Pain d'épices  パン・デピス…1

フランスでスパイス入り蜂蜜パンは『パン・デピス』…フランス語でスパイスを「Épice:エピス」ということからの名称で、地域の歴史や文化を背景に、特産の蜂蜜やジャムなどを使い、各地でバラエティー豊かに作り継がれています。

13世紀末 神聖ローマ帝国(現ドイツ)南部バイエルン州の修道院で、麦粉と蜂蜜を練って焼いていたパンの生地にスパイスが加えられ、『ペファークーヘン』が誕生しました。…それは次第に周辺地域に伝わり、ライン川沿いに進んでアルザス地方、さらにフランス王国のパリParisやランスReimsにも伝播していきます。

1400年代前半フランスとイギリスとの間で続いた戦争で、劣勢に陥っていたフランスですが、ジャンヌダルクの活躍により形成が大逆転!1453年イギリスは大陸から全面撤退して百年戦争が終結します。

その時代のフランス王シャルル7世(1403~1461)の愛妾であり、宮廷内で大きな影響力を持っていたアニエス・ソレルは、『スパイス入り蜂蜜パン』を「食べ飽きることがない」と表現しています。その後フランソワ1世(1494~1547)の姉にして、ナバラ王妃マルグリット・ド・ナヴァル(1492~1549)も『スパイス入り蜂蜜パン』が大のお気に入りだったと伝わりますが、フランソワ1世の次男アンリ2世の時代になると、メディチ家出身の王妃カトリーヌ・ド・メディシス(1519~1589)が実家から連れてきた家臣たちが、「麦粉と混ぜ合わせるスパイスに紛らせ、毒を盛っている」という噂が流れたため、たちまち疑惑の火種となってしまいます。

↓左からアニエス・ソレル、マルグリット、カトリーヌ・ド・メディシス by wikipedia

このため『スパイス入り蜂蜜パン』はパリやベルサイユでは姿を潜めますが、歴代フランス王が戴冠式を行った街シャンパーニュのランスReimsで製造が盛んになり、1571年スパイスパン職人たちはギルド(同業者組合)を設立 … 1596年にアンリ4世によって公認されると製造権の独占を主張して獲得し、ライ麦粉とシャンパーニュ地方産の蜂蜜を使って作られる『スパイス入り蜂蜜パン』は「ボワショ」と呼ばれフランス革命終了まで200年間隆盛を極めました。

当時のスタイルは、ドイツのレープクーヘン同様木型を彫り、そこに生地を押し込んで抜いたものを焼いており、1694年刊行の『Dictionnaire de l'Académie française アカデミー・フランセーズ辞典』で『スパイス入り蜂蜜パン』は「ライ麦粉、蜂蜜、スパイスで作られるパンケーキ」と定義されています。

一方、太陽王ルイ14世(1638~1715)の時代になると、スイーツをこよなく愛した王の寵愛を受け、パリでもその人気が復活しています。 

『ボワショ』などと呼ばれた『スパイス入りの蜂蜜パン』ですが、18世紀初頭に『パン・デピス』と呼ばれるようになると、フランス国内でほぼ統一され、18世紀末には、薄く延ばした生地を人や動物を形どった押し型でくり抜き、焼き上げるタイプのパン・デピスが現れ、1827年にパリの動物園でキリンが公開された時には、キリンを形どったパン・デピスが流行したと伝わります。

また この頃になると、ジンジャーブレッドメーカーと呼ばれた商人が、携帯用のオーブン:「カントリーオーブン」を運びながら移動し、屋外でパンデピスを焼くサービスを行っていたといいますから、その人気のほどがうかがえるというものです。

←「Reimsのジンジャーブレッドメーカー」18世紀の彫刻パリ カーナバレット博物館蔵 

https://levainbio.com/cb/crebesc/histoire-dun-pain-depice/

18世紀初頭ブルゴーニュ地方のディジョンでも製造が盛んになり、コート・ドール県だけ12軒の生産者がいたことが分っています。

ブルゴーニュ地方はパリのリヨン駅からTGV(高速列車)利用で1時間半の距離にあり、『ワイン』や『マスタード』など美食の宝庫として名を馳せるエリアですが、かつてブルゴーニュ公国の都であったディジョンには14世紀にフランドルから嫁いできたマルグリッド3世によって蜂蜜パンの『クックドディナン 』が伝わっており、これをベースに地元特産のスパイスであるアニスを加えて誕生したのが『ボワショ』と呼ばれたディジョンの『スパイス入り蜂蜜パン』です。

1702年ディジョンの菓子職人の親方ボンナヴァンチュール・ペルランが「町の入口で隣村の住民が菓子やタルト、パン・デピスなどを売っている!」と苦情を訴える陳情書が残されています。これが『パン・デピス』という名称の最も古い記載とされ、以後フランス国内で作られる『スパイス入り蜂蜜パン』の呼称は『パン・デピス』に統一されていきます。フランス語で「スパイス」を「デピス」ということから、『パン・デピス』! 

ライ麦粉を使うランスやアルザスと違い、デイジョンのパン・デピスには小麦粉が使われ、香辛料は地元の特産スパイスである『アニス』を単独使用!…今でこそ、他のスパイスも加えて作られますが、長い間ディジョンのパンデピスはアニス風味に限られ 、蜂蜜は地元プロバンス産のラベンダーハニーにこだわって使われていました。

              Pave ペーブ

ディジョンのパンデピスで最もオーソドックスなのは、パウンド型…その製造工程は

① 甜菜糖のシロップと蜂蜜(プロバンスのラベンダーをはじめとする百花蜜)を混ぜたものに小麦粉を加えて練り、数週間ねかせる。

② ①の生地にスパイス、卵黄、ベーキングパウダーを加えて混ぜ合わせ、冷蔵庫内で熟成させる。

③ 生地を型に入れたり、薄く延ばしてから型抜きして焼き上げる。

④ メレンゲを塗ったり、果物コンフィで飾ったりして仕上げる。

機械を導入してオートメーション化している工程もありますが、手作業が担う分も多く残ります。

大きく焼いて切り分けて販売するスタイル『Pave』6Kgの小麦粉生地を焼きあげて12個にカットしています。↓

              Nonnette ノネット

パンデピスの生地を小さく丸く焼き、中にコンフィチュールなどを詰めたものです。

修道女:「Nonne ノンヌ」が作っていたことに由来し、修道女「nonne」 と、可愛

い、小さいを表す「ette」から『Nonnette』

 中世期 パンデピスの生産が盛んだったシャンパーニュ地方のランスで生まれたといわれ、巡礼の旅に出る修道士が持参しては旅路の食料としたり、販売したり…

14世紀になるとサスペンション付きの馬車が登場して乗り心地が向上したことで、

乗合馬車にのって移動する旅人も多くなります。そんな旅人が買い求め、持ち帰った

ことで各地に広まり、19世紀には列車の乗客のお土産として人気を集めました。

中に入れるコンフィチュールは地域の特産が反映して、ディジョンではカシス(黒す

ぐり)、アルザスではフランボワーズやブルーベリーなどが使われました。

現在ディジョンにある専門店の店頭には特産のカシス(黒すぐり)をはじめとして、レモン、フランボワーズ、ブルーベリー、チョコレートと種類豊富に揃い、パン・デピス生地にジャムのフルーツ感やしっとり感が加わり、美味しさを引き立てて…紅茶と愉しむのが素敵です。

フランス革命を経て、ナポレオンがイタリアに遠征して台頭を始める1796年ディジョンで現在に続くパンデピス専門店『ミュロ・エ・プティジャン Mulotet Petitjean』が創業します。

その後19世紀後半から第2次世界大戦まで、ディジョンには12軒の製造業者がいましたが、大手食品会社の参入の影響で、現在残っているのは『ミュロ・エ・プティジャン』のみ…今も伝統的手法を守る無形文化財企業(EPV)に認定されています。

19世紀『ミュロ・エ・プティジャン』工房内の写真 ↓ by Mulotet Petitjean

フランス人はパンデピスが大好き。スーパーには工場生産された品が季節をとわず置

 かれていますが、ディジョンでは手作り工房が健在で、昔ながらの製法や特色を守りながら製造を続け、ご当地自慢の伝統菓子として愛されているのです。

Dijon Ville駅から徒歩10分余り『ミュロ&プティジャン Mulot & Petitjean』本店は15世紀の貴族の館で 木組みの可愛らしい建物が目を引きます。駅の北側 小高い丘の上には工場と博物館があり、パン・デピスと同社の歴史、原料、道具、昔使われた型などが展示され、ガラス越しに工場の見学も可能。

ビデオを見ながら製造工程の説明を受けると、時間と人手をかけて作られることがわかり、愛おしさが倍増です。

Informations

La Fabrique de Pain d’épices Mulot & Petitjean   博物館

6 bd de l’Ouest 21000 Dijon

Mulot & Petitjean 本店

13 pl.Bossuet 21000 Dijon

 Mulot & Petitjean   200年以上前のポスターながら、新鮮!

 ディジョンといえば…「美食の街」 地元ブルゴーニュの『ワイン』に、マスタード、特産カシス(黒すぐり)からつくられるリキュール『クレーム・ド・カシス』、古くから栽培されているアニスシードを核(芯)にして、金平糖の要領で糖衣をつけた『アニスキャンディー』とお愉しみも沢山♪

「幸せのふくろう」のお出迎えが嬉しい街でもあります♫