Tirggel ティアゲル

 

「食べる芸術品」とも言われる『ティアゲル』は繊細なレリーフが美しいスイス チューリッヒの伝統菓子です。

その製法は、小麦粉にたっぷりの蜂蜜と、シナモン・ジンジャー・クローブ・アニスなどのスパイス、さらにローズウォーターを合わせて生地をつくり、半日から1日やすませます。スパイスが馴染み、生地が落ち着いたところで、木型を使って型取りし、高温で焼いたら出来上がり。

卵もバターも使わないからとても硬~い! ポリっと折れた断片をしばらく口の中においておくと、にわかに蜂蜜が溶け出して、優しい甘みが口いっぱいに広がります。紅茶やコーヒーに浸しながら柔らかくなったティアゲル をいただくのもまた楽しい…

クリスマスと、春のお祭りには欠かせないチューリッヒ市民のソウルフードです。

クリスマス 子供達が歌声を披露する『シンギングツリー』

 by https://www.swiss-ex.com/blog/item/10165.html

長く厳しい冬に終わりを告げ、春の訪れを祝うチューリッヒ伝統の春のお祭り『セクセロイテン Sechseläuten』               by https://www.swissinfo.ch/jpn/

チューリッヒはイタリアとドイツを結ぶ交通の要衝に位置するため、紀元前からローマ帝国の関所が置かれて繁栄した歴史をもち、細長いチューリッヒ湖の北端 湖から流れ出すリマト川両岸に歴史を伝える旧市街が広がっています。  by wikipedia

          ケルト人とローマ人と蜂蜜パンケーキ

ケルト人は紀元前5世紀頃中央アジアの草原から馬と車輪付きの馬車を携え移動して、アルプス山脈以北のヨーロッパに広く住みついた民族で、最初の定住地はライン川やドナウ川上流の南ドイツ地域と考えられています。

農耕や牧畜の優れた技術をもち、西ヨーロッパに鉄器文化をもたらしましたが、馬や馬車(戦車)を駆使して騎馬民族としても活動するようになり、前8世紀頃から前3世紀頃にかけて大ブリテン島(現イギリス)、現フランス地域からイベリア半島(現スペイン)さらにバルカン半島に侵入し、ギリシアを経てエーゲ海を渡り、アナトリア(現トルコ)にまで至った部族もありました。

一方 イタリア半島の統一を進めたローマは、ケルト人を「ガリア人」その居住する地域を広く「ガリア」と呼んで、次第にガリアの地に侵出し、征服していきます。

紀元前2世紀までにアルプス山脈を挟んでその南エリアを属州とし、前1世紀にはアルプス山脈を超えて北側エリアにも侵攻し、その南部を征服、属州に組み込みます。これに対し、現スイスの西部山岳地帯に居住して唯一独立を保っていたケルト人の一派ヘルウェティイ族は大変勇猛で、服属しないばかりかすでにローマの属州となっていた領域(現フランス領)に侵入移動を始めます。これを阻止すべく、軍を率いて進軍したのが当時ガリア地域の総督を勤めていたカエサルでした。

ヘルウェティイ族は一時はカエサル軍を窮地に追い詰めますが、最終的には破れて服属…この遠征の記録はカエサル自身が残した『ガリア戦記』の第1巻冒頭に記されています。

この紀元前58~51年に行われたカエサルの遠征によってアルプス一体はローマの影響を強く受け、ぶどう酒・穀物・毛織物・陶器などの生産が盛んになり、経済的に繁栄していきます。

カエサルに続きローマ帝国の初代皇帝アウグスティウスも数回に渡ってガリアに遠征し、前15年までにアルプス全域がローマの支配下に置かれることになりました。

ローマ帝国はこの地を 属州ヘルウェティアと呼び、ローマ人が移住して植民市や入植地が作られます。

チューリッヒ、バーゼル、ローザンヌ、ジュネーヴなどスイスの都市の多くはこの時代にローマ人によって建設されたものです。

         ローマの支配と独立自由都市チューリッヒ

交通の要衝に位置するチューリッヒにはローマ帝国によって関所がおかれ、商業が栄えましたが、街中には現代もその時築かれた要塞の防壁跡や、ローマ人の墓石が残り、2000年前のローマ支配の痕跡をみることができます。

さらにローマ人が持ち込み、好んで食べていた『蜂蜜チーズパン』をルーツとする『ティアゲル』も今に伝わり、街が歩んだ歴史と時間の経過を感じさせてくれます。

ローマ帝国の分裂後スイス地域は西ローマ帝国の統治下におかれますが、4世紀になるとその統治能力が低下し、5世紀には撤退していきます。

6世紀にはフランク王国の統治下に入り、11世紀を前にしてスイス全域は神聖ローマ帝国の支配下に下ります。こうして他国の支配が続く中、チューリッヒは単独での自立を求め、10世紀には自由都市としての権利を獲得!さらに1336年ルドルフ・ブルンによりギルド(職業組合)のシステムが組織され、彼は修道院長によって任命されるのではなく、初の民選市長として街の運営の指揮をとることになります。これによりチューリッヒは平民も自治に参加する独立自由都市になったのです。

            ダージリーからディアゲルへ

『ティアゲル Tirggel』が歴史の記録に初めて登場するのは1461年に記録された魔女裁判の文書です。それによりますと…

容疑者である女性:魔女は重い病を罹っている男の子を治療していました。

治療の一環として彼女は、当時あまり知られていなかった『Dirggeli ダージリー』と呼ばれるスパイスの入った蜂蜜パンを与えます。

その後 看病のかいなく少年が亡くなると、彼女は魔術を使い、スパイス入り蜂蜜パン「ダージリー」を使って少年を殺害したとする容疑をかけられ、処刑されてしまったのです。

 

この裁判は人々の『ダージリー』への関心を呼び、スパイス入り蜂蜜パンに関心が集った反面、「カルトの集会で食される食べ物である」とのデマも飛び交ったようです。

いっときブームの主役になったダージリーですが、その材料であるスパイスは遠い国からの輸入品で、養蜂も修道院主導でなされることが多く、蜂蜜は贅沢品でしたから『ダージリー』は特別感溢れる食品で、広く庶民のお菓子になることはありませんでした。それは魔女裁判と同じ年…クリスマスと新年のために「教会の司教やギルド関係者への贈り物として修道院の釜でダージリーが焼かれた。」と記された教会文書からもわかります。

1336年ギルド組織が市政を担う体制が確立されると、議会はギルドメンバーによってのみ構成され、チューリッヒの街は12~13のギルドの代表によって治められることになります。ギルド組織の政治権力が聖職者や貴族をしのぐ状態は当時のヨーロッパの都市の中では異例でしたが、この体制は1798年ナポレオンが市政に介入するまでの460年あまりの間 維持されました。

その間『ダージリー』のちの『ティアゲル 』はパンギルドが認め、権利を与えた職人のみが作ることを許されるスペシャリティーとして、作り継がれ、すべてのパン屋に生産権が与えられたのは1840年になってから…

 

 

 

 

魔女モチーフのティアゲル 

 

Suter Tirggel製

街の歴史をそのまま背負ったかのようなティアゲル ですが、そのモチーフも時代を反映して、12~15世紀中世ゴシックの時代には聖書から題材をとり、文盲の民衆に聖書の内容を知らしめるツールとしても使われました。

14~16世紀のルネッサンスから16~17世紀のバロック時代は家族や同盟の紋章、ギルドからの発注による職業を表すギルドモデルのモチーフ、18世紀ロココの時代には伝統衣装や工芸的なモチーフ…と変遷していきます。

1800年~1830年製Tirggel 木型 ニューヨーク歴史協会コレクションから

https://www.collectorsweekly.com/articles/how-folk-art-challenged-the-art-world-to-get-real/

ティアゲル生産権の縛りがなくなった1840年 チューリッヒの街には何軒ものティアゲル専門店ができ、その中の1軒『Suter Tirggel』は当時のレシピを守りながら今に続いています。

昔は手でこね、木型を使って型抜きしていた作業も、現在は機械化され、幅広く延ばした生地の上を金属製ローラーが回転して通過することでレリーフを刻印し、その生地を個々に切り分けたら350度のオーブンで焼きあげます。

昔ながらにオリジナルデザインのティアゲル を作ってくれるサービスもあり、名刺サイズ、ポストカードとサイズを選び、名前や住所の刻印にも対応しています。

ティアゲル は「食べられる芸術品」に加え、「食べられるコミュニケーションツール」として時代を反映させながら2000年間作り継がれ、今なお時代の期待にフレキシブルに対応しているのはお見事です…

廃業したティアゲル 専門店『Honegger』の関係者がチューリッヒのSt.Jakob's「セントヤコブ財団」に寄贈した木型800点のうちの一部です。↓

        ヨーロッパ東西で受け継がれるローマの置き土産

小麦粉にスパイスと蜂蜜をたっぷり加えて生地を作り、美しいレリーフをつけて焼き上げる…ヨーロッパの東の端ベルギーの街ディナン にもそんな伝統菓子『クックドディナン 』が継承されています。

双方とも、ローマ統治時代の置き土産『蜂蜜パン』を起源とし、2000年の時を経てヨーロッパの東西に継承される食の記憶 誇らしく素敵なお菓子たちです。

 ディナン の『クックドディナン 』    チューリッヒの『ティアゲル 』