シャーフボックSchafböcke ・ レブクーヘンLebkuchen
シャーフボックは、スイス シュヴィーツ州(Kanton Schwyz)アインジーデルン Einsiedelnにあるベネディクト会修道院の門前で作り継がれるスイスで最も有名で、最も歴史のある巡礼菓子の1つです。円盤状で、可愛らしい突起が2つ飛び出したそれは、直径3cmから15cmほどのものまであり、甘食を想わせる色と形、口に入れると 優しい甘みと適度に柔らかな食感も懐かしく、小さいものなら1度にいくつも食べられるチャーミングなお菓子
蜂蜜、砂糖、小麦粉、スパイス(シナモン、クローブパウダー)鹿角塩、水を混ぜ合わせて生地を作り、彫りを入れた木型に隙間なく押し入れて、型抜きしてから、焼き上げられます。
修道院に残る地元の巡礼菓子販売屋台の運営に関わる規定文書に『シャーフボック』の名が初めて登場するのは1631年 おそらくそれよりはるか昔から作られ、小麦粉と蜂蜜のみだった生地にスパイスや砂糖が加わり、200年ほど前になって膨張剤:鹿角塩が加えられるとふっくら食べやすく進化してきました。時代を通して優しい甘さが好まれ、日持ちもすることから、巡礼者の旅のお供に、お土産にと変わらず人気を集めてきたのです。
ポツポツと突き出た2つの突起が特徴的なシャーフボックですが、この2つは子羊の耳で、子羊が草の中に横たわっている姿を表しているそう。
イエスは磔刑(たっけい)に処せられて亡くなりますが、それにより全ての人間の罪を背おい、生贄としての役割を果たしたとして「神の子羊」と呼ばれることから、教会の門前菓子に子羊のフォルムが採用され、名称『Schafböcke』はSchafもböckeも羊を意味する言葉が合成されているという徹底ぶりです。
アインジーデルンの門前には子羊そのものの形を表したレブクーヘンLebkuchenも製造販売されており、近隣のスイスエリア同様『ビバリ』と呼ばれ、茶色いビバリと白いビバリの2種類
『Biberli braun』茶色いビバリの生地は小麦粉、蜂蜜、砂糖、スパイスからなり、中にアーモンドのフィリングがたっぷり入り、『Biberli Weiss』白いビバリの生地はスパイスが入らず、小麦粉、卵、砂糖でできていて、ヘーゼルナッツのフィリングを包み込んでいます。ずっしりと手応えのある質感で、それぞれペーストとビバリ生地の相性がよく、リッチで品の良いお菓子です。
ゴールドアプフェル ミュージアム
この名物菓子を300年に渡り製造販売してきた老舗「ゴールドアプフェルGoldapfel」は、駅から修道院に向かうハウプトシュトラッセ(中央通り)沿いに店舗を構え、さらにクローネン通り沿いの旧店舗の建物は博物館を併設したノスタルジックなショップになっています。
店舗の営業時間内無料開放されているミュージアムは、建物の魅力に加え、家族と店の歴史が凝縮されて、昔のままを再現した部屋のしつらえ、往時を写した写真、歴代の道具たちは見学者をタイムカプセルに乗せてときめかせてくれます。
1997年年の改修で建物は元の色のオリーブ グリーンとパリジャン ブルーに再塗装され、指定建造物に認定されました。
歴代の木型たちと1910年と1965年のオリジナルのシャフボイケマシン 現在いちばん小さなシャーフボックは自動焼成ラインに通して機械的に製造され、それ以上大きいものは昔ながらの手作業で1つ1つ作られています。
1655年の銅版画 1577年に火災にあった後に建てられた最初のゴシック様式の修道院とアインジーデルンの街の様子が描かれています。 ここに描かれた建物も後に火災で消失してしまいます。手前に置かれているのは16 世紀から 18 世紀にかけて使用しされていた、粘土と木で作られたモデルたち
19 世紀当時名人といわれた店主によって彫り出されたオリジナルの「Tirggel」モデルも展示され、そこにはウイリアムテルや地域の人々、スイスを象徴する動物:熊の擬人化された姿や鳥たちに、魔女まで活き活きとした姿で彫り込まれ、1つ1つに見入ってしまう。これらはまさに家族の宝物であり、食文化の貴重な財産
アインジーデルン
アインジーデルンは、シュヴィーツ州(Kanton Schwyz)のアルプスに囲まれた小さな町 チューリッヒのハウプトバンホーフ(中央駅)からクール方面行きの電車に乗り、チューリッヒ湖畔添いに展開する美しい車窓を楽しみつつ行くこと35分。ヴェーデンスヴィルWädenswil 駅で乗り換えて支線に入り、その終着駅で下車します。全行程の所要時間は50分 車なら30分ほどの道行です。
アインジーデルン修道院
アインジーデルンは、スペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く、聖ヤコブの道と呼ばれるカトリックの巡礼道の中継地点にあたり、街のシンボルであるベネディクト修道院 その礼拝堂に安置されているブラックマドンナが信仰を集めてきました。聖ヤコブの大聖堂への旅の巡礼者はここでお参りをし、休憩してからさらに遠くスペインの西端にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩みを進めるのです。
「einsied アインジード」はドイツ語で「隠者」を意味することから、アインジーデルンは「隠者の場所」名前の由来は修道院の起源に遡ります。
修道院のおこりは835年ライヒェナウ修道院で修道士をしていた若い貴族マインラートが隠者の生活を送るために修道院を離れ、深い森の中で861羽のカラスと共に一人暮らしをはじめたところから。神に祈り、聖なる読書をして神に仕える隠者としての生活が26年になる頃マインラートは2人の盗賊に殺害されてしまいます。盗賊はチューリッヒに逃走しますが、追跡した2羽のカラスがによって捕獲され、有罪判決を受けて処刑されました。マインラートの遺体はライヒェナウに運ばれて埋葬され、934年 彼の庵跡にベネディクト会修道院が建てられました。
幾度かの火災消失を経て、現在のバロック様式の大聖堂は18世紀に建立されたもの。
駅から修道院までは徒歩7~8分ほどで、聖堂内部に踏み入ると、入り口近くの礼拝堂に、幼いイエスを抱いた「黒いマリア像」が衣装を身にまとってたたずみ、天井に描かれた美しいフレスコ画からは神々しいオーラーが降り注いで、ピンクや白の大理石に彫刻がほどこされた豪華絢爛で荘厳な空間が広がります。
スイス地域最大の修道院は直近からはカメラに納まりきれない壮大さ。
修道院内は撮影禁止のため、実物の映像はお届けできず、エントランス脇に置かれたレプリカと、パンフレットにある写真から想像を膨らませてください。
人々の信仰を集めるマリア像は、リンデンの樹=西洋菩提樹から彫り出され、1466年の夏にこの大聖堂内の礼拝堂に安置されて以来人々の信仰を集め、心の支えになって、19 世紀には紙に描かれた切手サイズの黒い聖母像 いわゆる「シュルッケル・ゲリ」が販売され、巡礼者はそれを買い求めてボール状にして飲み込むことで、神のご加護が得られると信じていたそう。
さらに修道士たちが修道院の土から型作り、焼いた粘土の聖母も巡礼土産として販売され、家族あるいは家畜が病気になると、この神聖な土偶の一部をナイフでこすり落として、お茶や食べ物に混ぜ込んで、摂取することで、約束された神のご加護を受けられると信じられていたとも。
修道院のよると聖母像は、ろうそくやランプの煙や煤などによる経年変化で黒ずんだとのことですが、地元には、キリスト教以前ケルト人の地母神が黒い像であったことの名残で、多産で健康な強い女性のシンボルとして作られたとの伝承も残り、西ヨーロッパに200体もあるといわれるブラックマドンナ同様その起源の真相は謎に包まれています。
このマリアとイエスは2週間ごとに衣装替えをなさいます。入り口脇にある保管部屋には400年以上前の衣装も含め世界中から寄贈されたものが30着以上あり、祭服の暦に応じて選ばれて、特別の資格を持つ修道士によって着付けがなされるというこだわりよう。
修道院の別棟では、修道僧達が神に仕え、自給自足をモットーとする暮らしを営み、広大な敷地には修道院が経営するワイナリーや製材所の建物が点在し、1000年年以上続くヨーロッパ最古の馬の飼育場で育てられている馬は「聖母の馬 Cavalli della Madonna」と呼ばれ、上品で性格がよく、かつ頑丈でよく走るとその価値が世界に認められている優秀馬
クリスマスマーケット
アインジーデルンでは、毎年11月末から聖ニコラウスの日(12月6日)までの9日間に限り、クリスマスマーケットが開かれ、スイス地方で最大級のマーケットにはヨーロッパ中から人が集まります。駅から修道院へと向かうハウプトシュトラッセ(中央通り)沿いに、約100本のクリスマスツリーが飾られて、130軒近くの屋台が軒を連ね、小さな街全体がクリスマスマーケットの場へと化すのです。
装飾品から伝統的な工芸品などの屋台が軒を並べる中でも特に人気なのは、飲食の屋台 スイス料理のラクレットや、この地方で作られたソーセージやサラミ、スパイスのきいたグリューワイン(Glühwein)、アインジーデルンの特産のシャーフボックやレブクーヘンの他、ドイツからやってくるレープクーヘンの出張屋台も大人気で、彩りの美しいレープクーヘン (独: Lebkuchen=ジンジャー・ブレッド) には、色とりどりのアイシングを使って、プレゼントする相手の名前や好きな言葉を入れてもらえるサービスも嬉しいところ。屋台に留まるマインラートの2羽のカラスにもご注目!