パーキン Parkin
『パーキン』はオーツ麦(オートミール)とブラックトリークルがたっぷり入ったジンジャーブレッドの総称です。
気候が冷涼で小麦が育たずオーツ麦の生産が盛んなイングランド北部では、ケーキタイプからビスケットタイプ、フラップジャックのような板状のものまで数えきれないほどのバリエーションのパーキンが作られ、地域ごと、家庭ごとにレシピが受け継がれた伝統があります。
オーツの噛むほどに湧いてくる滋味と、ブラックトリークルの苦味を含んだ深い甘味 そこにスパイスが加わるのですから、身体を芯から温め活性化してくれる健康応援団的な食品であり、保存性も高いので寒さの厳しい長い冬を過ごすための頼もしい相棒でもありました。
とはいえ、その多彩なパーキンが生まれたのはほんの200年ほど前のこと。それまでイングランド北部やスコットランドで暮らす人々はオーツ麦を水やミルクと合わせてふやかしたり、炊いてお粥にして食べていました。さらに砕いたオーツを水で溶いて生地を作り、火床やかまどの火の近くに置いて熱くなったベイクストーンや、暖炉の火の上に設置して熱くなったグリドルと呼ばれる鉄板の上に生地を広げて焼くフラットブレッド「オーツケーキ」も日常食で、甘味料も貴重で高価だった時代 お祭りやクリスマス、イースターなどハレの日にのみ生地にハチミツを加えて甘くして楽しまれていたようです。
そんな簡素なオーツ麦の調理が一気に飛躍するのは鉄製オーブンが普及しはじめ、糖蜜シロップが開発されて製品化された1800年代のこと。
まず現在のパーキンにとってトリークルは味を決めるうえで欠かすことのできない糖蜜シロップ『ブラックトリークル』と『ゴールデンシロップ』が開発されるまでをみていきましょう。
イギリス 砂糖の歴史
1600年代半ば 西インド諸島でサトウキビの栽培が始まると、サトウキビを加工した粗糖に加え、その副産物であるモラセスmolassesc と呼ばれる「黒い糖蜜 」も本国に運ばれてきました。粗糖は本国の精糖工場で砂糖に精製されて流通し、モラセスは「コモントリークル common treacle」の名前で販売されました。
このtreacleと言う単語はラテン語で解毒剤を意味するthēriakē からきており、イギリスでは「蜂蜜を原料にして作られる解毒鎮痛などの薬効のある調合剤を指す言葉でしたが、病気を治す効力を期待されないモラセスを指す言葉として使われるようになると、次第に「糖蜜」を表す言葉に変わっていったのです。主に飼料用に使われましたが、料理人たちの中にはほろ苦く、安価なトリークルを使って、さまざまな食材を作り出す者もいたと伝わります。
1770年頃には砂糖の生産量が増え、次第に庶民でも買えるようになっていきます。
『ブラックトリークル』と『ゴールデンシロップ』の登場
1880年代初頭 エイブラム・ライルが モラセスの成分調整を行い、食用のシロップを開発 商品化すると、濃度が高く、ほのかな苦味が特徴の『ブラックトリークル』と、コクのある甘さとキャラメルのような香ばしい風味の『ゴールデンシロップ』は瞬く間に人気を得て、イギリス中のキッチンに浸透していきました。
時を同じくして産業革命が進み、次第に一般家庭に鉄製のオーブンが普及していきます。キッチンストーブと呼ばれたそれは、暖炉に代わって設置され、火床に加え、湯沸かしや調理の熱源となり、オーブン機能まで備えていましたから、ホームメイドのパンやケーキを手軽に焼くことができるようになりました。
こうして 北イングランド特産のオーツ麦とブラックトリークルをたっぷり使ったパーキンが実現したのです。ちなみにParkinという名前は、ヨークシャーに多い姓Peterさんの愛称 安価で栄養のあるパーキンを好んで食べていた男性たちの中にPeterさんがたくさんいたのかもしれませんね。
「パーキン」が文献に最初に登場するのはイギリス 北西部に位置する湖水地方に暮らした詩人のウイリアム・ワーズワースの妹ドロシーが書いた1800年の日記の中に登場する ’ I was baking bread, dinner, and parkins.’という記述 ついで 1828年発行の『Craven Glossary用語集』の中に見ることができます。
ドロシーは同じキッチンでジンジャーブレッドも焼いています。
“The next day the woman came just when we were baking and gingerbread…”(1803年1月の日記より) 200年前のパーキンやジンジャーブレッドは膨張剤が入っていなかったため、かなり目の詰まった重量感のある焼き上がりで、数日置くと少し柔らかく食べやすくなるものでした。寒さが厳しい土地柄、ジンジャーをはじめとしたスパイスを多めに加えて焼いた生地を薄くスライスして、チーズを添えて食べることが多かったそう。
その後 1839年 ニューヨークの医師オースチン・チャーチが重曹を発見 1891年にはドイツ人薬剤師アウグスト・エトカーがべーキングパウダーを開発し、「Backin」の名で販売を開始したことでパーキン生地にも膨張剤が使われるようになると、もっちり、ねっとり弾力のある現代のパーキンに至ったのです。
地域限定メニューとして育まれ、作り継がれていたパーキンですが、「美味しいパーキン はフレッシュオーツで作られる」の言葉が残るように、オーツ麦が収穫される11月初旬 獲れたてのオーツを挽いて作られるパーキンは、宗教行事や収穫祭などと結びついてお祭り菓子としても人気を集めました。長じて故郷を離れイギリス各地で暮らす人々が11月を迎えると故郷の味を懐かしみつつパーキンを焼いて、食べると、次第に周囲に広がり、時期が重なるガイ・フォークスデイと結びついて、イギリス全土に知れ渡り、食されるまでになっていきました。
残念なことに家庭で作り続けられてきたバリエーションは姿を消したものも多いとか。現在は工場生産されたケーキタイプやビスケットが年間を通してスーパの棚にならんでいます。
食物繊維やミネラルが豊富な健康食材であるオーツと薬効のあるスパイスを材料とし たっぷり使われるゴールデンシロップやブラックトリークル(モラセス)のおかげで、焼いた当日よりも翌日、翌々日のほうが、しっとり馴染んで美味しくなり、味の変化を楽しみつつ、ゆっくり味わうことが出来る。スローライフに寄り添う食品でもあり、優しさと力強さを秘めたパーキン 肌寒さを感じる季節にたっぷりのミルクティーと共にお試しいただきたいひと品です。