ディジョンに運ばれたクックドディナン 

今日ベネルクスと呼ばれているオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの3国は、かつてネーデルランドと呼ばれていました。これらの地域はローマ帝国、フランク王国の支配を経て、10世紀以降はフランドル伯などの諸侯領や司教領など封建諸侯が分立して、実質統一的支配者はいない状態が続きます。

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そのネーデルランドの南部地域:フランドル地方には、紀元前 進軍してきたカエサル率いるローマ軍が兵糧としていた『ライ麦粉に蜂蜜と羊のチーズなどを混ぜ合わせて作った平たいパン』が伝わって、12世紀にはそれをディナンの街のパン職人が改良し、『クックドディナン』が生まれて人気を集めていました…

一方隣接するフランス王国では1364年にフランス王シャルル5世が弟のフィリップ2世にブルゴーニュ地方を与え、ブルゴーニュ公国が成立します。

1369年フィリップ2世はフランドルの領主フランドル伯ルイ2世の娘マルグリット3世を迎えて結婚

(左)フィリップ・ル・アルディ, フィリップ2世:豪胆公、(右)マルグリット3世

1384年 妻であるマルグリットの実家フランドル家で男系が絶えたため、マルグリットと夫のフィリップがフランドル伯位を相続し、これによってフリップは飛び地としてフランドル(ベルギー)と、アルトワ(北仏)を支配下に収めることになりました。↓学習研究社「ミリオーネ全世界事典」第1巻 ヨーロッパ Iより

当時のフランドルは、イギリスから原毛を輸入して、これを高級毛織物やタペストリー、カーペットに仕上げ、ハンザ諸都市やアフリカ、オリエントに輸出するハイテク商業地帯として大変に栄えていましたから、この相続はブルゴーニュ公国が飛躍する足がかりとなりました。

☆ベルギーのイーペルで3年に1度行われる『Kattenstoet 猫祭り』は、中世 倉庫に山積みされた毛織物を食い荒らすネズミ退治のため飼われていた猫のお祭り…当時のフランドルの賑わいに想いを馳せながら?世界中から猫好きが集まります。

ブルゴーニュ公国の王妃となったマルグリットが暮らしたのはヨーロッパの東西南北を結ぶ街道の要衝にあって繁栄していたブルゴーニュ公国の王都ディジョンです。

彼女は故郷のお菓子『クックドディナン』が大好物で、ディジョンの地に移り住んでも取り寄せて楽しんでいたと伝わるほど… マルグリット王妃はフィリップ2世との間に9人の子を授かり、ブルゴーニュ公国のフランドル支配はその後も続きます。

1452年フィリップ2世とマルグリットの孫にあたるフリップ3世がフランドル地方の都市コルトレイクCourtrai(現ベルギー)に遠征中、クックドディナンを献上され、その美味しさに感激し、職人を連れ帰ります。これによりディジョンの宮廷でも『蜂蜜パン』が作られることになったのですが、クックドディナンは祖母マルグリットの大好物でしたから、フィリップ3世にとって幼い日祖母の膝の上で一緒に食べた懐かしい味だったのかもしれません。美味しさに懐かしさや祖母の思い出までが加わって、…是非ともディジョンで再現したい味だったのではないでしょうか。

↑フィリップ・ル・ボン:フィリップ3世,「善良公」

その後フリップ3世の息子シャルル・ル・テメレール「勇肝公」が公位を継承してもディジョン公国のフランドル支配は続きますが、フランドルのディナンで、重税や圧政に不満をもった市民が反旗をひるがえします。シャルルはすぐさま軍隊を率いてディナン に向かい市民が立てこもる城を包囲しますが、この時籠城した人たちは、町の名物:クックドディナン で飢えをしのぎ、街を守ったと伝わります。

↓シャルル・ル・テメレール勇肝公、(右)ディナンで市民が立てこもった要塞

『クックドディナン』が大好きだった王妃さま、祖母の好物を懐かしみ、職人を連れ帰ったフィリップ3世、そのクックドディナンに苦しめられたシャルル勇肝公…『クックドディナン』をKeywordにして絡むディジョンとディナンの歴史を振り返ると、「たかがお菓子 されどお菓子」お菓子の持つパワーを再認識させられる思いがします。

フランス王国に対抗するほどの勢力を誇ったディジョン公国ですが1476年シャルル勇肝公が戦死…シャルルは男子の後継者に恵まれなかったため、4代の君主が100年に渡って統治したブルゴーニュ公国は終焉をむかえます。ブルゴーニュ地方はフランスの領土に組み込まれましたが、ネーデルランドは残されたシャルルの一人娘マリアが、当時まだ片田舎の小領主にすぎなかったハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚したことにより、ハプスブルク家に継承され、その後の大飛躍の足がかりとなったのでした。

ディジョンに伝わった『クックドディナン』は、その後宮殿から出て市中のパン職人によって作られるようになると、スパイスが加えられ、『ボワショ』の名で人気を得たと記録に残ります。

そして18世紀に入ると『パン・デピス』と呼ばれるようになり、今でもディジョンの地で伝統手法を守りながら、大切に作り継がれています。

『パン・デピス』の詳細はこちらから… 『パン・デピス1』