クックド・ディナン Couque de Dinant 

12世紀 フランドル地方ディナンの町(現ベルギーのブリュッセルから100Kmほど東南にある町)のパン職人が、ローマ兵士の携帯保存食として伝わった『蜂蜜チーズパン』を改良します。

生地は小麦粉と蜂蜜のみで作り、職人自ら彫った木型に生地を詰め、型抜きして焼いたところ、滋味深い蜂蜜の甘味に加え、浮き出るレリーフの美しさも手伝って人気を得、『クック ド ディナン Couque de Dinant 』と呼ばれるようになっていきました。

1369年フランドルの領主フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世がブルゴーニュ公国のフィリップ2世のもとに嫁ぎます。

ブルゴーニュ公国の王都ディジョンで暮らした王妃マルグリットですが、彼女は故郷のお菓子『クックドディナン』が大好物で、ディジョンの地に移り住んでも取り寄せて楽しんでいたと伝わります。

その縁は途切れることなく、1452年フィリップ2世とマルグリッド3世の孫にあたるフリップ3世がフランドル地方の都市コルトレイクCourtrai(現ベルギー)に遠征中、クックドディナンを献上されると、その美味しさに感激!職人を連れ帰ったことで、ディジョンの宮廷でも『蜂蜜パン』が作られることになったのでした。

15世紀半ば…ブルゴーニュ公国4代目のシャルル・ル・メーテルは気性が激しく、領土を広げるために戦争を繰り返し、「突進公」「勇肝公」の異名を持つ人物でした。そのシャルル・ル・メーテルの圧政に苦しみ、対抗するためディナンの人々が蜂起すると、シャルル・ル・メーテルはすぐさまディナンに軍を向け、街を包囲します。それに対し人々は日持ちがして滋養のある『クック ド ディナン』で飢えをしのぎながら、丘の上の要塞で籠城を続け、ブルゴーニュ軍を撃退したのでした。

11世紀の中頃に建てられた丘の上の要塞 ディナンの街と曲がりくねるマース川を一望できます。↓

by https://www.expedia.co.jp/Dinant.dx5166

こうなると『クック ドディナン 』は町の救世主! 名実ともにディナンの誇るべき郷土菓子となりました。

分業化も進みます。パン職人に代わって家具職人が木型彫りに腕を振るうようになると、シンプルだった模様がバラエティーに富み、モチーフも意匠をこらしたデザイン生の高いものになっていったのです。

現在もディナンの町では1774年から8代続く老舗をはじめ、数軒の専門店が伝来の木型を使い、『クック ド ディナン』を作り続けています。

https://londoneats.wordpress.com/2014/08/11/les-couques-de-dinant/

芸術的ともいえるモチーフの見事な浮き彫りは、口に入れるのがためらわれるほどで装飾品として買い求める人が多いというのも納得です。

 『ヨーロッパ1堅いビスケット』は、歯がたたないほどではありませんけれど、紅茶やコーヒーに浸していただくのも人気のティースタイルです。

https://www.planetadunia.com/2016/05/5-experiencias-para-vivir-en-dinant.html

この『クックドディナン』がドイツ西端の街アーヘンに運ばれ、『プリンテン』へと変身をとげるお話は、こちらから…『プリンテン 』

マルグリット3世と、その孫フリップ3世によってブルゴーニュ公国に運ばれた『クックドディナン』は、その後スパイスが加えられ、『ボワショ』そして『パン・デピス』と名前をかえながら、今なおますます健在!フランス全土で愛されています。

*『ディジョンに運ばれたクックドディナン』へ…

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