ジンジャーブレッドの誕生

13世紀末南ドイツのニュルンベルクを中心に作られるようになったレープクーヘンは、14世紀にかけて、神聖ローマ帝国(現ドイツ)国内 さらにはフランス王国(現フランス)をはじめとしたヨーロッパ各地へ、伝わっていきました。

イギリスにも14世紀に書かれたレシピが残されており、それによりますと、「生姜、アーモンドを砕いた粉末、古いパンを砕いたパン粉、蜂蜜、ローズウォーターを練り合わせてペーストを作り、木型に入れ、プレスして乾燥させる…」とあります。

 当時の最もシンプルな作り方は温めた蜂蜜に生姜をはじめとしたスパイス、リサイクルのパン粉を加え、ひと塊りにして、冷やしてからカットする…というもの。

さらにリッチなレシピとして、アーモンドの粉末や香りづけのためのローズウォーターなども加えられていました。

生姜はインドや東南アジアから運ばれてくる貴重品で、14世紀のイギリスでは、「生姜1ポンド(450g)は羊1頭分の価格に等しい。」との記録が残っているほど。

贅沢なものの塊『スパイス入り蜂蜜パン』は、貴族に好まれる高級ブレッドとして、つげの葉やクローブなどで飾られて贈り物にされ、時にはサフランなどで、色を付けたり、金箔を貼ることも。…

体調不良や病後の滋養食としても期待される貴重で高価な食品でした。

16世紀「ジンジャーブレッドを愛してやまない国イギリス」の礎をつくった国王

ヘンリー8世とエリザベス1世父娘が登場します。

       ジンジャーマンのモデルになったヘンリー8世        

16世紀のロンドンには下水道がなく、市中の衛生状態は劣悪だったため、伝染病が繰り返し流行し、市民は襲い来るペストの大流行にも怯えていました。

ある時ヘンリー8世は、医師から「過去の事例からして、生姜をたくさん食べていた人はペストに罹患しても命を取り留める率が高い」との情報を得、国民に進んで生姜を食べるようおふれを出したのです。

生姜の殺菌抗菌効果がペストにどれだけ有効かは定かではありませんが、これにより生姜の有効性がイギリス国民に浸透したことは間違いありません。

1534年ヘンリー8世はローマ・カトリック教会と離別し、イギリス国教会を設立します。

これによりイギリス国内のカトリック教会および修道院は解散となり、建物は放置されたため、イギリス各地に朽ち果てた修道院跡が残ります。

アーサー王の棺が眠るグラストンベリー修道院もこの通り お墓があったとされる場所には立て札が立てられて…「King Arthr's Tomb」」

この変革により、イギリスではスパイス入り蜂蜜パン作りを修道院が主導する基本のスタイルも失われてしまいます。

市中に出たスパイス入り蜂蜜パンは貴族たちがお抱えコックに作らせたり、裕福な商人たちによっても作られるようになるのですが、ヘンリー8世の生姜摂取の勧めを背景に、使用されるスパイスは生姜:ジンジャーが主役となり、イギリス独自のスパイスパン『ジンジャーブレッド』が誕生します。

16世紀になると植民地政策によりアメリカ大陸で「サトウキビ」や「小麦」、「生姜」の生産が広がり、イギリス本国に大量に運ばれて来るようになります。

この食糧事情の変化に伴い、イギリスで作られるジンジャーブレッドも次第にパン粉のかわりに『小麦粉』が使われ、蜂蜜は『砂糖』に代わり、生姜の価格も下がって使いやすくなっていきます。

さらに『卵』も加えることで生地が軽く美しく、しっとりした食感に仕上がるようレシピの工夫が進んでいきました。

      女王さまのお気に入り…ジンジャーマンクッキーの誕生

1558年ヘンリー8世の娘であるエリザベス1世(1533~1603)が即位し

人の形したジンジャーブレッドが生まれます。


女王は自身の姿に似せた人形クッキーを作らせ、金箔や砂糖のアイシングで装飾…彼女に取り入る求婚者や貴族たちとの饗宴で披露したり、お土産にも使いました。

政治外交上の要人に似せて作らせたジンジャーブレッドマンを彼らを招いた際の贈り物にして、外交にも役立てたと伝えられています。

(左)16世紀の木型

(右)木型を用いて作られたジンジャーブレッドにアラビアゴム(アカシアの木から採取される樹脂)を塗ってコーティングし、乾燥後金箔を施して仕上げられたもの

 

https://www.historicfood.com 

繊細な模様が施された衣服をまとった女王や高貴な男性のモチーフに金箔を施して…食品の域を超えた美しさと豪華さで、女王さま発案の『ジンジャーマンブレッド』は演出効果抜群 政治までをも動かしたかもしれません!?

                                           活躍の場が広がって…

ジンジャーブレッドは宮廷の外でも活躍の場を広げます。

貴族や政治家が自身の姿をモチーフにしたジンジャーブレッドを作らせ、即位の記念品として使ったり、地域のニュースをモチーフにして、一種のストーリーボードとしても使われました。

生姜1ポンドで羊が1頭買えるほどの高値で取引されていた生姜ですが、200年の時を経て事情が変わってきます。

15世紀末に新大陸が発見されると、生姜はすぐに栽培植物として持ち込まれ、16世紀半ば 西インド諸島は生姜の産地となりました。サトウキビも同様に新大陸で栽培され、乾燥生姜や砂糖がアメリカ大陸からヨーロッパに大量に輸送されるようになり、価格も下がります。それにつれてジンジャークッキーもプレーンに仕上げられた品が安価で売られるようになり、庶民のお菓子になっていきました。

16世紀末にウィリアム・シェイクスピア(1563~1616年)が書いた戯曲『Love's Labor's Lost 恋の骨折り損』の中に「And l had but one penny in the world, thou should'st have it to buy gingerbread.」というセリフが登場します。「1ペニーさえもっていたら、ジンジャーブレッドを買わない手はないさ」

当時の1ペニーは現代の1000円ほど…けっして安くはないけれど、庶民にも手の届く食品として、すでに広く知られていたことがわかります。

大衆娯楽の戯曲の中に登場するくらいですから…

            地方に残るレシピでは…

一方ロンドンから遠く離れたイングランド北西部ピーターラビットの舞台でもあるカンブリア州に暮らしていたダニエル・フレミング卿の妻バーバラ・フレミングが書き残したレシピを見ると、17世紀 地方の家庭でも、地元で入手できる材料を使い、工夫してジンジャーブレッドを作っていたことがわかります。

 

From Lady Barbara Fleming's Manuscript Receipt Book (1673)

 

リサイクルパン粉や小麦粉は使わずに、生地は湯通ししたアーモンドを乳鉢に入れ、そこに砂糖とみじん切りのデーツを加えて叩き、小さなケーキ状のひとかたまりになたら、シナモンと焼き生姜も加えてさらに1時間叩きます!それをシナモンとジンジャーの粉末をふった木型に置き、プレスしたら、暖炉の前において乾燥させて出来上がり…こうして箱に入れておけば、長期保存も可能な頼もしい滋養食なのでした。

18世紀になると…イングランド北部エリアでもアーモンドペーストに代えて古いパン粉が使われるようになり、18世紀後半までには小麦粉と甜菜糖からとれる糖蜜シロップを使ってジンジャーブレッドが作られるようになっていきました。

           薬効を期待して… 医薬品に! 

ヘンリー8世の「生姜をたっぷり食べるべし!」のメッセージは100年を経てイギリス中に浸透し、16世紀の作家ジョン・バレット(John Baret)は、ジンジャーブレッドについて「A kind of cake or paste made to comfort the stomacke」=「ジンジャーブレッドや生姜ペーストはお腹の調子を整えるために作られたものである。」と書き残していますし、1657年薬草学者のウィリアム・コールズは生姜をメインにリコリス(甘草)や各種スパイス、ハーブを配合したジンジャーブレッドを、咳および胸と肺全ての症状に有効な薬用食品として考案し、推奨しています。

さらに1700年にはM.Tauvryによる医学書の中、流産を防ぐ救済策の項目に「ジンジャーブレッドを塗る」治療法が提案されています。

17世紀ジンジャーブレッドは庶民の生活に浸透していきます。

日曜日になると、礼拝に参加する人をターゲットに、教会の外でジンジャーブレッドが販売されました。季節ごとに開かれる市でも屋台が出て、ハート・星・人・馬など様々な形に成形されたものが並び、クリスマスやイースターにはキリスト教にまつわる図柄のものが販売されて人気を集めました。

イングランド北部の町では、ハーロウィーンの市で「未婚の女性が、夫になる人に巡り会えることを願いながらジンジャーブレッドを食べると夢が叶う…」といわれ、

素敵な出会いの後 愛の告白プレゼントにはプレゼントとして使われ、結婚式の引き出物としても人気がありました。

さらに名前の由来になったっ守護聖人の聖名祝日には、その聖人のレリーフが刻まれたジンジャーブレッドを贈るのも恒例でした。

悪魔だって、病魔だって、ノックアウト!

当時スパイスの強い香りには病を遠ざけ、魔除けの効力があるとも信じられていましたから、ジンジャーブレッドは窓辺に置かれ、同じ発想から出兵する戦士はお守りとし、悪霊を防ぐ護符にも…と、庶民の生活の守り神さまとして「全てお引き受けします!」の様相でした。

                 ジンジャーパウダー大活躍! 

イギリス人は生姜が大好き! 体に良いから…といった目的を担った「好き」を通り越し、嗜好や味覚の好みとして好き!が浸透しています。

ですからクッキーやブレッドのみならず、ジャム・ソース・ワインなどに混ぜ込んで盛んに取り入れられてきました。

こうしてできたメニューは疾病や風邪を予防し、新陳代謝を促進して冷えにも効く!抗菌防腐作用によって食あたり予防にもなるのですから、良いことずくめ。 

その種類は増える一方で、スーパーの棚にもジンジャー製品の多いこと 多いこと…止まるところをしらない勢いです。

エール

イギリスでは生水の安全性に問題があったため、古くから各家庭で身近にある穀物や果物からエール(ビール)、シードル(リンゴ酒)、ポワレ(梨酒)などの発酵飲料を作って飲んできた歴史があります。

『エール』は「大麦や燕麦など穀物を水に漬けて発芽させた無発酵モルト:麦汁」に香り付けの為のハーブと酵母を加えて発酵させたもので、微量のアルコール分が含まれているものの、醸造に使う水は煮沸させてから使われるため安全性が高まり、さらに栄養成分も加わりますから、小さな子供から大人までの日々の飲料として盛んに飲まれていたのです。

9世紀には、自家製エールを販売し、居酒屋も兼ねる「エールハウス」が広がります。家庭での自家醸造も盛んで、主婦がエールハウスを経営することもあり、「エールワイフ」という言葉も生まれるほど…

ジンジャービア

16世紀半ばから17世紀にかけて新大陸からジンジャーパウダーや砂糖が運ばれるようになると、ヨークシャー地方でジンジャーパウダー、砂糖にハーブや水、そして酵母を加えて発酵させた生姜風味のエール:『ジンジャービア』が生まれます。

『ジンジャービア』は国内に広まり、各家庭でもそれぞれの好みに合わせた自家製が作られ、アメリカやカナダにも広まっていきました。白濁し微量のアルコール分が含まれているとはいえ、ほんの数パーセントですから、エール同様ソフトドリンクの域の飲料で20世紀初頭まで大いに愛飲されることになります。

フェンティマンス ジンジャービア Fentimans Ginger Beer

1905年トーマス・フェンティマンスにより創業されたフェンティマンス社は伝統のレシピを守りつつ、ジンジャービアの製造販売をしています。甘すぎず、微炭酸 喉越しスッキリの飲料で、日本にも輸入されています。

ジンジャーエール

1850年代のこと、アメリカ人の薬剤師兼外科医トーマス・ジョセフ・カントレルが、北アイルランドのベルファストで生姜からエキスを抽出して作る『ジンジャーエール』を考案し、地元の飲料メーカーで瓶詰されて販売されました。それは色が濃く、甘味と強いジンジャーの風味をもち、醸造残留物のためにしばしば濁っていたと伝わります。

…その後カナダで私たちがよく口にしている透明感のある「ペールドライジンジャーエール」が開発されると、初代は「ゴールデン・ジンジャーエール」と呼ばれるようになるのです…

シャンディーガフ

『エール』に加え、『ジンジャーエール』が登場したアイルランドのパブで、この2つを合わせて、人気のカクテルができました。『シャンディガフShandy Gaff』です。それは一日の仕事終わりに喉を潤すための庶民派カクテルとして人気を得、その後イギリス国内に広がっていったのでした。

ジンジャーワイン

1740年 白ワインにジンジャーパウダーを加え、オーク樽で熟成させて造られる『ストーンズ ジンジャーワイン』が登場します。  

ラベルにロンドン市の紋章をいただく由緒正しきフレーバードワインはイギリス映画や探偵ドラマでもさりげなく使われ、イギリスらしさを演出する名脇役としても活躍中 生姜の香りがしっかりあって、ほのかに甘く、飲みやすい…薬効も期待できるのも嬉しいところで、日本にも輸入されています。

            ヴィクトリア女王のクリスマス

 

ジンジャーマンブレッドが生まれて300年…1837年ヴィクトリア女王が18歳で国王に即位します。

幼くして父親を亡くし、母親ケント公爵夫人に厳しく監視されながら育ち、遊び相手は人形のみという孤独で閉鎖的な幼少期を過ごしたヴィクトリアですが、13歳の頃 側近からキングチャールズ・スパニエルを贈られます。彼女はその犬を「ダッシュ」と名付け、常に身近においてかわいがり、おおいに慰められたようです。

ダッシュにはお付きのメイドがいましたが、ヴィクトリアは積極的に世話をして、あるクリスマスにはジンジャーブレッドとゴム製のボールを贈ったとか…

1840年 ヴィクトリアはザクセン=コーブルク=ゴータ公国(現ドイツ中部にあった領邦国家)の公子アルバートと結婚します。

ヴィクトリアが求愛しての結婚でした。 夫婦仲はたいへんよく、4男5女を授かり、王室ファミリーの生活ぶりは国民の憧れであり、模範となっていきます。

1840年2月10日のヴィクトリアとアルバートの結婚式を描いたジョージ・ハイターの絵画

アルバートは幼い頃ドイツで親しんだクリスマススタイルをイギリス王室にも積極的に取り入れて、ウィンザー城の広間に故国から取り寄せた大きなもみの木を持ち込み、家族で飾り付け…キャンドルを灯して、型抜きして焼き上げられたジンジャーブレッドを飾りました。

そして迎えたクリスマス もみの木の根元に用意されたプレゼントに子供達は大喜び

この趣向をヴィクトリアも大歓迎しましたから、その後王室に習え…とばかりに国内に広まっていきました。

戸外では聖歌隊がキャロルを歌い、冷えた体をスパイスの効いたグリューワイン(ホットワイン)やクリスマスティーで温める… 「Silent Night きよしこの夜」も盛んに歌われた曲の1つです。

 

1848年に描かれたロイヤルファミリーのクリスマスの様子

両脇はヴィクトリア女王と、その夫のアルバート公 

1600年頃から北半球は小氷河期に入り、ロンドンではテムズ川が凍結することは珍しくありませんでした。

しばしば飢餓や凍死を招いたりもしましたが、ロンドンっ子はこの機会を有効利用して、凍ったテムズ河の上で『氷の祭典フロスト・フェア』を開催…家畜や農産物の売買、露店、回転木馬、スケートリンク… ジンジャーブレッド の屋台も出て繁盛したに違いありません。

冬の気温が上昇し、川が凍らなくなったので、この催しは1814年を境に途絶えてしましました。その最後の年のフロストフェアの様子をご覧ください…

「The Fair on the Thames 」by Luke Clenell,1814

 

*ほどよくスパイシィー バターの風味豊かでさっくり食感のジンジャークッキーのレシピをご紹介します。

             ジンジャークッキーレシピ

 

《材料》  約30枚分

 バター        100g

 砂糖         100g

 卵            1個

 薄力粉        200g

 シナモン(パウダー)  10g (大12/3)

 ジンジャーパウダー   小1/2〜

 強力粉(型抜き用)    適量

 

 ☆ 作業の前に… 

  *バターは室温において柔らかくしておきます。

  *薄力粉・シナモンパウダー・ジンジャーパウダーは合わせて振います。

  *オーブンの天板にクッキングシートを敷いておきましょう。

《作り方》

 ① ボウルにバターを入れ、ホイッパーでクリーム状になるまで混ぜます。

 ② 砂糖を2~3回に分けて加え、全体が白っぽくなるまでよく混ぜましょう。

 ③ 溶き卵を加え、さらに混ぜ、

 ④ 粉類を振るいながら加え、ホイッパーを木べらにかえて、切るように混ぜます。

 ⑤ 粉っぽさがほとんどなくなったら手でまとめます。

   生地が手につくようなら薄力粉を少々(分量外)足す。

 ⑥ ⑤の生地を手で押さえ付け、平らにしてラップで包み、冷蔵庫で30分以上

   ねかせます。

 ⑦ 台にラップを敷き、生地をのせ、上からラップをかぶせてめん棒で3mm厚さ

   にのばします。

 ⑧ 抜き型に強力粉をつけながら型抜きします。 

 ⑨ 抜いた生地を天板に並べ、170℃に予熱したオーブンに入れて10~12分

   焼きます。