グラスミア・ジンジャーブレッドGrasmere gingerbread  

ロンドンのユーストン駅から列車で北に向かうこと3時間半 さらに乗り換えて20分 … 湖水地方のウインダミア駅⑧に到着です。湖水地方:Lake Districtは名前の由来になった湖に加え、山あり、川あり、滝もあり!足を延ばせば海岸線も…。羊がのんびり草を喰む緑鮮やかな牧草地がそれらを結ぶその地は、数多くの文学の舞台になり、ロマン派の詩人ウイリアム・ワーズワースは生涯この地で過ごし、『ピーター・ラビット』の作者ベアトリクス・ポターは16歳の時に家族で訪れて以来、77歳で亡くなるまでこの地を愛しました。

ベアトリクス・ポター作の絵本ピーターラビットシリーズの挿絵を思い浮かべてください。ピーターうさぎや、あひるのジマイマ達が繰り広げるお話の舞台となったのが湖水地方: THe Lake Districtです。

(上)グラスミア 近郊の「ライダル湖」② ↑ (下) 湖水地方 地図 ↓ 

湖水地方には大小合わせて500ほどの湖があり、そのほとんどが細長い形をしているのは氷河期に氷河の侵食によってできたから…

170年ほど前 ウインダミア の村で、ビスケットともケーキとも違う、不思議な食感と味わいのジンジャーブレッドが生まれました。

 

この地ではそれまで、しっとりしたタイプのジンジャーブレッドと、薄いビスケットタイプのジンジャーブレッドの両方が作られ、親しまれていたのですが、セーラ・ネルソンが考案したのはそのどちらでもないユニークなタイプ…薄い板状で、ケーキほど柔らかくなく、ビスケットほど硬くない絶妙な食感で、ジンジャーの風味がしっかり効いているもの。

それに加えて特徴的なのは、たいていのジンジャーブレッド は数日おいて味が馴染むとより美味しくなるのですが、この『グラスミア・ジンジャーブレッド 』に限っては、作りたてが一番!…日にちが経って硬くなってしまったら、レンジで10~20秒チン!すると出来立てに近い美味しさを取り戻せる…なんていう裏技もあるようですけれど、「できれば、当日中にお召し上がり下さい。」なのです。

このユニークなジンジャーブレッドは人気を集め、地元の人々の需要に加え、峠越えをする旅人のエネルギー補給源として頼りにされ、現代は世界中から集まる観光客のお目当にもなって、地域を代表するスィーツ『グラスミア・ ジンジャーブレッド』と呼ばれて作り継がれています。

セーラ・ケンプからセーラ・ネルソンへ

1815年セーラ・ケンプ(本姓)はウィンダミア湖畔の村ボウネス⑦の貧しい家庭に生まれました。幼くして父親を亡くし、母と7歳年上の姉との3人暮らし… 母は子育てをしながら、裕福な家庭での厨房仕事をして生計を立てていました。

幼いセーラは小学校もそこそこに、家庭内の家事を手伝い、さらに近隣の農家で家畜の世話や雑用を手伝うなど働きずくめで育ちます。

生計を立てるために忙しい母でしたが、娘達に家事全般やりくりの仕方を教えることは忘れませんでした。

ボウネス郊外の牧草地とフットパス

セーラは上流階級の私邸で女中としての仕事を得ると、先輩女中たちから仕事ぶりや作法を学び、身につけて、ケンダルの私邸で料理人として雇われるまでになります。そこで次々美味しくて独創的な料理を生み出すセーラの料理の腕前は評判となり、アルズウォータの北にある市場町ペリンスのお屋敷に料理人として招かれます。

セーラに恋が芽生えたのはこの町でした。1844年 小作人ウィルフレッド・ネルソンと結婚 まもなく2人は商業で栄えるランカスターの町に移り住み、夫ウィルフレッドは紅茶の販売と八百屋業を始めました。

 

1846年長男ジョンが生まれ、続いて、マリー・アン、ダイナと2人の女の子にも恵まれます。ウィルフレッドの営む八百屋も繁盛し、ネルソン一家は安定と幸せを手に入れたかに思われました。

しかしそれもつかの間…1852年長男ジョンがコレラにたおれ、数週間にわたる看病のかいなく、帰らぬ人となってしまったのです。この時代人口過密の都市ではコレラによって多くの人が命を落としました。残された2人の娘達にもコレラの猛威が及ぶことを恐れ、ネルソン一家はグラスミア④への転居を決めました。

グラスミアは澄んだ空気となだらかな丘、湖と清らかな水の流れに恵まれた美しい村で、イギリスを代表するロマン派の詩人ワーズワースが暮らし、「人類が見つけた最も美しい場所」と賛美し、愛した地でもあります。そのワーズワースが世を去ったのは、一家が移り住む2年前のことでした。

いずれの近郊都市からも離れたグラスミアでの仕事探しは思うようにいきませんでしたが、ウィルフレッドは聖オズワルド教会の聖堂墓地での穴掘り作業に加え、建設業の作業員として働き、セーラは家政婦を掛け持ちして新生活をスタートさせました。ほどなくセーラはその仕事ぶりと料理の腕をかわれてロバート・ファーカー卿の未亡人マリア・ファーカーが暮らす別荘デール・ロッジに料理人として迎えられ、パーティーや婦人の食事にと腕をふるうようになります。

2人の娘達は地元の学校に馴染み、一家は質素ながら、健やかで幸せな暮らしを手にいれることができたのです。

(上)聖オズワルド教会から続くメイン通りに湖水地方独特のウーライトと呼ばれる石灰岩を積んで造られた家が並びます。(下)St.Oswald's 聖オズワルド教会、一歩郊外に出ると牧草地が広がるのどかな風景が広がります

一家はかつて小学校として使われていたチャーチ・コテージを住まいとしていました。チャーチ・コテージはかつてワーズワースが教壇に立ち、彼の息子も学んだ建物で、聖オズワルド教会に隣接していましたから、聖堂墓地で働くウィルフレッドには、好都合の立地でもあったのです。

グラスミア ・ジンジャーブレッドの誕生

デール・ロッジでの仕事と日々の家事の両立も順調で、生活が安定するようになった頃…1854年の冬 セーラはビスケットともケーキとも違う不思議な食感と味わいのジンジャーブレッドを考案し、『グラスミア・ジンジャーブレッド 』と名付けました。

セーラはデール・ロッジでの仕事は継続しつつ、チャーチ・コテージ前の切り株の上に台をのせて蝋引き紙に包んだジンジャーブレッドを並べ、村人や旅人に向けて売り始めます。

その頃イギリスでは産業革命が進み、蒸気機関車が開通して鉄道網は湖水地方からさらに北へと延びていました。風光明媚な湖水地方は都市部から人々が押し寄せ、人気の観光スポットとなっていきます。

時を得たり!セーラのジンジャーブレッドの評判は瞬く間に広がり、チャーチ・コテージには旅行者がやってきては、お土産にと『グラスミア・ジンジャーブレッド 』を買い求めていくのでした。

セーラはデール・ロッジでの仕事を辞めて、ジンジャーブレッドの製造販売に専念する決心をします。材料の仕入れ、製造、包装、販売を1人でする日々の始まりです。売り上げは順調でしたが、1869年に次女のダイナが18歳で急逝し、翌年には結婚したばかりの長女マリー・アンが22歳の若さで亡くなてしまいます…2人とも結核を患っての早逝でした。

先に幼い長男をコレラで亡くし、さらに2人の愛娘にも先立たれてしまった夫婦の悲しみは深く、夫ウィルフレッドはお酒で悲しみを紛らわすうちに体調を崩して十分に仕事ができなくなってしまいました。生活が肩にかかったセーラは自ら生み出したジンジャーブレッドの製造販売にいっそう打ち込みました。

そんな中 セーラは村人とりわけ子供達との交流を楽しみにし、幼稚園児達にグラスミア・ジンジャーブレッド の印字文字を使って読み書きを教えたと伝わります。

 

1880年夫ウィルフレッドが75歳で亡くなると、家族で過ごした家を『Sarah Nelson’s Grasmere Gingerbread Shop』として改装開店

『グラスミア・ジンジャーブレッド 』の誕生から30年近く…晩年セーラはグラスミアの村に欠かせない人物の1人に数えられるようになっていました。そしていつも白いエプロンにショールを羽織ってチャーチ・コテージ前に置かれた椅子に腰掛けていたといいます。

晩年のセーラ  『Sarah Nelson's Grsmere Gingerbread』HPより

20世紀が目前に迫る頃80歳を超え、公式名称『グラスミア村チャーチ・コテージ菓子製造業者』として今日の『グラスミア・ジンジャーブレッド・ショップ』を営む経営者としての地位を確立したセーラは、手書きのレシピを地元アンブルサイドの銀行の金庫に保管しました。

 

時は1901年 ヴィクトリア女王の崩御とともにエドワード王が即位

新たな時代の幕開けを見届けて1904年セーラは88歳で息を引き取ったのです。

ほぼ同じ時代を生きた女王と、セーラ…それぞれに背負ったものは重かったろうと思います。歴史資料をもとに、お2人の人生のほんの少~しを覗き見ているにすぎませんが、女王のもっとも幸せな時間であったろう家族で過ごした宮殿内のクリスマスには、もみの木のツリーにジンジャーブレッドが飾られていました。

かたやセーラは自ら考案したジンジャーブレッドのレシピで生活を支え、そのグラスミア ジンジャーブレッド は後世愛され続け、それを頬張る人に幸せや勇気を与えています。

「置かれた場所で咲きなさい…」というメッセージが浮かんできました。

女王とセーラ…置かれた場所は全く違うけれど、それぞれの場所に根を張って気丈に生き抜かれたお2人です。

湖水地方で同時代にもう1人 質実剛健な人生を送られた女性がいます。

ビアトリクス・ポター…ピーターラビットのお話で世界中の子供たち(大人にも)に、夢を与え、ナショナルトラスト運動に貢献して湖水地方の自然を守り、残しました。ポターもセーラのジンジャーブレッドを食べていたでしょうね。セーラ本人から買い求めていたかもしれません。 

今ではお店は全国的に有名になり、毎日行列ができるほど…経営は3代目になりましたが、グラスミア・ジンジャーブレッドのレシピは大切に守られ、当時と同じ製法と同じ場所で作り続けられています。そしていまだにお店でも配合レシピを知っているのはたった1人だけなのだとか…

ジンジャーブレッド は6枚入り£3.50から

セーラ・ネルソンの店『Sarah Nelson's Grsmere Gingerbread』
住所:住所: Church Cottage, Grasmere LA22 9SW
Tel
0153-935-428
URL
https://www.grasmeregingerbread.co.uk/