Chlausebickli クラウゼビクリ

スイス北東部の街アッペンツェルのクリスマスは、11月1日の『セント・セインツデイ:諸聖人の日』に子供達が両親や祖父母からカラフルな絵が描かれた『クラウセビクリChlausebickli』を贈られることから始まります。

スパイシーで、甘い香り漂うクラウゼビクリですが、すぐに食べるわけにはいきません。というのも、クラウゼビクリにはアッペンツェル独自の「食べられるクリスマスツリー」『Chlausezüügクラウゼズイグ』を飾るメインアイテムとなるお役目が待っているのですから…子供達はその飾り付けのお手伝いをし、美しく飾られたクラウゼズイクを見上げながらクリスマスを楽しみに待つのです。

         Chlausebickli クラウゼビクリ

『クラウゼビクリ』はカラフルなアイシングでペイントされたドイツのレープクーヘンに影響を受け、1900年代初頭この地方独特のジンジャーブレッド 『ビーバー』に絵付けを試みたことから産まれました。

絵付けの方法は独自に工夫され、先ず焼きあがったビーバーの表面に絵柄が抜かれたシートを置き、絵柄用の窓部分にマジパン または卵白と砂糖を練ったペーストを薄く貼って白い絵付け用の下地をつくります。

そこにスクリーンプリントの技術を使い、黒くて細いモチーフの輪郭線を載せたら、熟練のペインターたちが食用色素を使って彩色を施し、下部に緑色のアイシングで波線を描いて仕上げられます。

クリスマスシーズンには、ワークショップも行われてちびっこペインターも製作中…

アッペンツェルは古くから牧畜が盛んで、チーズの木箱や樽蓋に生活シーンを題材にした絵を描いてきた伝統があります。そんな農民画家さんの技術があったことも手伝って、『ビバー』に絵付けが施され、素朴ながら繊細なクラウゼビクリが生まれたというわけです。

             Devisli デヴィスリ

1860年頃 アッペンツェルにやってきたGrobという名のドイツ人菓子職人がもたらした『シュプリンゲルレ Springerle』を地元の菓子職人が受け継ぎました。シュプリンゲルレは小麦粉にたっぷりの砂糖、そして香りづけのアニス少々に水を加えて混ぜ合わせ、木型に詰めて型を抜き、数日おいて乾燥させてから、焼き色がつかない程度の低温(150~160℃)で焼いて仕上げる、乳白色のビスケットです。その白地に食用色素で着色して仕上げられるのが『デヴィズリ』 クリスマス時期には『クラウゼビクリ』とともに、『クラウゼズイク』を飾り、その他の期間も地域の家々の窓や壁に飾られます。

アンティークの『デヴィズリ』1900年代の地域の生活が描かれて…右下はクリスマスマーケットの様子です。

   美味しいクリスマスツリー 『クラウゼズイクChlausezüüg

南ドイツから伝わったシュプリンゲルレ から『デヴィスリ』が、レープクーヘンからは『クラウゼビクリ』と、カラフルで地元感溢れるお菓子が生まれると、アッペンツェルの人たちは、それらを使ってスペシャルなクリスマスツリーを創り出しました。それが『クラウゼズイク』です。

アッペンツェルのクリスマスを100年近くにわたって飾ってきた『クラウゼズイグChlausezüüg』の構造は、一番下にミルクボウルが置かれ、中はくるみ等のナッツ類、りんご、梨やヤマモモなどのドライフルーツで満たされます。木製ボウルは牧畜農家が牛乳をすくうために使うもので、このシーズンは室内に場所を代え、大きなクラウゼズイクを受け止めて大活躍の様相です。

ミルクボウルがいっぱいになるとそこからは、『Filebrood ファイルブレッド 』と呼ばれる「クリスマスの編みパン」やアッペンツェル生まれのパン『Biberfladenビーバーフラットブレッド』 を五角形または六角形に、上に向かうにつれて細くなるように積み上げて、隙間にはくるみやナッツ、ドライフルーツ、りんご等を詰め込みます。 

ここまでがクラウゼズイグの基礎となるボディー部分 その外周にクラウゼビクリやデヴィスリを飾り、その間に真っ赤なりんごclaus-apple が結ばれて、頭頂部にモミの木をのせたらクラウゼズイクの出来上がり!

1958年 アッペンツェルの家庭でクラウゼズイクを作る兄妹…クラウゼビクリの間から編みパン『ファイルブレッド 』やくるみがのぞいています。↓

他地域のクリスマスツリーにあたるクラウゼズイクですが、アッペンツェルの人たちは、クリスマスを祝った後も続く雪が多く寒さが厳しい冬の間『クラウゼズイク』から『クラウゼビクリ』や『デヴィスリ』、くるみやドライフルーツを取り外し、少しずつ食べて春の訪れを待ったのです。滋養に富んで貴重な食材を詰め込んだ『クラウゼズイク』は冬の間の食料庫!つつましくほっこり温かいスイス北東部の山村の暮らしぶりには、生活を愉しむ知恵と工夫がいっぱいでした。

2度の世界大戦中に食料が配給制となり、クラウゼズイク作りに必要なクラウゼビクリやファイルブレッドを焼くことができなくなったのを機にクラウセズイクのボディー部分は、木枠に置き換えられました。それにともない、クラウゼズイクの食料庫としての役割は失われ、飾りに使われるクラウゼビクリやデヴィスリも食べられることなく何年も再利用される装飾品になっています。

スイス・アッペンツエル地方の人々が、日々の営みの 合間に描いてきた素朴な絵『Senntumsmalerei』   発見されている最も古いものは16世紀に遡ります。

以下Museum Appenzell所蔵絵画 

Johann Baptist Zeller (1877-1959) ヨハン・バプティスト・ツェラー作 20世紀初頭 初夏 放牧地・アルプ(アルム)へ牛を追い上げるアルプ行列 牧童の少年とヤギ、その後に牧人と牛、牛の後に農夫とアルプで使う道具が続きます…

Johannes Zülle (1841-1938) ヨハネス・ツュレ作 Schellenshötten 1880年頃    アルプに到着し、カウベルを揺らしながらヨーデルを歌う牧人たち 右下に飾り絵のついた桶が見えます。

Conrad Starck コンラート・シュタルク作   Fahreimer Bödli 桶の飾り絵 1823 年