Rushbearing Gingerbread ラッシュベアリング・ジンジャーブレッド 

 

イギリス 北西部 湖水地方のグラスミアといえば、『グラスミア・ジンジャーブレッド 』! セーラ・ネルソンが考案し、以来170年ちかく『セーラ・ネルソンのジンジャーブレッド 店』でのみ購入可能な人気商品です。

このセーラの店で年1回だけ作られるのが、『ラッシュベアリングジンジャー ブレッド 』…『Rushbearing Ceremony:ラッシュベアリング祭』で子供達が楽しみにしているご褒美ブレッド です。

            2種類あったジンジャーブレッド

セーラが『グラスミア・ジンジャーブレッド 』を考案し、販売を始める前、グラスミア には、近隣の町や村同様 厚めに焼き上げるしっとりケーキタイプと、カリッとしたビスケットタイプ2種類のジンジャーブレッドが存在し、家庭で焼かれてもいましたし、ベーカリーでも販売していました。

それが1854年 セーラのジンジャーブレッドが販売されると、いつしかグラスミア のジンジャーブレッドといえば、セーラの作る板状の『グラスミア ・ジンジャーブレッド 』となり、かつてのしっとりケーキタイプもカリッとビスケットタイプも影を潜めてしまいました。

ただし『セーラ・ネルソンのジンジャーブレッド 店』により年1回『Rushbearing Ceremony:ラッシュベアリング祭』の日に限って、しっとりケーキタイプが復刻され、お祭りの後、参加者に振舞まわれているのです。

        厚いのも、薄いのも… ワーズワースの大好物

ジンジャーブレッド がいかに愛されていたか…グラスミアで暮らした詩人ワーズワースの妹ドロシーの日記の一コマからみることができます。

ドロシー・ワーズワースの『グラスミア日記』1803年1月13日の記より 

‘Intensely cold, William had a fancy for some ginger bread. I put on Molly’s cloak and my Spenser, and we walked towards Matthew Newton’s. I went into the house. The blind man and his wife and sister were sitting by the fire, all dressed very clean in their Sunday clothes, the sister reading. They took their little stock of gingerbread out of the cupboard, and I bought 6 pennyworth. They were so grateful when I paid them for it that I could not find it in my heart to tell them we were going to make gingerbread ourselves. I had asked them if they had no thick – “No,” answered Matthew, “there was none in Friday, but we’ll endeavor to get some.” The next day the woman came just when we were baking and we bought 2 pennyworth.’                                                                on January 16 Grasmere journal Dorothy Wordsworth           

1803年1月13日は極端な寒さでした。ワーズワースはジンジャーブレッドが食べたくなり、妹のドロシーとコートを羽織って買いに出かけます。

2人が欲しかったのは厚いタイプのジンジャーブレッドだったのですが、薄いタイプの在庫しかなく、それを6ペニー分買って帰りました。翌日自分たちでジンジャーブレッドを焼いていると、昨日のパン屋さんが厚いタイプのものを焼いて持ってきてくれたので、それも買いました…といった内容です。

寒い冬の夜 コートを羽織ってまで買いに出かけるとは、よほど食べたかったのでしょうね。残念ながら厚いしっとりタイプがないとなると、翌日には自分たちでも焼こうというのですから、兄妹のジンジャーブレッド 好きは相当なもの! 

セーラがオリジナルのグラスミア ジンジャーブレッド を考案する50年前…厚いのと、薄いのと…2種類のジンジャーブレッドをめぐって繰り広げられたワーズワース兄妹の微笑ましい日常が伝わります。

《ダブ・コテージ》 1799年から1808年にかけてウィリアムとドロシーのワーズワース 兄妹が暮らした家 兄ウィリアムの後世に残る偉大な英詩の数々がここで

生まれました。また妹ドロシーが著した『グラスミア 日記』もダブ・コテージが舞台

です。石炭を燃やす暖炉や敷石の床、暗褐色の板張りの壁など当時のままに保たれ、兄妹の暮らしぶりに想いを馳せられる場…

コテージの裏手にはワーズワース ・ミュージアムがあり、ワーズワースの草稿や書籍肖像画、英国ロマン派に関する資料が展示されています。

            土間にはラッシュを敷いて…  

中世イギルスではほとんどの教会や住居の床は、土を押し固めた土間でした。

そこに乾燥させたラッシュ(イグサ)やハーブを敷くことで、冷えを防ぐ工夫をしたのですが、イグサやハーブには強力な殺菌、抗菌作用もありますから、住居の衛生にも一役買い、さらにアロマ効果も期待できたのです。

 

各地の教会にはイグサを刈って運び込み、土間に敷き詰める作業をしてくれる人「Rashbearers」に支払った給金の明細記録が残り、往時を偲ぶことができます。

      Rushbearing  Ceremony ラッシュベアリング祭

イグサを刈って運び込み、教会の土間に敷き詰める「ラッシュベアリング 」は花と春と豊穣を司る女神フローラに敬意を評し、古いケルトの夏の儀式からの影響も残した教会行事『ラッシュベアリング セレモニー』として16世紀までには、イギリス 全土に定着していました。

教会にはそれぞれ守護聖人が与えられていましたが、各教会ではその聖人の奉献の日を『ラッシュベアリング の日』と定め、当日は鐘を鳴らしてラッシュを持ち込む人「ラッシュベアラー」を迎えました。床に刈り取ったばかりの清々しい香りを放つラッシュが敷きつめられると、ラッシュベアラーに、ワインやエール、ジンジャーブレッド が渡され、その後は村をあげてのお祭り…羽目を外しすぎることもしばしばだったそう…

イギリス 各地で行われた『ラッシュベアリング セレモニー』ですが、教会の床に石が敷かれるようになると、19世紀初頭には衰退してしまいます。

それが19世紀後半イギリス 北部の町や村で毎年の恒例行事として復活し、グラスミアにも8月9日聖オズワルドの日に『ラッシュベアリング セレモニー』が戻ってきました。

当日村人たちは朝早くからウィンダミア湖畔に出かけて行き、ラッシュを集めます。数日かけて、ラッシュと花で造形物「ラッシュベアリング」を準備する人たちも…

それをもって村の学校へ集合したら、ラッシュベアリングパレードの開始です。

行列の先頭を行くのは『ゴルードクロス』そして主役は「ラッシュベアリング メイデン」または「rushmaidens ラッシュメイデン」と呼ばれる6人の女の子で、ラッシュでトリミングされ、花で飾られたリネンシートを運びます。合唱団やバンドも続き、教会の守護聖人である聖オズワルドの旗も掲げられています。

村を巡回した後、行列は聖オズワルド教会に到着し、『ゴールドクロス』が祭壇の上に置かれると、子供達はこぞってラッシュやハーブを床に敷きつめます。

会堂内がラッシュの香りで満たされたところで礼拝、賛美歌を歌って…お祭の最後はグラスミア ジンジャーショップが子供達のために特別に用意したしっとりケーキタイプのジンジャーブレッドが手渡され、聖オズワルドの記念印を押してもらえばラッシュの香りに包まれた1日の終了です。

* 聖オズワルド 604~642年 ノーサンブリアの殉教者

ノーサンブリアはアングロサクソン人が築いた七王国のうち、最も北 にあった王国です。616年ノーサンブリアの王であった父が殺害されるとオズワルドはスコットランドに逃亡し、アイオナの修道院で育てられ、洗礼を受けます。長じて帰郷し、父の王座を取り戻して王座に就くと、アイオナ修道院から修道士を招き、宣教の援助をしました。

オズワルドはイギリス の偉大な英雄として崇められ、聖オズワルドの日は8月9日と定められています。

グラスミア では故郷の英雄 聖オズワルドの日に近い日曜日に『ラッシュベアリング ・セレモニー』を開催し、故郷の英雄を称え、フレッシュなラッシュで教会を清めてお祭りが行われています。

14世紀に建立された聖オズワルド教会…

セーラ・ネルソンの店の右手に墓地入り口があり、ワーズワース やその家族、そしてセーラ・ネルソン夫婦もねむっています。

 

写真提供 グラスミア 広報 https://grasmerevillage.wordpress.com