Lebkuchen  ープクーヘン

「最も古い歴史を持つお菓子の1つ」とも言われる『レープクーヘン』は、ドイツ南部 バイエルン州の古都ニュルンベルクで700年以上作り継がれてきたスパイス菓子です。

ニュルンベルクは交通の要衝地でしたから、そこで作られた『レープクーヘン』はヨーロッパ中に運ばれて人気を得、各地でスパイス菓子が作られるようになっていきました。

            『ペファークーヘン』 の誕生

1296年 バイエルン州 ウルム のテーゲルンゼー修道院で書かれた「麦の粉に蜂蜜とスパイスを混ぜて生地を作り、『ペファークーヘン 』を焼いた…」とする手稿本がドイツに残る最も古いスパイス菓子の記録です。

ドイツ語でケーキは『クーヘン』 そして当時 胡椒に限らず、スパイス全般を「ペファー」または「ペッパー」と呼んでいたことから『スパイスケーキ』は『ペファークーヘン』と呼ばれたのです。

蜂蜜と麦粉を練ってお菓子を作ることは古代エジプトの頃から行われていましたが、「スパイスを入れた…」とする記録は初めてのもので、近隣住民たちの病院や薬局的な役割も担いっていた修道院の修道士たちが、スパイスの薬効に期待して、それを上手に摂取させる方法として考案したものでした。

「麦粉」と「スパイス」、「蜂蜜」を練って、平たく成形して焼いた『ペファークーヘン 』は大変に硬いものの、香りが強く、それだけでは食べやすいとは言えないスパイスも、蜂蜜と合わせると相性がよく、ケーキの風味を引き立てて、「美味しい!」と好評を得たのでした。さらに保存性が高いことも魅力で、当初は医薬品として修道院の病院や、街の薬局におかれたと伝わります。

         ニュルンベルクで『レープクーヘン』に…

ほどなくして同じくバイエルン州ニュルンベルクの修道院に『ペファークーヘン』が伝えられると、独自の進化発展を始めます…

 ニュルンベルクは交易路が交差する要衝の地で、古くから南ドイツの商業の中心地として盛えていましたが、1219年に神聖ローマ帝国直轄の都市となり、皇帝ハインリヒ3世がカイザーブルク城を築城したことで、ますます繁栄…『ペファークーヘン』に使われるシナモン、ナツメグ、カルダモンなど遠くセイロン島やインド、インドネシアを原産地とするスパイスも大量に運び込まれていました。

写真は丘の上に建つ皇帝の居城『カイザーブルク城』と、眼下に広がるニュルンベルクの街並み 2019年12月沈みゆく太陽の残照を惜しみながら撮影したものです。↓

さらにニュルンベルクは街を取り囲む帝国領の森で 蜂蜜採集職人:ツァインドラーが仕事に励み、大量の蜂蜜や蜜蝋を供給して「神聖ローマ帝国の養蜂園」というニックネームでも知られるほどでしたから、『ペファークーヘン 』作りにおいて、蜂蜜の調達にも地の利を得ていたといえます。

1507年ニュルンベルクの聖ローレンツ教会に残る祝宴の食材記録によると、蜂蜜の価格はビールの40倍!遠路運ばれて来るスパイスにいたっては、シナモンがベーコンの約100倍、ナツメグは75倍、サフランは315倍…と大変に高価でした。こうなると『ペファークーヘン』は「甘い宝石」とでも言えそうですが、交易によって富をなした商人たちは徳を積み、死後天国へゆくことを願って教会への献金や寄進を惜しみませんでしたから、それを後ろ盾に財力をもっていた修道院では、豊富に使える材料を用いてペファークーヘン作りが盛んに行われるようになり、貴重な収入源にもなっていたのです。

1270年に建設が始められた聖ローレンツ教会…竣工当時のローレンツ教会の厨房からも『ペファークーヘン 』を焼く甘くスパイシーな香りが漂っていたかもしれませんね。

『ペファークーヘン 』と呼ばれていたお菓子はニュルンベルク 周辺で『レープクーヘン』と呼ばれるようになります。その語源は当時修道院で使われていたラテン語で平焼きパンを表す「libum リブム」から転訛した… または、生蜂蜜「lebhonig レーブホーニヒ」から出た語である…など諸説ありますが、14世紀の修道院の記録に、「ニュルンベルクとその周辺にある男子修道院で、『レープクーヘン』が焼かれ、その美味しさが評判を呼んでいる」との記載がみられます。

            繊細モチーフのレープクーヘン

14世紀 許可を得た街のパンギルドの職人たちもレープクーヘンを作って販売することが許されると、パン職人たちは、自ら彫りを施した木型に生地を押し込み、独自のレリーフ模様が浮き出たレープクーヘンを売り出します。

麦粉とスパイスと蜂蜜のみで作られるレープクーヘンはとても硬い! そのぶん型押しすると凸凹がクリアにでて、モチーフが際立ち、美しく焼き上がります。

さまざまな型押しモチーフのレープクーヘンが作られるようになり、巡礼の記念品、お守り、旅路の食料、奉納品として… 教会の開基祭や、市の露店で売られて人気を集め、周辺各地にも広まっていきました。

 15世紀『レープクーヘン』はニュルンベルクの特産品として皇帝の勅令により関税なしで72都市に輸出されるまでになって、1487年 皇帝フリードリヒ二世が帝国議会を開いたおり、4000人の子供達をカイザーブルク城に招き、自身の姿を型押ししたレープクーヘンをプレゼントしたと伝わります。 今でいう肖像画 食べられるブロマイドといったかんじですね。

16世紀初頭のニュルンベルクのパン屋さんを描いた絵画が残されています。「今度はこれを使おうか…」とでもつぶやきながら木型を手にとるパン職人さんの眼差しには思い入れが感じられ、自ら彫った木型なのかもしれません。

『12人兄弟の館のレープクーヘン職人』

1520年 Hanns Buel Lebkuchner

 

現在確認できる最も古いレシピは16世紀の修道院で記録されたものです。

ライ麦粉  1Diethauflein

砂糖1pfund

蜂蜜 1/2Seidlein

シナモン  4Loth

ナツメグ  1.5個

ショウガ  1Loth

胡椒    1/2Quentlein

カルダモン 1Loth

 

500年も前のレシピですから単位の基準や表記がすでに使われなくなったものですけれど、蜂蜜の他に砂糖も加え、東洋から運ばれるスパイスも5種類と、かなりリッチな配合で、修道院の財力のほどがうかがわれます。

彫りの腕が磨かれると、その技は蜜蝋細工にも応用されていきました。蜜蝋は、蜂蜜をとった後のミツバチの巣を煮溶かし、濾過して採取されるロウワックスで、「ろうそく」の原料として大変貴重なものでした。レープクーヘン 作りに蜂蜜を使う菓子職人にとって、蜜蝋は身近にある材料でしたから、彫りの技を応用して、蜜蝋ブロックに彫刻を施して工芸ろうそくも手がけるようになったのは自然の成り行きで、本業のパンやお菓子作りに加え、木型を彫り、さらに蜜蝋作りと蜜蝋細工も兼任して、二足のわらじを超越した三足のわらじ操業でありました。

17世紀初頭から18世紀半ば 木彫りの押し型作りは最盛期を迎えます。

 硬い木材に緻密なモチーフを彫る専門の職人も現れ、繊細な模様の浮き出た装飾的なレープクーヘンは、彩色されることもありました… 。

 そうなると、壁飾り、祝い事や記念日の贈り物、子供のおもちゃとしても喜ばれ、何年も保存のきく非常食としても重宝されたのです。

 

            膨らし粉『鹿角塩』の出現

一世を風靡した硬く、繊細レリーフが美しいレープクーヘンも『膨張剤』の登場によって、路線を変更…ビジュアルや保存性より、食べやすさに重きをおいて作られるものが主流の時代がやってきます。

鹿など動物の角や皮からとれる白い粉末 炭酸アンモニウム:『鹿角塩(ろっかくえん)』を材料に混ぜて焼くと、生地が膨らみ、柔らかく焼きあがることが発見され、お菓子やパン作りに使われるようになると、人々の嗜好は軟らかく食べやすい焼き上がりを求めるようになります。

鹿角塩入り生地を従来通り木型に押して焼いても、ふっくら膨張した生地にはレリーフが鮮明に浮き出ません。結果押し型は使わず、生地は平らに伸ばしてから、ハートや動物などの型で抜いて焼かれるようになり、型押し仕上げの硬いレープクーヘンは次第に姿を消していきました。

↓ 19世紀の工房の様子…生地を伸ばして、型抜きしています。↓金属製の抜き型

ふんわり柔らか食感を得るかわりに、美しく繊細なレリーフを失ったレープクーヘンの表面には、チョコレートコーティングやアイシングを使ったペインティイグ、またナッツ、やアザランなどをトピングするなどの工夫が凝らされ、新生レープクーヘンの誕生です。

              オブラートも必需品!

新生『レープクーヘン』は、オブラートの上に生地をのせて焼かれるのも特徴です。オブラートは、教会の儀式に使われる『ホスチア』を大きなサイズで焼いたもので、小麦粉を水でといて焼いたウエハースに似た無発酵の薄焼きパン「聖餅」のこと

オーブンペーパーなんてなかった時代レープクーヘンを焼く時、オブラートを敷いた上に生地をおけば、焼き上がりの扱いが容易だったために工夫され、その製法が受け継がれているのです。修道院が製造を先導してきた『レープクーヘン』らしい特徴で、伝統を大切に受け継ぐ姿勢も嬉しいところ… スパイス生地とは違う、乾いた食感も楽しく、オブラートはレープクーヘンになくてはならないモノになっています。

老舗『レープクーヘンシュミット』のレープクーヘン        裏にはオブラートが!

    Elisen Lebkuchen エリーゼン・レープクーヘン』 の誕生

1808年ニュルンベルグで新たなレープクーヘンが誕生しました。

それはライ麦粉主体だった生地を、粉は10%以下に抑え、ナッツ(アーモンド、ヘーゼルナッツ、くるみ)を少なくとも25%配合する! スパイスはシナモン、ショウガ、コリアンダー、アニス、クローブ、オールスオアイス、メース さらに柑橘ピールや卵、マジパンも加えて…こうなるともはや別もの!?な気さえしますが、仕上げは伝統に法って、従来のレープクーヘンと同じく「ホスチア」の上に乗せて焼く…  

1808年といえば、神聖ローマ帝国(現ドイツ)にナポレオン軍が侵攻して、国内

は騒然としている最中ですが、この贅を尽くしたニューバージョンは『Elisen Lebkuchen エリーゼン・レープクーヘン』と名付けられ、従来のレープクーヘンと肩を並べてニュルンベルクの伝統菓子となっています。

「エリーゼン・レープクーヘン」の由来は「17歳で亡くなったエリーゼという娘が天使となってパン職人の父にレシピを伝えた… 」と伝わり、少女の名前を冠したお菓子に贅を尽くした材料をい~っぱい入れたのは、亡くなった娘を想う父の愛の表れのようにも思える逸話です。

その後膨張剤として『重曹』が使われるようになり、さらに改良が重ねられ、1891年 ドイツの薬剤師Dr.August Oetker アウグスト エトカーが『ベーキングパウダー』の開発に成功すると、お菓子作りは格段に進歩していきます。

 以後さまざまなお菓子がデビューして人気を集めてきましたけれど、ニュルンベルク市民たちがレープクーヘンを忘れることはありませんでした。

とりわけ1年で1番大切なシーズン:クリスマスの時期には、なくてはならない伝統菓子として作り続けられ、「レープクーヘンはほのかにアンモニア臭と苦味のある昔のままがいいの!」と、いまだ 膨張剤には『鹿角塩』を使う派が多いため、11月…クリスマスの準備を始める時期になると、スーパーの棚に『鹿角塩』が並び、ホームメイド用にも利用されています。

* Hirschhone=鹿の角 salz=塩 『鹿角塩』は炭酸アンモニウムの結晶です。

 ⭐︎『鹿角塩』文末に補足がありますから、参考にしてください。

すでにお伝えしたように、 ニュルンベルク のレープクーヘンは、中世から続く小麦粉を主原料にしてスパイスと蜂蜜を入れ、堅く焼き上げるタイプから、鹿角塩を加えて焼き上げたしっとり柔らかいタイプのものになり、チョコレートコーティングやシュガーコートを施したり、生地にくるみといったナッツ類、オレンジやレモンのピールなども加えられたてバラェティー豊富にリッチ化が進みました。

リッチに進化した『Elisen Lebkuchen エリーゼン・レープクーヘン』

そこでできたのが、「食料品及び日用品の品質に関する法律」という法律…それは定められた素材のみを使用し、生地の配合割合を、小麦粉は10%以下に抑え、アーモンドなどナッツの粉末は、決められた種類を55%以上にして作られるものに高品質の証である称号『エリーゼン・レープクーヘン』の証を与えるというもので200年作り継がれた『エリーゼン・レープクーヘン』は、ここにきて新たな基準を得て守り継がれていくようです。

 クリストキントレスマルクトの屋台にもさまざまなレープクーヘンが並んでいました。

              『はちみつ レープクーヘン』

レープクーヘンは『Lebkuchen Schmidt』『Dull』などレープクーヘンのみを作って販売する老舗の専門店が扱う伝統菓子なのは日本の和菓子に通じ、『Schmidt』、『Dull』の両店とも昔薬局を営んでいたのが、転身してレープクーヘンを作るようになったというのも、興味深いところです。

以下 ドイツアクセル・シュプリンガー社発行の新聞記事にあるレープクーヘンの種別も参考になさってください…

    ⭐︎ Hirschhorn-saiz  ヒヤシュホーンザルツ『鹿角塩』

ドイツで『炭酸アンモニウム』を指す呼称無色の結晶または白色の粉末で、強いアンモニア臭をもつ。58℃で熱分解し、二酸化炭素と、アンモニアと、水に変わる。動物の角や皮から取られる成分で、小麦粉などの粉で作った生地を膨らませるために膨らし粉の用途に使われていた。

使用時のアンモニア臭から、『baker's ammonia』「パン屋のアンモニア」として知られ、その刺激臭から、必要な時に砕いて気付け薬として用いられたほど…!重曹やベーキングパウダー が発明された後も、独特の香りがクリスマス菓子の記憶と結びついているため、クリスマスの準備期には製菓用としてスーパーで簡単に手に入る。