Pain d'épices  パン・デピス…2 アルザスのパン・デピス 

フランス の北東部に位置するアルザス地方は、ライン川を隔ててドイツと隣接しているため、独仏がその領有権を巡って争いを繰り返した歴史があります。ボージュ山脈とライン川に挟まれたその地は、点在するワインの産地をつなぐ『ワイン街道』が縦断し、葡萄、小麦、果物類に加え乳製品と、農作物に恵まれ、さらに鉄や石炭といった地下資源も豊富でしたから、争奪戦を免れず、フランスとドイツが交互に領有を繰り返し、第二次大戦後はフランス領に…

文化も独仏双方の影響を受けながら融合して、独自のアルザス スタイルが出来上がっています。

スパイス入り蜂蜜パンもしかり! フランス語で「スパイス」は「デピス」ですから、「スパイスパン」は『パン・デピス Pain d'epice 』と呼ばれ、13世紀からルーツを異にする2種類の形状のものが作り継がれています。

1つはドイツのレープクーヘンの流れをくむ「クッキータイプ」「薄焼きパンタイプ」

 もう1つは、中世ブルゴーニュ公国の首都ディジョンで作られるようになり、次第にフランス中に広まった「パウンド型タイプ」です。

13世紀末 神聖ローマ帝国(現ドイツ)南部バイエルン州の修道院で、麦粉と蜂蜜を練って焼いていたパンの生地にスパイスが加えられ、『ペファークーヘン』が誕生しました。…それは次第に周辺地域に伝わり、ライン川沿いに進んでアルザス地方、さらにフランス王国のパリParisやランスReimsにも伝播していきましたが、アルザス地方には「アルザスのパン・デピスはドイツの老巡礼者がヴィレ村(リヴェーヴィレRibeauville)に伝えたのが始まりだ」との昔語りが残っているとか…

オルレアネ地方ピティヴィエPithiviersには、11世紀に亡命して来たアルメニアの司教 聖グレゴリウスがこの菓子をもたらしたとする説が残っている。

アルザス地方ゲルトヴィラーにあるパン・デピス博物館によれば、ドイツでプフェッファークーヘン(レープクーヘン)の記述が見られるのは1296年 アルザスでは1453年の資料にマリーエンタールMarienthalシトー派修道会の修道士たちのクリスマスの食卓で、パン・デピスが供されたことが書かれているという。

ルネサンス期にはレープクーヒャー(:パン・デピス 職人)の組合も誕生し、ブレッツェルを口にくわえた熊を標章にしていたそうだ。

マリーエンタールMarienthalはアルザス地方にある小さな村の名前で、「マリアの谷」という意味のドイツ語の地名

フランスの郷土菓子 河田勝彦P38

マリエンタール修道院醸造所

https://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g666532-d1366995-i105494988-Gutsausschank_Weingut_Kloster_Marienthal_Franz_Josef_Appel-Dernau_Rhinel.html

マリエンタールにあるシトー修道会の修道士によって伝えられ、「マリエンタール修道院のクリスマスの食卓で供された」と記録に残るのは1453年のことです。

アルザスでパン・デピスが盛んなのは、中世に首府ストラスブールが東西貿易の拠点だったため、スパイスが手に入りやすかったことによる。     フランス伝統料理と地方菓子の事典P980

アルザスのパン・デピス 5つの特徴 

アルザス地方にスパイス入り蜂蜜パン『ペファークーヘン』が伝わって600年

進化しつつ多彩になったアルザスの『パン・デピス』の特徴を5つにまとめてみます。

① 呼称は『パン・デピス』… 

中世から続く歴史の中で、時代によって呼び名の変遷があったようですが、第二次世界大戦が終了し、フランス領になってからは、フランス国内共通の呼称である『パン・デピス』に統一されています。

② 豊富なバリエーション

地域の歴史と独特の文化を背景に、バリエーションが豊富…薄めに延ばして型抜きして焼くドイツタイプと、パウンド型で焼き上げるフランスタイプが共存しています。

以下代表的なタイプ4種を写真とともにご紹介します。

 1) 生地を平たく延ばして型抜きしたパンタイプニュルンベルクのレープクーヘンなどドイツから伝わったスタイルにアルザスらしさが加わっていて、アイシングでカラフルにデコレートしたり、クロモスをおいて包装するものもあり、オリジナルデザイン作成やメッセージを入れる…などのオーダーに応じてくれるお店もあります。

2)『Pive ペイブ』フランス ディジョンの定番パウンド型はアルザスでも人気です。

3)『Nonette ノネット』パンデピスの生地を小さな円筒形に型抜きし、中にコンフィチュール(ジャム)などを詰めたもの。中世期ランスで作られていたものが伝わったとされ、アルザス特産のブルーベリーやフランボワーズ(木いちご/ラズベリー)のコンフィチュールが使われ、人気を集めています。修道女:「Nonne ノンヌ」が作っていたことに由来し、修道女「nonne」 と可愛い、小さいを表す「ette」から『Nonette』

『Glasse Mince グラッセ・マンス』「砂糖やカラメル、ゼリーなどの糖衣を着せ、光沢を出す」調理法を表すGlasseと、「薄い、ほっそりした」という意味のminceからなる名前をもつこのお菓子はパン・デピス生地を薄く焼き、表生地一面に砂糖衣をかけて仕上げられます。11月になるとたくさん出回り、聖ニコラウス(フランスでは聖ニコラ)やクリスマスにちなんだ柄のクロモスを載せてラッピングされることが多く、12月6日の『聖ニコラの日』や『クリスマス』のプレゼントに好んで使われます。↓ストラスブールのパン屋さんの店頭にて撮影(2019年12月)

ランゴ・パン・デピス(ランゴ=金塊) …パウンド型

ラング・パン・デピス(ラング=舌)…舌のように細長い

フランス伝統料理と地方菓子P980

 ③ 生地に使われるスパイスはアニス、シナモン、クローブ、ジンジャー、ナツメグ、カルダモンなどで、さらにオレンジやレモンのピール、クルミなどのナッツ類も加え、リッチな風味に仕上げられるものも人気を集めています。

④ 蜂蜜は近隣の森で採れる〝もみの木の蜂蜜〟を使い、地元産にこだわります。

⑤ 聖ニコラの日の捧げ物に…アルザスでは12月6日:聖ニコラの命日にパンデピスを捧げる習慣があるため、パン屋さんの店頭には聖ニコラモチーフのグラッセ・マンスがたくさん用意され、市民はこぞって買い求めます。日本で年神様に鏡餅をお供えするのと似た習慣ですね。

 聖人に捧げた後は、その尊い行いを讃えながら、家族皆んなでいただくのがお決まりです。クリスマスの時期 ドイツやフランスではどの町のパン屋さんも自宅用に、プレゼント用にとパンデピスを買い求める人で大賑わいですから、アルザスではその賑わいが2度おとずれて、パンデピス が大活躍するというわけです。

サンタクロースのモデルは『聖ニコラ』

英語圏で『聖ニコラウス』、フランス語圏で『聖ニコラ』と呼ばれる聖人の「聖」は「サンタ」です。ですから「聖ニコラウス」は「サンタニコラウス」…それが変化して『サンタクロース』になったといわれています。

 聖ニコラウスは3~4世紀頃ギリシャの港町パードレの裕福な家庭に生まれ育ち、のちにトルコ南部ミュラ(現イズミル)の司教になりました。いくつもの奇跡を起こしたといわれ、13世紀にジェノヴァ市の大司教が聖人たちの生涯を記した『黄金伝説』の中にある逸話の1つは、クリスマスプレゼントの起源になったものです。そのお話とは…

ニコラウスの住まいの近所に3人の娘のいる家族が住んでいましたが、大変貧しくて、長女が身売りをしなくてはならない状況に追い込まれてしまいます。それを知ったニコラウスは、夜 隣の家の煙突(または窓)から金貨を投げ入れました。

 その金貨は暖炉のそばに干してあった靴下の中に入って、そのお金で娘は救われ、恋人と結婚することができたのです。下の2人の娘に身売り話が持ち上がった時も同じことがおきました。このことからクリスマスの夜 靴下を下げておくと、サンタクロースがそっと贈り物を入れてくれる…と信じられるようになり、クリスマスプレゼントの習慣が生まれたといわれています。

1425年のジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(イタリア)ヴァティカン美術館所蔵の絵画より

https://www.huffingtonpost.jp/entry/santa_jp

  聖ニコラウスは3~4世紀にかけて生きたとされ、6世紀に聖人に列せられた後、命日にあたる12月6日が『聖ニコラウスの祝日』になりました。      

チョコレートの聖ニコラウス ストラスブールにて→ 

12世紀の文献に記載され、数々の絵画にも描かれた聖ニコラの奇跡をもう1つ… 

ある飢饉の年、落穂拾いに出かけた3人の子供が肉屋に一夜の宿を求めました。肉屋の夫婦は子供たちを招き入れたものの、殺して樽の中に放り込み、塩漬けにしてしまいます。それから7年後、聖ニコラウスが通りかかり、肉屋に入って食べ物を求めました。肉屋はハムと子牛の肉料理を出しましたが、聖ニクラウスは「7年前のあの塩漬けの子の肉が欲しい」と言うのです。驚き恐れた肉屋はその罪を詫びて神に許しを乞いました。…聖ニクラウスが店の奥にあった塩漬けの樽に指を3本のせると、中から3人の子供たちが、まるで今まで眠っていたかのように大あくびをしながら出てきました… このエピソードを修道士が劇にして上演すると人気を博し、広く知られるようになって、以来聖ニクラウスは『子供の守護聖人』としても崇められるようになったのです。

↑16世紀の「アンヌ・ド・ブルターニュの大いなる時祷書」に描かれた「肉屋から3人の子どもを救う聖ニコラウス」

https://www.huffingtonpost.jp/entry/santa_jp

12月6日は子供の祝日:聖ニコラの日

12月6日 の『聖ニコラの日』子供達はプレゼントをもらい、『Manala マナラ』=「小さな坊や」というブリオッシュ生地のパンを食べてお祝いします。マナラ は身体に3つほどボタンがついた男の子で、ボタンの部分はレーズンか、チョコレートが使われて、ホットチョコレートやホットココアに浸してパクッ!が定番です。

12月6日はアルザスの子供達にとって、「サン・ニコラ」と呼ばれる特別な日 サン・ニコラは子供達の守護聖人 この日子供達は彼らの友達という設定で作られたマナラ というパン菓子を食べながら、この守護聖人がお菓子を届けてくれるのを待つのが伝統でありが、この穂はアルザス中の人々がホットミルクやホットココアに浸しながら、マナラ を食べる。

12月6日アルザス地方の町々では、聖ニコラに扮した男性がねり歩く。フランス菓子図鑑 P152

パン・デピスの村『Gertwiller ゲルトヴィラー』

 アルザスの『パン・デピス』を語るに、外せない街があります。『Gertwiller ゲルトヴィラー』…『ハウルの動く城』の舞台になったことでも知られる『Colmar コルマール』の街と、『Mulhouse ミュルーズ』のちょうど真ん中あたりで、ボージュ山脈の麓にある小さな街です。 *掲載の『アルザス地図』を参考にしてください。

16世紀 この街でパンデピス作りがたいへん盛んになり、職人のギルド(専門の職人組合)が結成されるほどに 以来 ゲルトヴィラーは『パンデピスの街』として名を馳せ、今に至ります。

200年以上続く老舗は博物館を併設し、工場見学や体験コーナーもありますから『パンデピス』好きにはパラダイスです。

 

 FORTWENGER本店 / フォートウェンガー

 住所:144 Route de Strasbourg, 67140 Gertwiller

HTTPS://www.fortwenger.fr/ 

 

パン・デピス専門店 FORTWENGER工房にて↓

 La maison du pain d'épices,Lips

メゾン・デュ・パンデピス リップス

住所 110 Rue Principale 67140 Gertwiller Fran

 https://www.paindepices-lips.com

リップスの2Fには博物館が併設され、開店した1806年以来使われてきた道具類、昔の広告や家具や食器、おもちゃまで展示されて心踊る空間が広がります。