アールグレイは伯爵好み

1806年 イギリス海軍大臣グレイ伯爵は東インド会社によって中国から運ばれ、謙譲された紅茶をたいそう気に入られ「また同じ品を…」とご所望されました。

しかしながらその紅茶は中国 福建省と江西省の境にそびえる武夷山脈の奥深くにある桐木村「トンムーむら」で作られるもので、流通量はごくわずか…簡単には手に入りません。

 かといって、他の産地の紅茶で代用するわけにもいかないのです。

 …というのも 桐木村周辺は岩地で、自生するお茶の木はその岩に根をはり、岩中に含まれるわずかな水分を吸い上げて生育の糧としている健気な生態…ただしその岩水は岩の成分が溶け出して、ミネラル成分がたっぷり含まれているため、それを吸い上げた葉っぱは『龍眼』の香りに例えられる独特の香りと甘みをもつ唯一無二の茶葉になるのです。

さらに標高が高く、夏でも気温が低い桐山村ならではの事情が重なりました。それは、製茶の仕上げに行う茶葉の乾燥が思うように進まなかったのです。そこで村の周辺にたくさん生えている松の木の枝を採ってきて、燃やすことで、室温を上げる工夫をしたものですから、室内は松の枝葉が燃えてでる燻煙が立ち込め、茶葉もその燻煙臭を吸い込むことに…

 結果できあがった桐木村の紅茶は、「龍眼の甘い香りをもち、松葉の燻煙臭も付着して…」大変に個性的なものでした。

アールグレイ伯爵ご所望の、個性的かつ少量しか生産されない桐山村の紅茶『正山小種』(本家本元!の産地で作られる、希少なお茶…という意味)を調達するのは至難の技となると、どうやって伯爵のご期待に応えたものか… 

オーダーを受けたロンドンの茶商が思いついた新作のアイディアは「正山小種のもつ独特の香りを柑橘の香りに代えてみよう!」でした。選ばれた果実はベルガモット

 シチリア島の一部やイタリア半島の先端の限られた地域でしか良質の果実が実らない気難しい果実です。

 その果皮を乾燥させたチップを茶葉に混入すると、柑橘の爽やかな香りが立ち上る紅茶ができあがりました…「伯爵さま 香りとお味のほどはいかがでしょう…?」結果 伯爵はその新作紅茶をたいそう気に入られ、一件落着…

 この紅茶はフェレーバーティーの先駆けとなり、伯爵さまのお名前をいただいて『アールグレイ』と命名されました。(アールEarl:伯爵) 

グレイ伯爵にベルガモットの香りの紅茶を献上したのはどの店だったのか真相は霧の中のままなのですが、1717年 イギリス初の紅茶専門店『ゴールデン・ライオン』を開業したトワイニング社の9代目 サム氏が「4代目のリチャードがアールグレイ紅茶の考案者である…」と発表その証として9代目サム・トワイニング氏と6代目グレイ伯爵のツーショット写真を挙げ、自社のアールグレイ缶に以下のような6代目グレイ伯爵のメッセージをサイン入りで載せています。

『トワイニング社は長年にわたり我が家系に紅茶を作ってくれました。

 その中には伝統的なものもあり、私の祖先 2代目アールグレイ伯爵が中国の使節団が持ち帰った優美な香りのお茶を気に入ったことから作られたものもあります。 

 それはアールグレイとしてずっと楽しまれてきました。今日私はその紅茶が世界中で有名になり、その伝統と共に広く知られていることを光栄に思います。』

これに対し、ピカデリーに店舗を構えるジャクソンもまた彼らがレシピの元祖所有者であると主張しています。実際1928年のジャクソンの広告には、「このお茶は1836年にアールグレイ伯爵の希望に応えるため導入された」と書かれ、さらに「チャイナティーの素晴らしいブレンドは、繊細な香りと独特の風味を高く表評価する紅茶愛好家にすぐに支持されました」と主張し、論争の終着点は見えそうにないまま…

その真相を知るグレイ伯爵は海軍大臣を経て、1830年首相に就任 4年間の任務中新時代を見据えた改革で、ヴィクトリア女王即位後の英国発展の礎を築かれています。本来ならまず政治家として名を残されるべきですが紅茶の名前の方が後世に残っています。その生涯は…

第2代 グレイ伯爵 チャールズ・グレイ Charles Grey  1764年~1845年

男爵家に生まれ、イートン校からケンブリッジ大学へ進み、卒業後は王家の侍従を務めたり、2年ほどヨーロッパ一周旅行に出かけて見聞を広げた後1786年から政治活動に参加 1830年から4年間首相を務め、救貧法の継続・発展、地方政府の民主化、児童労働の制限、奴隷労働の廃止、腐敗選挙区の廃止、議席の再配分などの政治改革を行いました。

これらは、新時代を見据えた改革で、その後のヴィクトリア朝英国の発展の礎を築きました。妻との間に11男5女(うち4人は早世)

 貴婦人の名はジョージアナ・キャヴェンディッシュ 第5代デヴォンシャー公爵夫人です。

公爵家の中でも最も財力があり、政治的影響力を持つといわれるキャベンディッシュ家は、17世紀より代々デボンシャー公爵位を世襲する名門中の名門貴族 そこへ嫁いだ17歳のジョージアナは、イングランド中の祝福を一身に受け、社交界に欠かせない存在となっていくのですが、ジョージアナが開放的で感情豊かなのに対し、デボンシャー公爵はとにかく冷静で感情を表現しないタイプ 二人の性格は絶望的に相容れないものでした。挙式後領地に向かう馬車での長旅中も会話らしい会話は皆無 ジョージアナが公の場で親密に接しようとすると腕を振り払って避けるほどだったといわれています。

1787年トマス・ゲインズバラ画 by wikipedia

時代はまだ女性の権利が乏しい18世紀 公爵夫人の役割は何もまして世継ぎを産むことでした。キャベンディッシュ家では女性の世継ぎは認めておらず、嫡男を産む必要があったのですが、ジョージアナはなかなか男児に恵まれません。さらに当時の貴族階級の男性には日常茶飯事の不倫沙汰も追い討ちをかけ、ジョージアナの心は荒んでいきました。

社交界で注目を浴びること、新聞に書き立てられることは彼女にとっては喜ばしい刺激で、愛情に飢えた心を満たすために不可欠となっていきます。

群衆の前でのスピーチ、初対面の人々との会話は彼女が最も得意とするところであり、その気品、自信に満ちた振る舞い、洗練された装い、ウィットに富んだ会話は人々の心を一瞬にしてとらえていきました。

女性にまだ参政権が与えられていない時代ながら、ジョージアナは政治にも強い関心を見せます。キャベンディッシュ家および実家であるスペンサー家が強く支持するホイッグ党(保守党の対立政党)の党員たちと討論を交わし、党員も顔負けの意見を披露することもしばしばであったといいます。

1790年に待望の息子ウィリアムを産んだジョージアナは、16年の重圧から開放されて愛に目覚めます。そのお相手はホイッグ党のリーダー格として頭角を現していたチャールズ・グレイ

 まだ青年政治家だったグレイ伯爵と7歳年上の彼女は熱い思いを交わし合う仲に…

 才気闊達で美しくマリーアントワネットとも親交があった社交界の華を主人公に、その波乱万丈の人生を描いた映画が『ある公爵夫人の生涯』です。

 当時の英国貴族社会にご興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょう

ちなみにデヴォンシャー公爵夫人はダイアナ皇太子妃の6代遡った大伯母にあたられる方…

世界初の着香茶アールグレイの開発者は商品登録をしなかったため、その後様々なメーカーがその着香茶を『アールグレイ』と称して製造販売するようになっていきます。その多くが、紅茶にベルガモットの香りを纏わせたさわやかな香りのお茶を『アールグレイ』として発売していく中、

 フォートナム&メイソンでは、松の燻煙香を付着させた茶葉をつかってこそ 由緒正しい『正山小種』に最も近いと考えて武夷山以外の中国産紅茶に松の燻煙臭を付着させ『ラプサン・スーチョン』と呼ばれて流通している茶葉にベルガモットオイルで着香して製茶 結果松の燻煙香とベルガモットの柑橘香が入り混じった独特のアールグレイが出来上がって異彩を放っています。

*紅茶に新たな楽しみを与えてくれた『ベルガモット🍊』はこんなところにも密かに?名前を残しています…

イタリア人がベルガモットを水に入れて携帯しつつ、ドイツのケルンまで旅をしました。旅先でその水を使って体を洗うと、大そう好い香りがしたので、彼はそれをケルンの王様に献上してみたのです。王様は大変気に入られて、評判に…その後ベルガモットの香りの水は『ケルンの水』としてフランスで広まって、『オーデコロン』と呼ばれるようになったとか…。 ケルンの水→水のケルン→オーデコロン