Biber & Biberli ビーバー と ビバリ

ビーバーとビバリはスイス東北部 ザンクトガレンやアッペンツェルの街で作り継がれたスパイスブレッドで、14世紀にドイツのニュルンベルクから伝わったレープクーヘンがこの地域で独自に進化したものです。ご本家のニュルンベルクでは見ることができなくなった木彫りの型に生地を押し当ててレリーフを浮き出させるスタイルが継承され、300年余り前には真ん中にアーモンドペーストを挟むタイプも考案されました。

進化はそれにとどまらず、ビーバーにカラフルな絵付けを施し、それを主役として飾りつけるクリスマスツリーを用意してクリスマスを待つ習慣が出来上がっているのですから、もはや地域の生活文化の一部になっている誇り高き伝統菓子です。

ザンクトガレンやアッペンツェルはアルプス山脈とボーデン湖にはさまれる自然豊かなエリアに位置し、ドイツに隣接することからドイツ語が話されています。

チューリッヒから急行列車利用で1時間余りのザンクトガレンは、612年アイルランドからローマに向かって布教の旅を続けていた修道士 聖ガルスがこの地に留まり、僧院を建てて布教を始めたことに起源を持つ街です。ガルスの死から100年…その小屋は修道院へと改められ、街と修道院は聖ガルスにちなんで『ザンクトガレン』と名づけられました。その後修道院はベネディクト派の教義を採用し、文化と科学知識が集結された学問の総本山として中世ヨーロッパにその名を轟かせます。

その流れを汲んで18世紀に建設されたのが旧市街の中心部にある『ザンクトガレン修道院 Fürstabtei St. Gallen』で、併設の修道院図書館にはガルスが使った鐘が残され、遺骨が収められており、1983年にユネスコ世界遺産に登録されています。

街は修道僧の生活を支えた刺繍やレースの手工芸が継承され、特産の麻:フラックスを使った高級リネンを主力製品にした繊維工業で栄えてきました。現在中世の面影を残す静かな佇まいの街に75,000人ほどが暮らしています。

 ザンクトガレン修道院と聖ガルスの遺物            by stgallen

(左)聖ガルスの遺骨(右)聖ガルスが使っていたとされる鐘…金属の年代判定の結果ガルスが生きた時代のもとであると証明されているそう。↓

そのザンクトガレンで乗換え、牛たちが草を喰むなだらかな丘陵が広がる「これぞスイス」の風景を満喫しながらさらに約45分走るとアッペンツェル・インナーローデン準州の州都アッペンツェルに到着です。この小さな村では山での放牧と酪農、副業の養豚がさかんで、雪の多い冬季 女性は刺繍をして過ごしてきました。穏やかな生活が営まれる街の中心を横切る「ハウプト通り」には教会、礼拝堂、修道院、市庁舎など16~17世紀の建物に続いて商店が連なります。独特の切妻屋根の建物に描かれた色鮮やかで可愛らしい壁画や看板を眺めながらの散策も楽しく、昔ながらの製法を受け継ぐビールやチーズ、レースや織物、カウベル飾りなどの特産品は観光客にも人気です。

レーベンス薬局の壁面には薬草を描いた看板が一面に掲げられ、「病に効く薬草は多いが、死に効く薬草は一つもない」の綴りが添えられて…

Biber ビーバー

15世紀 ザンクト・ガレンの街に小麦粉とスパイス、蜂蜜を合わせて捏ねた生地を成型して焼く現代のレープクーヘン(当時は『ビメンツェルテ』と呼ばれていました)が伝わります。さらにそれはこの地域で独自の進化を遂げ、18世紀初頭 生地の真ん中にアーモンドペーストが詰み込まれる新たなタイプのビメンツェルテが加わりました。

その後19世紀には『Biberzeltenビーバーツェルテン』さらに短縮されて『Biber ビーバー』と呼ばれるようになるのですが、地元特産の梨の木を台木にして彫り出した木型に生地を押して、人物、家紋、地元のシンボル「熊」などのレリーフを浮かび上がらせて成型してから焼き上げられる姿も個性的で、『ビーバー』は郷土菓子としてクリスマスや結婚式、村のお祭りなどお祝いのペストリーとみなされ、長方形、円形、ハート型もあり、その重量は80gほどものから2Kgもあるものまで…と、バラエティー豊かに作り継がれてきました。

生地の材料は、小麦粉、砂糖、蜂蜜、牛乳、鹿角塩(膨張剤)とスパイス(シナモン、クローブ、アニス、ジンジャー、オールスパイス 、コリアンダー、カルダモン、スターアニスなど)を合わせてよくこねたら、一晩(…生産者によっては2週間ほど)ねかせて発酵させてから使います。

中に挟むアーモンドペーストは、アーモンドの粉末、砂糖、水に、香りづけのビターアモンドエッセンス、レモンやオレンジの皮のすりおろしを少々合わせて練ったもの

生地を木型のサイズに合わせた厚さ2.5mmのシート状に伸ばし、打ち粉をした木型に生地を軽く押してくぼみに押しこんだら、生地とフィリングの比率40~60%を目安にしてアーモンドペーストを挟み込みます。

片側にも生地をかぶせて空気を抜き、端一周にノッチを入れてしっかり合わせたら成型完了  2~3時間静置して全体を馴染ませ、艶出しに牛乳を塗って、220℃のオーブンで15~20分 美しい光沢のある堂々とした風格のビーバーが焼き上がります。

写真提供はアッペンツェル Gaisにて営業の『Appenzeller Biber Bäckerei』

 Biberli ビバリ 

アッペンツェルの街で手のひらにのる cmほどのサイズに仕上げたビーバーが作られると、小さくて可愛らしいものの最後に「り:li」をつけたがるスイスの人々によって、このビーバーの弟分は「Biberliビバリ」と命名されました。

スパイシーな白餡パン?を想わせるビバリはそのコンパクトさから年間を通して日常のスィーツとして食され、さらに観光客のハイキングの携帯食料としても人気を得て、スイス中どこへ行ってもスーパーで購入できるほどの人気商品になっています。

押しも押されぬ郷土菓子となったビーバー  ビバリ その歴史を紐解いてみましょう。

ドイツから伝わったジンジャーブレッド の歴史

スイス東部地方のジンジャーブレッド 事情に関しては、地元の民族研究家Albert SpycherアルバートスパイチャーがOstschweizer Lebkuchenbuch 東スイスジンジャーブレッドブック』(1932年刊行)に研究成果を著しています。

それによりますと、

 

14世紀ドイツ ニュルンベクの『bimenzelte ビメンツェルテ』がスイスのバーゼルとチューリッヒへと伝わります。

『Bimen(t)』は「染料と香辛料」を意味するラテン語の「pigmentum」に由来し、『zelte 』はゲルマン語で「平らなもの」を意味する「tjeld」に由来しますから、『bimenzelte ビメンツェルテ』は「スパイスが入っている平たいケーキ」

当時修道僧たちはラテン語を公用語としていましたから、修道院主導で焼かれたスパイスケーキの呼び名がラテン語由来の『bimenzelte ビメンツェルテ』とされたのは自然の成り行きで、その後バーゼルでは 『Basler Leckerli バーゼラー レッカリー』、チューリッヒでは 『Tirggel ティアゲル』と、それぞれ進化継承されていきます…

そしてビメンツェルテはベネディクト会の修道士によって14世紀末までにはサンクトガレンに伝えられ、当時の様子は「街の職人ギルドが焼いたビメンツェルテを修道会がクリスマスの贈り物に使った」とする1597年の記録からうかがい知ることができます。

その後修道院に入った上流階級の女性たちがビメンツェルテのレシピや作り方を習得して家族に広めると、1600年代末には家紋をレリーフモデルに使ったオリジナルのビメンツェルテが作られ、結婚式や記念の式典などで贈り物として使われて人気を集めました。

17世紀半ばになると、貴族や裕福な家の女性たちが手書きレシピを数多く残しています。ヴィディアナ州立図書館が保有するレシピによりますと、配合スパイス、卵の有無、サイズ、焼き色、子供用…さまざまな工夫をこらして作っていたことがわかります。そのうちの1例から当時のビメンツェルテ作りの様子をみてみましょう。

Biben-zeltenを作るには…

まずシュガーローフをシュガーニッパーまたは乳鉢で粉砕します。これはスパイスやアーモンドを刻むのにも使用され、「レモンの皮」は刻まれました。

*シュガーローフ:当時砂糖は頭頂部を丸めた円錐状に成形されてカリブ海やブラジルなどから運ばれていました。使用にあたり固形の砂糖を刃先の付いたニッパー:シュガーニップスで削り切りながら使っていたのです。

蜂蜜と砂糖は真鍮の鍋に入れ、穏やかな火にかけて、煮溶かしました。

コショウ、生姜、メース、カルダモン、クローブ、アニス、シナモン、レモンを混ぜ入れ、「最も美しいジンメル粉」:「白くて上質な小麦粉」も合わせて捏ね、生地を作ります。…

蜂蜜に砂糖も加え、スパイスをたっぷり加えてレモンで香り付けし、最上質な小麦粉を使う…当時としては贅沢な材料を使った思い入れを感じるレシピで、このお菓子が特別感のある存在だったことが伺い知れます。

これに対し当時のギルド職人はそのレシピを門外不出の伝承とし、書き残すこともなかったので、そのレシピは伺い知ることはできません。

そして18世紀初頭『ビメンツェルテン』にアーモンドペーストが挟まれたニューフェイスが登場しました! 

1708年に書き残されたレシピによりますと…(重量は現在の基準に換算し直しています)「ビベンゼルテンを作るには 1 kg 300 g の蜂蜜に対して、砂糖1 kg、小麦粉2 kg、生姜15 g、レモン 2 個分のすりおろし、クローブ 15g、シナモン 30 g、ナツメグ 6 g、アニス 4/10 (?)、シナモン水 60 g

フィリングには、アーモンド 250 g (細かく刻んだもの)、砂糖 250 g、レモン 1 個分のすりおろし、シナモン 22 g、卵 1 ~ 2 個が含まれます。

この頃(18世紀)アッペンツェラントには34軒もの専門店ができ、最盛期を迎えますが、18世紀末には裕福な家庭の主婦が専用の木型をパン屋に置き、自家製の生地を持ち込んでパン屋の釜で焼いてもらう光景も見られるようになり、ビメンツェルテが庶民の生活に普及してきている様子がうかがえます。

描写は1707年にザンクト・ガレンの街角を描いた『砂糖菓子を売る店』

これは1745年ドイツの化学者が寒冷なヨーロッパの地で栽培可能なビート(甜菜)から砂糖を分離することに成功し、1802年には地元のビートを原料に使う甜菜糖製造が工業化されたため、安価な砂糖を大量に使えるようになったために実現したものです。

『Bimenzelte ビメンツェルテ』は時の経過とともに変化して、1800年代の出版物には『Biberzeltenビーバーツェルテン』と表され、さらに短縮されて『Biber ビーバー』へと変化していきます。

『ビーバー』は他地域にはないオリジナルなジンジャーブレッドですから、仕上げのレリーフ模様に様々な意味合いや思いを託して、ますます地域のお祝いやクリスマスには欠かせないものになっていきました。

こうして『ビーバー』が広く親しまれるようになると、コンパクトサイズの『Biberliビバリ』も生まれます。

さまざまな型のレリーフで仕上げられる『ビーバー』と『ビバリ』ですが、特徴的なのが立ち上がる左向きの『クマ』さん…アッペンツェルには『Bärli-Biber ベアリビーバ』Bär(=bear=クマ)の名称があるほどで、このクマさんたちザンクトガレンやアッペンツェルの市の紋章と定められ、市旗にも描かれています。

↓(左)ザンクトガレン 市章、(中央)アッペンツェル 市章

その由来は…

 

「聖ガルスは師匠である聖コルンバンとその他の弟子たちと共に、アイルランドをたち、キリスト教の布教をしながらローマを目指していました。

その途中、ミューレネン渓谷にやって来た彼は、うっそうと生い茂る草に足を取られて転んでしまいます。ガルスはこの出来事を「神の啓示」ととらえ、一行から離れてその地に留まる決心をします。

彼はこの地に小さな僧院を建て祈りの場にすることにしたのですが、そこは凶暴な熊が出没して人々を怖がらせている地でした。

ガルスが焚き木を集めていると、熊が現れました。そこでガルスが熊にパンを与え、小屋の建設を手伝うように諭すると、熊はパンのお礼に僧院建設の木材を集めるのを手伝い、その後二度とこの地には戻らなかった…という伝承が伝わり、街のあちこちにレリーフとしても残されています。さらにスイス中で販売されて人気のビバリにも、木材を運ぶクマさんの姿が伝承を伝えています。

Biberfladen ビーバーフラーデン

1800年代半ば小さな農村だったアッペンツェルで、『Biberfladen ビーバーフラーデン 』が生まれます。15世紀にザンクトガレンに伝わったビーバーツェルテンは16世紀にはアッペンツェルでもクリスマスのお祝いケーキとして作られていましたが、そこから新たに生まれたビーバーフラーデンはといいますと…

直径30cm、重量300gほどの円形で、高さ約3~4cm に焼き上げられ、ペーストなどの詰め物をせず、表面にフォークで線を描いて仕上げるのが定番スタイル

生地の材料となるのはスペルト小麦粉、小麦粉、蜂蜜、スパイス、砂糖、卵、牛乳、塩で、従来のスパイス ケーキの材料に卵や牛乳が加えられたことで、焼き上がりは柔らかくふんわり…

スパイスミックスは作り手ごとに異なりますが、 通常…シナモン、アニス、スターアニス、ショウガ、クローブ、コリアンダー、カルダモンに加え、『白コショウ』や『フェンネルシード』を使うのが特徴です。アーモンドペーストを詰めないため、ビーバーフラットブレッドの価格はビーバーの半分ほどで抑えられるのも魅力でした。

1800年代半ばには地域新聞のクリスマス広告に掲載され、さらに1881年発刊の雑誌に…「ビーバーフラットブレッド」は、アッペンツェリアで新たに誕生した「蜂蜜生地から作られたケーキ」…として紹介されています。以来ビーバーフラットブレッドは地元民に圧倒的な支持を得て、バターを少量のせて、またコーヒーや紅茶に浸して、さらにワインに合わせて…と、日々お茶のシーンや食卓に上るスパイスブレッドとして愛され続けています。

スイスの北東部 ザンクトガレン の街にドイツからビメンツェルテ(レープクーヘン)が伝わり、アーモンドペーストが入った『ビーバー』が生まれました。そしてアッペンツェルの村では『ビバリ』と『ビーバーフラーデン』が考案され、さらに100年ほど前 ビーバーに絵付けを施す『クラウゼビクリ』が生まれると、それが主役のクリスマススツリー『クラウゼツークChlausezüüg』が飾られるようになって、独特のクリスマス文化が華開いていくのです…

冬のアッペンツェルのクリスマスをお楽しみ下さい。