Runebergin torttu ルーネベリのタルト

Runebergin torttu ルーネベリントゥルットゥはシナモンやカルダモンが香り、シェリー酒をふくんでしっとりした筒型のパウンド生地をラズベリージャムとアイシングで飾ったフィンランドの焼き菓子です。

Runeberginは、フィンランドの詩人Runebergルーネベリの名前に由来し、

torttu タルトは、フィンランドでは日本の私たちが思い浮かべるバターケーキに近い生地をさして「タルト」と言います。

(かたや、タルト生地で作った器に果物やクリームを盛りつけるタイプの日本でいうタルトは「ピーラッカ」ですからややこしい…)

 

ルーネベリの誕生日である2月5日を記念して年明けから2月の初めまでフィンランド中で食べられ、2月5日以降は街中からすーっと姿を消してしまう…フィンランド人なら誰もがその季節を待ちわびる特別なスイーツです。

なぜルーネベリのタルトが国民的スイーツになったのでしょう…それを知るにはルーネベリの活動とその作品、そして彼が生きたフィンランドの歴史を知らなくてはなりません。

 

              フィンランドの歴史

先史時代から ロシアのヴォルガ川周辺から移入した民族、フィンランド湾南岸から移住した民族など3つの部族がそれぞれに大麦やライ麦を栽培し、狩りや漁猟で獲った動物の毛皮などを交易品として暮らしていました。

 

スウェーデン時代  

1155年 スウェーデン王エリック9世が「十字軍」を率いてフィンランドに侵入
フィンランドの3大部族は、スウェ
ーデン王国の支配下に組み込まれ、以後650年…デンマーク中心のカルマル同盟(14~16世紀)、スウェーデン中心のバルト帝国(16~18世紀)と、周辺諸国勢力の栄枯盛衰はあったものの、フィンランドは常にスウェーデンの支配のもと、その属州としての状況が続きました…

その間政治的抑圧、経済的搾取のもとフィンランド人たちは自由な思想の表現や発言を制限され、息の詰まる時を過ごしたのです。

ルーネベリが家族と共に25年間暮らしたポルヴォーの街はスウェーデン王エリクソンによって1346年に設立され、当時の首都トゥルクに次ぐフィンランドで番目に古い街です。

ポルヴォー川を10kmほど下るとフィンランド湾に至る恵まれた立地から貿易の要衝として栄え、街のシンボルにもなっている赤い倉庫群には、かつて船で運ばれた穀物や香辛料など多くの商品が貯蔵されていました。この辺りの家が赤く塗られたのはスウェーデン王グスタフ3世(1746〜1792年)に敬意を示すため…この『赤』はスウェーデン ダーラナ地方のファールン鉱山から採掘された顔料を基に作られた塗料を使ったもので「ファールン・レッド」と呼ばれます。        Photos by VisitFinland.com

旧市街の丘の上にあるのは14世紀初頭に建てられた大聖堂 緑の屋根は鐘塔です。

ロシア時代

1808年 ロシア帝国とスウェーデン王国の間にフィンランド戦争が勃発

スウェーデンが敗戦し、フィンランド全域はロシア皇帝アレクサンドル1世を元首とするロシアの属国「フィンランド大公国」となり、首都もトゥルクからヘルシンキに移されます。

当時のロシア皇帝アレクサンドル1世は開明的な君主で、フィンランド内政をフィンランド人に任せ、公用語もスウェーデン語とフィンランド語の併用を許しました。

ロシアの監視下にありながらも、自由な発言ができるようになると、フィンランド人の間には統一された民族意識の確立に向けて機運が高まります。

そんな中 ルーネベリをはじめとする帝立アレクサンドル大学(現ヘルシンキ大学)の若い教員や学生たちを中心に集まるようになった非公式の談話会が『土曜会』です。

1830年の春から 毎週土曜日毎にメンバーの家を持ち回りの会場にして文学、教育、政治、経済など新生フィンランドの多岐にわたる基本的な問題について提案と計画を討議し、実行に移していきました。

1831年には『フィンランド文学協会』を設立 … この会は「言語は国民であることの基盤である」として、フィンランド語の書籍の出版に尽力しました。それはフィンランド語を使用する国民の教育水準を引き上げ、国家独立に向かう意識構築の基盤にもなりました。

さらに既存のスウェーデン語使用の中等学校に対抗してフィンランド語使用の私立中等学校を設立。後に国の学校教育制度を転換させてフィンランド語の地位向上に貢献しました。

 

18世紀に造られたポルヴォー旧市街の居住地区 ルーネベリもこの地区で暮らしました。                                                                             Photos by VisitFinland.com

独立時代

自由の時代は長くは続かず、ロシア時代後期ロシアの支配が強化されるとフィンランド国内では反発が強まり、暴動が起こることもしばしば…

1914年第一次世界大戦が勃発しますが、フィンランドはロシアの前哨基地であり、直接参戦しなかったため、国力を温存することができました。

1917年ロシア革命が起こるとフィンランド議会は革命最中の12月6日に独立を宣言し、翌年の元旦ロシア臨時政府から承認されます。

1918年の冬から春にかけてフィンランド国内でロシア寄りの労働階級と西方よりの資本階級の激しい対立による内戦が勃発…西方よりの勢力が勝利し、安定を取り戻します。                         

その後第二次世界大戦でロシアと冬戦争と継続戦争で戦い、勝利を得ます。

多くの領土を失い、多額の賠償金を負いながらも、ロシアに停戦を迫らせることに成功し、フィンランドは国の独立を維持したのです。               

ポルヴォーは国立都市公園の一部とされ、公園は川に沿ってフィンランド湾まで続き、その間 森林保護区、自然遊歩道、シティーパーク、景勝地、世界的に重要な野鳥保護区などがあります。                                                   Photos by VisitFinland.com

冷戦時代から現代まで、西側世界寄りでありながらも、長い国境を持つロシアとの関係を重視し、中立的な状態を保ちつつ、同時に教育改革やIT革命などによって経済を発展させてきました。世界でも指折りの福祉国家となっている現在の姿は周知の通りですね。

ルーネベリも歩いたであろうポルヴォー旧市街の石畳も昔のまま…

街には800人が暮らしています。                                   Photos by VisitFinland.com    

      ルーネベリ Johan Ludvig Runeberg(1804 - 1877)

ユーハン・ルードヴィーグ・ルーネベリは1840年貧しい船長の息子としてフィンランドのヤコブスタードで生まれました。

1823年トゥルク王立アカデミーに入学 同期にはのちに哲学者・政治家して活躍するスネルマンや作家になるエリアス・リョンロートなどがおり、親交を深めます。

1830年 処女作である詩集『詩(Runot)』を発表

『土曜会』設立の主要メンバーとして、友人スネルマンはじめ多くの愛国心に燃える仲間たちと独立への活動を開始したのも同年です。

1831年 同国出身で作家のフレデリカと結婚 のちに8人の子供に恵まれます。

ヘルシンキ大学などで助教授を務めるかたわら、フィンランドの民衆と自然を数々の詩に描いて発表すると、その詩は人々に愛国心を呼びおこし、独立への機運を高めるきっかけになりました。

1848年~1860年にかけて代表作となる『ストール旗手物語』を著します。

『ストール旗手物語』はスウェーデン統治時代におきたフィンランド戦争の出来事を書いた35もの詩を含む長編です。スウェーデン系フィンランド人であったルーネベリはこの詩をスェーデン語で著しましたが、その冒頭である「我が祖国 母なる大地よ(Vårt land, vårt land, vårt fosterland)」は、後にパーヴォ・カヤンデル Paavo Cajanderによりフィンランド語に訳され、「我らの地 Maamme」としてフィンランドの国歌になっています。

 

四季のあるポルヴォーで、ルーネベリは鳥やキツネのハンティングをしたり、島を巡って自然にインスピレーションをもらいながら、多くの時間を屋外で過ごしました。そして悪天候の日は書斎の机に向かい、日頃心に刻んだ風景を詩に書き留めたといいます。

ルーネベリ一家の住まいは現在博物館として公開されています。

『きつねの部屋』と呼ばれる書斎も当時のまま…                  Photos by VisitFinland.com

そんなルーネベリはコーヒーとともにスィーツを楽しむのが日課でした。社交的で来客も多く、美味しいものを振る舞うことにも気を配ったといいます。

 

ある冬の日 妻のフレデリカは夫の大好きなタルトを焼くにあたり、クリスマス前に作ったピパルカックの残りを砕いて生地に混ぜてみました。すると歯触りが軽くなり、スパイスの風味も加わって、ルーネベリにも大好評

さらにタルトの生地にシェリー酒を含ませてみると、生地はしっとり焼き上がり、風味もいっそうよくなったのです。

こうして生まれた『ルーネベリのタルト』

彼が亡くなると、彼の誕生日2月5日は「ルーネベリの日」として国民の祝日に定められました。その日人々は国旗を掲揚し、タルトを食べてフィンランドを独立へ導いた国民的詩人ルーネベリを偲び、お祝いします。

 

ルーネベリの作家活動を陰で支えていたのは妻のフレデリカです。彼女もまた執筆に携わり、伝統や因習にとらわれないで行動しようとする女性を描いて女性の地位向上への意識を啓発する作品を残しています。

その作品や提言は引き継がれ、フィンランドでは世界に先駆けて女性が参政権を獲得し、1907年に開かれたフィンランド初の議会では、議員の10分の1が女性でした。

市内にあるルーネベリ公園には、息子のウォルター・ルーネベリが製作した彫像が立っています。

フィンランド国家として歌われる「我らの地 Maamme」…

我が祖国、フィンランドよ、母なる国、響け、言の葉よ!
谷よりも、丘よりも、水よりも、岸よりも
愛すべきはこの北の国 気高き国よ、我が祖国
そなたの繁栄は期を熟し、さあ、いざ芽吹かん
我が愛情に立ち上がり 希望と歓喜は栄光なり
いつの日か、祖国よ そなたの歌は彼方へ響かん

 

以下『ルーネベリのタルトのレシピ』をご紹介しますね。

材料》 紙製のマフィン型6~8個分

バター  100g レンジ500Wに10~15秒かけて柔らかくする。
砂糖      80g
卵      1個 …冷蔵庫から出しておく

小麦粉  100ml
ジンジャークッキー    100ml …細かく砕いておく
アーモンドパウダー    50ml
ベーキングパウダー    小1
《アイシング》
水      大1

レモン果汁  小0.
粉砂糖    200~300ml

 

《ラズベリージャム》

ラズベリー   150g …冷凍品は使いやすく、色鮮やかに出来てお勧めです。
グラニュー糖     150g
レモン汁            小2

作り方
バターを電動ハンドミキサーで混ぜ合わせ、空気を含んで白っぽくなったら砂糖を3回に分けて加え、よく混ぜる。

卵も入れてさらに攪拌する。         
粉々に砕いたクッキーと粉類(小麦粉、アーモンドパウダー、ベーキングパウダー)を加え、さっくり混ぜ合わせる。 
生地をマフィン型の1/3まで入れ、くぼみを作ってラズベリージャムを入れ、上から生地を加えてふたをする。
180℃のオーブンで20分ほど焼く。

焼いている間に、砂糖と水を合わせて沸騰させ、冷めてからシェリー酒(またはラム酒)を加えて混ぜ、シロップを作る。

焼き上がったら、熱いうちにシロップを表面にぬる。

粉砂糖にレモンジュースと水を入れて、混ぜてアイシングをつくる。
鍋にラズベリーとグラニュー糖を入れ、弱火にかけて、鍋底を焦がさないよう木べらでゆっくり混ぜながら煮詰めて
ジャムを作る。

⑤の生地が冷めたら型からはずし、円形にアイシングを絞り、中心にラズベリージャムを置いたら…できあがり…