伝えてオリジナルブレンドを調合してもらうことも可能です。こだわりの山椒は香りもさることながら、その色の美しいこと!講座で『七味唐辛子』を調合する際にこちらの材料を使わせていただいているご縁もあって思い入れのあるお店です。

初めての訪問ではご主人の手際の良さに見とれたものでした。近頃はご子息がお店に立たれているようですが…  ↓ご主人(右)長文屋さんこだわりの紀州の山椒