Pampapato パンパパート

パンパパートはイタリア北東部エミリア=ロマーニャ州にある都市フェラーラで400年作り継がれてきた銘菓です。

小麦粉、スパイス(シナモン、クローブ、ナツメグ、ジンジャー、コリアンダーなど)、ココア、蜂蜜からなる生地にアーモンド、ヘーゼルナッツ、松の実やくるみ、レーズン、オレンジやレモンのピールと、地元で取れるリッチな食材を混ぜ合わせ、ドーム型に成形して焼き上げた後、涼しい環境下に10日ほど置いて熟成させ、最後にダークチョコレートでコーティングして仕上げます。

オレンジピール/Orange Peelとは、オレンジの果皮を砂糖水で煮詰めて乾燥させドライフルーツにしたもの。製菓材料としても使われます。

 

         修道院で作られた『パンパパート』

15世紀のイタリアは群雄割拠 大小多くの国が乱立する戦乱の最中でしたが、フェラーラ公国は領主エステ家が文化人や芸術家の保護に熱心で、小国ながら中世イタリアで絶大な影響力を持っていました。

  by  https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&gdr=1&aq=-1&oq=&p=1494年イタリア地図

『パンパパート』は1600年代にフェラーラのコルプス・ドミニ修道院Monastero del Corpus Dominiで作られました。

当時のコルプス・ドミニ修道院はエステ家がその菩提寺としていたため、手厚く擁護され、寄進などにより規模を拡張して修道女の数は100人を超えるほどの規模でした。

厳しい戒律の中で生活する修道女たちは自由な外出は許されず、俗人の訪問や出入りも禁止されている閉鎖された生活の中で、祈りと労働に励む生活を送っていました。

そんな修道女たちの楽しみであり、創作意欲をかきたてたのが、お菓子作りです。

まだ町や村に一台のオーブンがあるかどうか…という時代に修道院は大きなオーブンを所有し、当時としては贅沢で、希少だった蜂蜜やバター、卵、小麦粉や砂糖などを豊富に使えたことも後押しする状況でした。

さらに貴族や良家の子女たちが修道院に入る時には、料理人も一緒に連れてくるため、修道女たちは専門的な知識を得ることもできたのです。

こうした恵まれた状況下で研究に余念のない修道女たちによって、美味しいお菓子のメニューが次々と開発され、作られたお菓子は、教会行事に使われ、王家や貴族に献上されたり、教会関係者や王族が旅の宿舎として修道院に宿泊する際のおもてなし菓子としても喜ばれました。

その味は高貴な人たちをもうならせるほどで、時代を超えて価値あるものとして、大切に継承されています。

コルプス・ドミニ修道院礼拝堂

クリスマスを前に修道女たちは法王や枢機卿に贈るため、新たなレシピのお菓子を作ることを思い立ちます。

新作のイメージにヒントを与えたのが、シエナの街で作られていた『パンフォルテ』でした。

フランチジェーナ街道を運ばれるスパイス類も調達できましたし、地元産のナッツや果物のピール、蜂蜜も使えます。

そこでもう一工夫…修道院の後ろ盾となっていたエステ家に使えていた調理人メッシスブーゴが作り上げたヨーロッパ初のチョコレートケーキのレシピを参考に、新たなお菓子の生地には隣国スペインが南米メキシコから持ち込んだばかりのカカオを砕いた粉末を入れてカカオ(チョコレート)風味をまとわせ、その生地を法王が使用する縁なし帽「ズケット」に似せてドーム型に成形したら、カカオから作る釉薬をたっぷりかけて…褐色の『法王の帽子パン』を作り上げたのです。

命名は法王=「papaパーパ」の パン=「pan」から『Pan del Papa パン・デル・パーパ』!

400年の時を経て、現在は『Panpepato パンペパート』または『Pampapato パンパパート』と呼ばれています。

↓ コルプス・ドミニ修道院内厨房の薪釜とパンパパートを焼く修道女たち

パンパパートはエステ公爵の宮廷でもおおいにもてはやされ、1ヶ月以上続いた貴族の婚礼の宴では、山と積まれたパンパパートが人気の的だったと伝わります。

『カナの婚礼』はイタリアの画家パオロ・ヴェルネーゼが1563年に描いた宗教画です。絵のメインテーマは、イエスが水をワインに変えた瞬間…ということですが、人々の服装はイタリア・レネッサンス時代のトレンドであるオリエント風のデザインで、舞台は16世紀半ばのイタリアです。このような宴のデザートとしてパンパパートが山と積まれるシーンを想い浮かべてみるのも楽しいもの…!?(笑)

                        by https://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/《カナの婚礼》

エステ家の宮廷内でことあるごとに用意され、振舞われたパンパパートは次第に大衆にも広まり、フェラーラの銘菓となっていきました。

現存する最も古い記録は1800年代のレシピ集に見られます。興味深いのは、焼き上げてからの仕上げはチョコレートではなく、「カラフルなアザランをふりかける」とあること!その当時もまだチョコレートは高嶺の華だったのでしょうね… カラフルパンパパートもそれはそれでwonderful !

こうして1800年代 パンパパートはフェラーラの多くの家庭でクリスマスや復活祭を祝うお菓子として用意されるようになり、家族で食卓を囲んだ後パンペパートを薄くスライスして、地元ワインを合わせて楽しむ…がフェラーラのクリスマスの晩餐スタイルとなりました。

また農民たちは、麦うちやぶどう狩りを終えた収穫祭に その年の実りを感謝し、それまでの労をねぎらうスペシャルなデザートとしてパンパパートを楽しんだということです。

    エステ家 と エステンセ城    La famiglia Este & Castello Estense

エステ家は1208年から1598年まで約400年にわたって半ば独立した封建領主としてフェラーラFerrara、モデナ、レッジョエミリアの諸地域を統治しました。16世紀末に嫡流が途絶えたことで、ローマ教皇にフェラーラを奪われ、モデナに移ります。

フェラーラ旧市街の中心にある深い堀で囲まれた『エステンセ城』は、14世紀後半に増税に反発した市民からエステ家が身を守るために建造した要塞でしたが、その後 居所として利用するため改築を加えた4つの塔をもつ重厚な宮殿です。

城の周りに広がる街は世界で初めて屋根の色の統一と建築物の高さ制限を実施したことから「ヨーロッパ最初の近代都市」とも呼ばれ、その町並みを今に残しています。

エステ家愛顧の下でレオナルドダヴィンチ、ラファエル、画家ティツィアーノ、詩人ペトラルカなど文化人や芸術家が時間を過ごし、フェラーラは芸術の中心地となり、フィレンツェより一足先にルネサンス文化を開花させました。

『エステンセ城』にはルネサンス期に活躍したフェラーラ派の画家達の優れた作品が展示され、優美な宮廷文化に触れることができます。  ↓エステンセ城

  クリストフォロ・ディ・メッシスブーゴ Cristoforo da Messisbugo

メッシスブーゴは1524年から1548年にかけてこのエステンセ城の宮廷に仕え、豪勢で知られた晩餐会を切り盛りした人物です。by https://guchini2.exblog.jp/27018593/ 

メッシスブーゴがプロデュースした晩餐会は大変豪華で、メインディシュは魚料理が多く振舞われました。

内陸の都市フェラーラで新鮮な魚介類を多く提供することは豊かさの象徴であり、エステ家の権勢の強力さをアピールする絶好の機会となったのです。。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチを始め、聖職者や芸術家、王侯貴族などルネサンス期イタリアの最重要人物たちが集ったエステ家のサロンで才能を発揮し、「食のダ・ヴィンチ」と呼ばれたメッシスブーゴの業績をあげてみましょう。                                                                   

1》斬新なメニューを多数考案

例えば今に続く『リゾット』や『ラザニア』の原型レシピ

『リゾットRiso con uova e zafferano』はサフランを入れてお米を黄金色に炊き上げ、卵を纏わせる…

『ラザニア』はパスタの生地で包むことで中身が冷めるのを防ぐ工夫をこらしました。

宮廷内でレモンやオレンジなどの柑橘系の植物を栽培して、その果実の皮や果汁を使って魚料理に風味を付ける手法も斬新でした。

さらに地元特産のぶどうの果汁を濃縮して『バルサミコ酢』を考案 エステ家由来のモデナの名産品として今に受け継がれています。

古代ローマ時代の主な甘味料は「蜂蜜」と、完熟したぶどう果汁を煮詰めてつくる「ぶどう汁」でした。

このぶどう汁は濃縮度により3種類あり、全量の2/3までに煮詰めたものは「カロエヌム」、半量まで煮詰めたものが「デフルトゥム」、1/3まで煮詰めたものが「サーパ」です。「サーパ」は今でもエミリア・ロマーニャ州で生産され、水で薄めて食前酒に、またバルサミコ酢の原料として使われています。

メッシスブーゴはこの「サーパ」を樽に入れて酢酸発酵させ、さらにゆ~っくりと熟成させることで『バルサミコ酢』を作りあげたのです。

現地のパンパパートレシピの中には、生地に「サーパ」を少量加えるものが見られ、地域性を感じます。

当時極めて高価であった胡椒をはじめとしたスパイスを多用したレシピも多数残していますが、今に残る加工品がサラミ『サラーマ・ダ・スーゴ/Salama da sugo』です。豚肉をたっぷりの香辛料で味付けし、じっくり風味付けしたらよく叩き、塩、唐辛子、シナモン、ナツメグなど様々な香辛料を入れた赤ワインで汁気がなくなるまで煮込みます。

それを腸詰めにして冷暗所で半年間熟成させると旨味が凝縮されたサラーマ・ダ・スーゴの出来上がり!                                            by salama-da-sugo-igp_115c15.html

1528年に南米からスペインに持ち込まれたばかりのカカオを使った欧州初の『チョコレートケーキ』も斬新で話題を集めたと伝わります。…このチョコレートケーキのレシピを参考にコルプス・ドミニ修道院の修道女たちが作り出したのが『パンパパート』というわけです。

2》コース料理を考案  ナイフとフォークも…

新たに考案した多彩なメニューを使って古代ローマ時代からの食習慣を一変させ、前菜に始まりデザートで終わる今で言う『コース料理』の流れを提案し、実践していきました。

手づかみが主流だった食事作法も改変! フォークやスプーンの使用を定着させて現代の西洋料理マナーの原型を作り上げたと言われます。

前出『カナの婚礼』でもテーブルには銀のナイフとフォークが置かれ、ワインのサービスが始まろうとしています。↓

3》宴席の総合プロデュース

メッシスブーゴは晩餐会などの行事の総合演出も担当し、才能を発揮しました。宴席ではハープやフルートが音楽を奏で、道化師による曲芸や出席者も参加するダンス、男女交代でサイコロを投げ入れるビンゴゲームのような余興も企画されました。さらに宴の終わりには手土産まで用意されていましたから、まさに至れり尽くせり…

宮廷や王家・貴族に関する様々な典礼や行事についての知識や経験が豊富で、発想も独創的!それを活かして食にまつわるシーンを体系化したその活躍を評しての『食のダ・ヴィンチ』…。

            メッシスブーゴの生きた時代

メッシスブーゴの食の革命と時を同じくして時代が大きく動こうとしていました。

『Renaissance ルネサンス』その思想は文化にも高らかに謳いあげられ、絵画でも突出した才能の3巨人が才能を開花させています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ( ~1519年)、ミケランジェロ( ~1564年)、ラファエロ( ~1520年)

各国競い合いあって地中海から大西洋、太平洋へと冒険航海に出航したのもこの時代です。
1488年=喜望峰の発見     バルトロメウ・ディアス:Bartolomeu Dias
1492年=アメリカ大陸の発見  クリストファー・コロンブス:Cristoforo Colombo
1497年=インド航路の開拓   ヴァスコ・ダ・ガマ:Vasco da Gama
1522年=史上初の世界一周   フェルディナンド・マゼラン:Ferdinand Magellan

それは、地球上の食材が世界を駆け巡る時代でもあり…
コロンブスはアメリカ大陸を発見し、 ジャガイモ、サツマイモ、カボチャ、トウモロコシ、南京豆、トマト、イチゴ、パパイヤ、バニラ、唐辛子等を持ち帰り、1519年スペイン艦隊を率いてメキシコへ上陸しアステカ王国を征服したエルナン・コルテスはトマトやカカオを持ち帰っています。

スパイスに注目すると、ローマ帝国の滅亡後、イスラム商人がインド洋における香辛料貿易を独占したため、中世ヨーロッパで香辛料は高価で大変珍貴なものでした。

ルネサンス期にはヴェネツィア共和国がオスマン帝国からの輸入を独占していましたから状況は変わらず… ポルトガルはヴェネツィアの貿易独占を打破するために喜望峰経由のインド航路を発見してその貿易独占体制を崩していったのです。

ルネッサンスそして大航海時代の到来は、互いにリンクし合い、ヨーロッパの生活文化は大きく飛躍していきます。

メッシスブーゴの作り上げた食の革命は1533年フィレンツェの名門貴族であるメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis 1519 -1589)がフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を伴い、イタリア料理やデザート菓子、氷菓、ナイフやフォークを使うテーブルマナーなどをフランスの宮廷に伝えたことで、その後の華麗なる西洋料理発展の基礎となったのでした。                                                                                               by wikipedia

彼の亡くなった翌年の1549年には彼が残したメモや記録をまとめた本『Banchetti(バンケッティ)晩餐会, compositioni di vivande, et apparecchio generale(晩餐会、料理の構成と食器・小道具一般について)』が出版されています。本には彼のプロデュースした晩餐会で出された料理のレシピやメニュー、材料の調達や、装飾、調理器具さらに宴の進行や余興の内容などに加え、賓客のもてなし方や受け入れ態勢、当時の貴族たちの行事やレジャー全般についての臣下の準備のあり方や行動指針が克明に記録されていました。

この本は大変好評を博し、当時のベストセラーとなり、15版まで版を重ねたということです。                  ↓『Banchetti』内の挿画…宴会準備の様子  by wikipedia

*当時フェラーラ 近くを流れるポー川でオオチョウザメが豊富に漁獲されていました。その魚卵『キャビア』の生食用と保存用両方の調理法も書き残されています。

メッシスブーゴが宮廷内でオレンジを栽培して、料理のソースやお菓子に使っていたと伝わるエステンセ城では、今もオレンジの木が実をつけています。

コルプス・ドミニ修道院画像出典 https://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g194760-d2539075-ReviewsMonastero_del_Corpus_DominiFerrara_Province_of_Ferrara_Emilia_Romagna.html#photos;aggregationId=101&albumid=101&filter=7&ff=305691577