聖ルチア祭

ルチア祭は1213 キリスト教の聖人『聖ルチア』(『聖ルシア』、『シラクサのルチア』または『サンタ・ルチア』とも)の聖名祝日を祝う行事で、南欧およびスカンジナビア諸国で長く大切にされてきた祝祭です。                                                                       

スウェーデンではキリスト教が浸透するはるか昔から 旧暦の12月13日にあたる冬至は、1年で最も重要な節目とされ、この日を境に太陽の輝きが増すことから、翌年の豊作を祈願する豊穣祈願と、季節の変わり目に帰ってくると信じられていた祖先を迎える祖霊迎えを含んだ冬至祭『ユール』が行われていました。18世紀になると、そっこにイタリア生まれの光の聖女ルチア伝説と結びついて、古来から続く独自の風趣が色濃く反映された行事『ルチア祭』ができあがったのです。 

この日全国の教会をはじめとして幼稚園、学校、病院や高齢者が入居する施設など各会場では、キャンドルを載せたリースを頭に、白いガウンをまとい、太陽の炎を表す赤いサッシュを腰に巻いて聖ルチアに扮した少女が先頭に立つと、頭にリンゴンベリー(こけもも)のリースを載せ、白いガウンの「ターナ」と呼ばれるお供の少女達、手作りの長い三角帽や星を飾った杖を手に持ったStjärngosseフェーンゴッセ:星の少年」やエルフ、ジンジャーマン達も行列になって続きます。合唱隊は観客の前で数々の聖歌を歌い、光の祭典を分かち合うのです。

2023年1213日 私はストックホルムの教会でルシア祭に参加する機会を得ることができました。そのご報告から…

合唱メンバー全員がキャンドルを手にもって、「サンタ・ルチア」を歌いながら聴衆の待つ会場に入場し、蜜蝋のほのかに甘い香りが漂よいキャンドルの灯火が揺れる中、クリスマスキャロルをはじめ たくさんの聖歌を披露してくれました。聖ルシア祭を祝う会場にて…ストックホルム大学の聖歌隊メンバーによる合唱

1891年にオープンした世界初の野外博物館『スカンセン』…敷地内にはスウェーデン各地から農家や邸宅、教会など約160棟の建物が移築されています。写真はSegloa セーグローア村から移築された教会 1730年に建造された建物で、二階にはパイプオルガンも健在 手書きの壁画が当時をしのばせています。前日下見に訪れたところ、ルシア祭合唱の舞台で、200年前の服装をした長身の男性職員にお話を聞くことができました。屋外に出ると建物が使われていた当時の服装をした職員さんがにっこり 撮影に応じてくださり、外気はマイナス2℃なれど、ほっこり温ったか…。

昔ながらの歌を歌いながら家々を廻る風習が続く地域もあり、まだ暗い早朝、子供達がサンタルチアの歌を歌いながら、「飢えた人にはパンを!暗闇に蝋燭の火を!」と口ずさみながら家々を訪ねるのだそう。蝋燭の火に満たされたお祭りの最後にペッパーカーカとルッセカット が振る舞われ、スパイス入りのホットワインGlöggjulgröt グルッグ(julgröt ユールグルットともいう) を楽しむのが恒例で、 暗く寒い冬を彩る光の祭典として連綿と祝われてきました。 

 *「グルッグ」はスパイス入りのホットワイン グラスにレーズンとアーモンドをそれぞれ数個入れてから、スパイス香るホットワインを注いで飲むのがストックホルム流です…スーパーの棚にはレーズンとアーモンドが入ったグルッグ用小袋が山と積まれており、この飲み方が定番スタイルであることを実感したのですが、ワインをたっぷり吸い込んだレーズンと少しふやけた食感のアーモンドがなるほどの好相性でしたょ。

*「ペッパーカーカ 」はスウェーデンのジンジャークッキー 薄くてパリッ!が好まれています。

*「ルッセカットLussekatter」はサフランを練り込んで黄金色に染まった生地を成形し、レーズンを飾って焼き上げられる甘い菓子パンで、スウェーデンのクリスマスシーズンには欠かせない存在 とりわけ聖ルシア祭の主役スィーツです。

聖ルチア(サンタ・ルチア)

ルチアの生涯は不明なことが多く、確かなことは、古代ローマディオクレチアヌス帝支配下のシラクサで304年に殉教したという事のみです。伝承による生没は283年~304年 

語り継がれるその生涯は、イタリア・シチリア島の裕福な家に生れまれたルチアは信仰深い両親のもとで育てられますが、父が亡くなり、母の健康がすぐれなかったため、母とともに巡礼に出かけます。

カタニアの聖アガタ(シチリア島の殉教者)の墓に祈りを捧げると、ルチアの前に聖アガタが現れてお告げを与え、母の病はたちまし癒されました。

この奇跡を機にルチアはキリスト教に改宗し、生涯を神に捧げることを決意。自分の財産を貧しい人々に与え、神に使える生活を始めます。ルチアは、ローマ帝国下で迫害され、地下墓地に隠れ住んでいたキリスト教徒たちに密かに食べ物を運びました。両手に持てるだけのたくさんの食べ物を運ぶため、頭の周りにロウソクを載せていたと伝わります。

異教徒の婚約者との婚約を破棄すると、激怒した婚約者は彼女をキリスト教徒して告発

当時のイタリアはローマ皇帝ディオクレチアヌスのキリスト教迫害下にありました。ローマ社会において一神のみを崇拝するキリスト教信徒が増え続けることは、ある意味現人神である皇帝の存在を認めない事につながります。これを危険な政治的脅威と捉えた何人かの皇帝のもとで迫害が起こり、キリスト教徒は捕らえられ、処刑されていたのです…

彼女もすぐに捕えられ、ひどい拷問にかけられますが、それでも信仰を貫き通したため、目をえぐり出された。あるいは自ら目をえぐり出し殉教した…304年12月13日のこととされています。

彼女の犠牲はローマ中に広まり、6世紀には教会全体で彼女を信仰の守護者として讃えるようになり、中世その伝説は北欧にまで伝播していったのです。

セント・ルチア巡礼と殉教                            Wikipedia

「聖ルチア」はラテン語で「光」を表す『LUX』という言葉から派生した名で、その名前から「光」を象徴する存在「光の聖女」ととらえられて尊敬を集め、ローマおよびイタリア各地で古くから彼女を讃えるお祭が行なわれてきました。

*光量の単位「ルクス LUX」も「ラテン語で「光」を表す『LUX』という言葉から派生しています。

スウェーデンのユール

古来ゲルマンの人々は、季節の変わり目に亡き人の亡霊がこの世に帰ってくる。さらにそれに混じって精霊や悪魔や魔女が現世にやってくると信じていました。とりわけ太陽の力が弱くなる冬至をはさんだ時期は悪の力が強まるとして、冬至の夜 人々は焚き火を絶やさず、食べて飲んで歌って踊っての饗宴を繰り広げ、翌朝太陽が昇るのを待ちました。この夜の宴が華やかなほど冬を無事に過ごせると信じられていたのです。さらに冬至はこの日を境に太陽の輝きが増す日でもありますから、バイキング時代には北欧神話の主神オーディンや豊穣神フレイに生贄の猪を捧げてきたる年の豊穣と平安を祈ったのです。さらに妖精トムテがヤギを連れて現れ、子供たちにしつけの説教をし、良い子にはプレゼントを渡す…まるでクリスマスのような慣習がすでにキリスト教化する前から存在しており、こうした冬至の頃行われる祭りは「ユール」と呼ばれ、1400年代までには猪が家畜化された豚を生贄として供えるようになり、子供達が歌を歌い、家から家を巡るようになって華やかさもましていきました。

セント・ルチア北欧の冬に光を届ける…

ルチアはシチリア島のシラクサで304年に殉教し、聖人『セントルチア』となり、その命日12月13日が『聖ルチアの日』と定められました。

セントルチアの殉教伝はシチリアからイングランド、ドイツを経由してスウェーデンに届きます。

そこで光の聖女セントルチアの祝祭日12月13日は太陽の復活を祝うユールの饗宴と融合して『ルチアの光の祭典』へと姿をかえていったのです。

聖ルチアは暗闇に光をもたらす守護聖人として、日照時間の少ない冬の北欧で愛され、拷問で眼をくり抜かれたと伝わることから、自らの眼をお盆の上に載せたり、両目を持っている姿で描かれた肖像画が多く見られます。

フランチェスコ・デル・コッサ画  by Wikipedia

クリストキント  海を渡る…

ドイツおよび東欧などで16世紀半ばの宗教改革を機に成立したプロテスタントの世界では、カトリック界での聖ニコラウスに代わり、「クリスマスには幼子イエスが『クリストキント』の姿でプレゼントをもってきくれる」と考えられるようになりました。この『クリストキント』当初はキリストの幼少期の姿をイメージしていたものが、次第にブロンドの女性が白いガウンに王冠を戴いた姿に扮してプレゼントを配ってクリスマスを祝うようになります。これがスウェーデンにも伝わり、両手に持てるだけの食べ物を運ぶため、頭の周りにロウソクを載せて地下に潜むキリスト教信者のもとに通ったと伝わる光の聖女ルシアとイメージが重なって、少女がろうそくを頭に戴き、白いガウンをまとう姿が定着していったのです。

南ドイツ ニュルンベルグの街のクリストキント (2019年12月撮影)↑

 ♪ サンタ・ルチア も北欧へ… ♪

1849年にナポリ民謡としてナポリ語で歌われていた民謡「サンタ・ルチア」がイタリア語に翻訳され、編曲を加えて発表されると、大きな反響を呼び、数年後にはスウェーデンに持ち込まれました。

元歌はナポリ湾に面し、聖ルチアの名がついた波止場「ボルゴ・サンタ・ルチア」を讃え、船頭が自分の船に乗って夕涼みするよう誘いかける歌詞ですが、スウェーデンはじめ聖ルチア祭を祝う北欧諸国では「ルチアが闇の中から光と共に現れる…」といった新たな歌詞に変えて歌われるようになります。

1927年ストックホルムの新聞社が『ルチア』役を新聞で公募 ルチア行列を行ったことがきっかけで、国中にこの習慣が広がっていきました。

その後スウェーデンの各地で、その街のルチアが新聞で公募されてると、「ルチア」役に応募した女性たちの顔写真が新聞に掲載され、市民が投票してその年のルチアを選んだのだとか…。現在では、新聞での公募はなくなり、学校では生徒達が投票してルチアを選ぶよう変わって、ルチアになりたいと思うのは、女の子だけではないようで、保育園や小学校では男の子のルチアもいるとのこと…  ♪ ♫

早朝に始まるルシア祭 夜にはあちこちでコンサートも開かれ、12月13日は一日光と歌に包まれます… 私も午前中のスカンセンでのルチア祭に加え、夕刻訪れたデパートでもルチアの合唱に出会うことができました。皆さん足を止めて…2階のバルコニーにも観客がいっぱい!

そして合唱隊の傍には護衛の兵隊を従えて妖精トムテTOMTEN専用の椅子とクッションが設られ、ポストまで!トムテ宛のお手紙を投函するとお返事が返ってくる!と小ども達に大人気 ユールの文化が色濃く残る北欧の冬至祭:ルチア祭を堪能した一日でした。

家庭では一家の年長の娘が頭にロウソクのリースを載せ、白いガウンをまとって、セント・ルチアの歌を歌いながら、コーヒーと『ルッセカット 』『ペッパーカーカ』をのせたトレイを両親のもとへ運び、同じく白いガウンの他の娘たちが手にロウソクを持ってそれを手伝うのが恒例なのだそう。

スウェーデンの画家カール・ラーション(1853-1919)が家庭での聖ルチア祭の様子を描いています。

デンマークでは、ナチスの占領下にあった第2次世界大戦中の世情厳しい中、1944年12月13日に「闇の時代だからこそ光を」と隣国スウェーデンにならって聖ルシア祭が祝われ、以後華やかさを増して続いています。

クリスマスが近づくと麦わらのヤギ「ユール・ゴート」が飾られまます。麦藁には穀物の霊が宿ると信じられ、その力で新しい年の平安と豊穣を祈るのです。そしてヤギさんは北欧神話で農耕と戦いの神トールが操って空を駆ける戦車「チャリオット」を引く2頭の黒山羊 のイメージから…

この時期食べ物に飢える小鳥たちの餌となるよう、麦の穂束を屋根や門口、雪に覆われた畑に立てる。くる年の豊作を祈願する気持ちも込めて… 

デパートのお菓子売り場では、昔 生贄になったブタがチョコレートやビスケットに姿を変えて飾られ、寒く厳しい冬を生き抜いた先祖の暮らしを伝えつつ、愛嬌を添えていました。